【国鉄末期】国鉄車両疎開留置【まだ使えるのに】 [無断転載禁止]©2ch.net
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利府駅にサシ481
松島駅にサハシ455
高崎線新町駅にサロ165 「新快速色」でググったら画像では117系ではなく153系が多数ヒットした >>98
山陽急行で湘南色編成の中に数両、新快速色が入ってたのが向日町で留置されてたのでは? 非電化の通学利用駅にサシ481が三両疎開してた
その連結部の下をくぐり上りホームへ行ってた糞悪ガキ…定期は持ってたが改札と跨線橋が面倒だった 食堂車は新古車が大量に余ったからな
余剰即解体ともいかず、再利用を模索していたのだろう
会計検査などのしがらみもあったし >>107-108
ナシ20なんかは、1970年まで製造しながら、1977年度末で運用が無くなったからなあ・・・ 20系自体が要らなくなってきたからでしょ?
需要旺盛ならまあ、初期の座席車の処理と同様に寝台化したり、
あるいは急行へ落とすことで再び必要となる座席車に改造したりして使っても良かった訳で 30年以上前の常磐線高萩・湯本駅に大量のスハ43系客車
何両留置されていたのだろう
それと最近は、高萩・勿来・草野駅に415系
40年以上前の東海道線藤沢駅に10系客車(座席車と寝台車) ワァ−オゥ!
40年以上前に高萩駅外れの留置線に451か453系の錆び付いた編成が留置されていたが、あれはなんだったんだろう? 播但線生野駅構内や東舞鶴駅構内などに留置されていたDD54は修理不能車と一部は
部品取り用として留置されていた 昭和53年日豊本線大在駅側線にサハシ455 昭和59年2月以降にED76とDE 10の1000番台が留置されていた、前者は急行電車の編成から外された為、後者は貨物列車削減とされに伴い入れ換え運用の減少による余剰の為。 DD54が放置されてる風景は当時は何も叩かれなかったのでしょうか DD54は国会でも問題になったの知ってていってるでしょ…
同時期に問題起こしたキハ91も、槍玉に挙げられないよう償却年数の11年経つまで放置してから廃車になったんだよな キハ91は試作車ゆえに特殊部品を発注するより、そのまま廃車にした方がよいとのコスパ優先のため
もう3年早かったらキハ65化改造を施しているだろうけど
四国総局へ渡しておけば魔改造して再利用したと思われる >>118 メンテナンス体制が十分とはいえないサハリンやインドネシア等でも維持できるから譲渡されるんであって。
DD54やキハ91持って行っても使い物にならないし、サハシなど食堂車の需要は海外でもない。 開業前の新設されたばかりの国府津電車区に157系が廃車前留置されていた。
当時は事務所で一言言えば付き添いの方も付かず自由に撮影させてくれた。
157系以外には非冷房のサロ110・サロ111、荷電扱いのクモハ73+クハ79の6連などが
同様に廃車前留置されていたなぁ。 上沼垂駅は大量のキハ35が留置されていた時があったけど、別の時期はDD51やDD13のほか
貨車やら車掌車も留置されていた
建屋の中にも貨車が大量に留置されててその中には貴重なワム90000もいた 俺が見たので凄まじかったのは天理のキハ81と阪和線の天オト旧国群。
架線の無い構内に旧国が20両くらいいたが悲惨だったのはキハ81。
確かキハ81-1+キロ80-3+キロ80-4+キハ81-4と言う記念すべき「はつかり」1期生の4連
だったが、留置されている場所の隣はすぐ道路で柵も何も設置されていないので投石で
ガラスは殆ど割られ、車内も荒れ放題に荒らされていた。。。
あのまま高砂工場?まで回送されて解体されたのだろうが、移動は福知山の旧客以上の
目を覆いたくなるような「幽霊列車」だったに違いない。 昔、相模線の倉見駅の側線にナシ20 5両とオロ11 1両が廃車留置されていたっけ。。。 民営化直後の塩釜埠頭駅
DE10とか貨車とかてんこもり。
しかも目の前が松島遊覧船の船着き場。
(今は丸文だけだが、昔は東武系の業者も出入りしていた)
さぞ観光業者からの苦情が凄まじかっただろうねえ。
松島観光に来たのに鉄屑のてんこもり見せられちゃwww 去年真岡鉄道にSL乗りに行ったら真岡駅に屋根が腐り落ちたヨ数量が留置してあったな。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています