>>509
それはウソ

長崎・佐世保線の電化は当初山陽新幹線博多開業(1975年3月)と同時で計画
 → 1973年頃 新幹線の騒音対策の費用捻出のため長崎・佐世保線の電化の延期が決定
  → 延期にはなったが長崎・佐世保線の電化に向けて向日町と仙台の485系を順次南福岡へ転属させていた
   → 奥羽南線(羽前千歳〜秋田)の電化開業の繰上げが急遽決定
    → 奥羽南線電化に合わせて開発・設計を進めていた1000番代の新製が電化開業に間に合わない
     → 1000番代落成までの暫定として南福岡への再転属を前提に中間車は南福岡から、先頭車は青森の200番台を300番台新製で捻出
      → 1975年11月 奥羽南線電化開業、つばさは従来車により運転開始
       → 1976年2月より1000番代の秋田への新製配置が始まり、1976年4月より従来車は順次南福岡へ転属となる
        → 1976年5月までに秋田の従来車は南福岡へ全て転属、秋田は1000番代に統一
         → 1976年7月 長崎・佐世保線電化開業、かもめ・みどり運転開始