>>454
恐るべし、侮りがたし、オランダの技術。  オランダに精密機器の「セ」の字は有り。 実はオランダは精密機器の国だった。
フォッカー旅客機・WW2におけるフォッカー戦闘機。
戦前からオランダは、日本のC59などを遙かにしのぐ機関車を製造する技術があった。

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インドネシア国鉄の1000型、オランダ製
日本占領前の植民地を120kmで走り
ツバメ特急以上の性能だった。日本のC51型登場と同じ時期に生まれた。
狭軌最高速である。1600mm*393回転で形式はパシフイック。内側2気圧が高圧、外側2気圧が低圧のコンパウンド、当時ドイツでみられた短いコネクティング・ロッドで
ともに第一動輪を,集中駆動する。インドネシアの2大都市ジャカルタ〜スラバヤ間をスコールの影響を避けるため昼間のみ運行する必要があり、12時間を切って走った。
東京、広島間ほどのロングランで特急「燕」の平均速度を上回り、日本の鉄道省のプライドに大きなショックを与えた。単線区間が多く、制限速度も多いため、この平均速度を
維持するには最高129kmで走行した。WW2で特急運転はなくなり、名称も占領軍の日本によって、C53型と変えられたが、1970年頃まで
活躍活出来たのはその優秀性を物語っている。
南アフリカと、ニュージーランドは多気筒をあきらめ。2気筒で小口径動輪を高速回転させるアメリカの方式を進め、日本を上回る高速運転を実現している。
日本は1750っm動輪を300回転以内として最高時速は95k以内に収めた。