【国鉄末期】国鉄車両疎開留置【まだ使えるのに】 [無断転載禁止]©2ch.net
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利府駅にサシ481
松島駅にサハシ455
高崎線新町駅にサロ165 吉都線京町駅、指宿枕崎線谷山駅構内の側線に485系の中間車のユニット 非電化の直方構内にも余剰のED76が大量にあったような 疎開留置(廃車解体しない)の真意は?
特に完全に非電化線区に電気車とか完全アウェイのケースで?
転売目的
活用用途検討中
予備部品確保(外すだけ労力の無駄なので取り敢えず)
保存検討の銘車、珍車 境線大篠津駅構内にキサシ180のほかにキロ28
山陰本線松崎駅構内の側線にキロ28 >>9
キサシといえば宇都宮の富士重工で解体する為
宝積寺駅構内にも留置 分割民営化直後の鉄道ジャーナルで品川基地取材時に清算事業団籍のナシ20が留置されていた。
国鉄最後の日まで車籍があったらしいが、なぜホリデーパルサロンカーの種車にしなかった? 食堂車って水回りの配管類やら特殊装備が多いから、そういうのを取っ払ってサロンカーなんぞに改造するよりも、普通の座席車を改造した方が安くつくということなんでは〜? >>11
EF70だったような。
ナンバープレート外され架線のない所にまで
押し込められ留置されてる。 >>14
思い出した、EF70だ
民営化後も大量に居たなぁ 綾部に留置されていたナハフ10
琴平に留置されていたオハフ61
浪人してなきゃ乗れてたかもしれないのに 豊野駅構内にもマニ50やスユニ50が
大量留置されてたな〜 山陰本線倉吉駅構内の側線に大量留置されていたDD51型500番台〜700番台 身延線富士宮駅構内に廃車となったモハ62系
車体も115系並みでまだ活用でき、台車とモーターを取り換え、中間車にクハ66の運転台を
取り付けるなどしたら、2両編成の113系や115系に改造できたのに、すべて廃車となった >>20 台枠が種車ママ・・・粗乱製造品質時代の63のままだったから? 車掌車が何両も連結して、どこぞの操車場に置かれてあった。 稲沢にヨ8000が大量にいたのを覚えているが、アチコチで同じ光景があったんだろうな 女性限定、恋愛相談サイトオープン。
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あの取材時点で使用停止から10年は経ってたはず。
同様のナシ20は、山陽本線厚狭駅にも留置されてた、と
同じ号のジャーナルのあさかぜルポにあった。
なぜ残されてきたんだろう。 >>13
実際のサロンカーの種車オシ14なんだよ。
なぜ電装違う形式を無理やり・・・ >>16
綾部は他にも見渡す限り大量の旧客が置かれていたな。 >>1
サロ165は神保原だったかと思います。
サシ481はサロ455とともに長町操にもありましたね。 高崎操に車掌車、キハ35系、EF60など多数
大宮操も車掌車が多かったが20系が目立ってた。
それに混じってマヤ40、マヤ10、スヤ11 相模線の相武台下駅構内に車を運ぶク5000が錆びだらけで留置してあったな〜。
橋本にあった貨車工場で解体するために置いてあったのか。 越後線が電化したあと上沼垂にキハ35−500とキロ28が併結して大量留置してあった >>28
ナシ20をタネ車にしようとしたら
状態が悪くて使えなかったとか? 当該使用線区以外の路線の側線に留置したのは、
各鉄道管理局毎の?若しくは車両基地毎の縄張り線区で遊休側線のある駅や場所を
選んだから? 神戸市内の解体現場で重機によって解体される大量のキハ35 >>12
当初広鉄では管内保留で厚狭駅留置中のナシ20から改造する計画だったが本社の了解が得られなかった為結果的に予備車に余裕があった南シナのオシ14が差し向けられた次第。 >>38
恐らくそうでしょうね
多治見に稲沢のEH10とかあったし 確か平成になってからだけど、札幌の山奥にディーゼル機関車が大量にあった
疎開とは違うけど >>43
なんか聞いた事ある
手稲にもキハ56とか原野みたいな所に放置してあったし >43
>44
北海道池田町のワインの国には、十勝博で展示された新幹線0系先頭車が
前寄りドアから後ろをカットされて置かれていたな 伊集院の今はなき留置線に20系
北長野にサロ489
八本松の153系
懐かしいな 大船工場
2号編成供奉車4両
雨ざらしで外装はあれだったが内部は座席にはシートカバーや素材不明なシート類が被せられていてきれいだった。
鳥特攻で割れた窓ガラス部分や屋根の布張り劣化から来る浸水で腐食していたのは痛かった。
88年の皇室車両除籍のときにイベント用に全車両復帰させれば・・・・ 時期の前後が激しいが・・・
厚狭のナシ20、金光の80系、大篠津のキサシ180、天王寺の70系
敦賀機のEF70、加古川のEH10、鹿児島機関区跡のクハ481、
米原のDD50、あとは思い出せない。 少なくとも50系よりキハ35系やキハ58系のほうが利用価値はあった
14系や50系も改造して北海道へ
50系へオハ51 41みたいに中間扉と機関車の蒸気暖房を電気暖房に変えて高価な交直流近郊電車ばかりの九州北部に入れておけば、
少しでも北海道と九州の人員放出を防ぐことができただろう
特にバッサリ切りの火災は神様を立てながらも、1986.11改正で客車普通列車を全廃していたり、比較的新しい車両ばかり多く入れていたりと優位にしていた半面、
★事実、JR東海継承車には50系客車とキハ20系どころかキハ45系すら1両たりともない★
西日本と四国は田舎といわんばかりの非効率さとして、数年で50系が大量無用途留置される下地を作っていた >>53
永和でしたか!
ずっと弥富か蟹江だと思ってました 厳密には国鉄じゃないけど馬橋に郵便車が留置されてたな。
疎開と言うか用途廃止の廃車前提だけど。 疎開留置じゃないけど、ヤード式貨物輸送の頃の貨物の少ない年末年始に貨車や
戦後混乱期戦災車を地方私鉄の側線を借りて保管して貰うことが、あったらしいけど
ああゆうのって 保管料で幾ら位稼げたのだろう? >>55
あの当時の用途廃止された郵便車荷物車の中には、
新製後全検を一回も受けないまま廃車になったのもいたらしい。 >>61
郵便車は郵政省所有なのに国鉄所有と思われ
勿体ない!と槍玉に挙げられた事もあったらしいね。 >>62
役所が違うのは分かるが、郵政省だって鉄くず以上の値段で不要な電車が売れれば御の字だろうし、国鉄だって改造前提とはいえ、冷房付きの1M車は欲しかっただろうに。
四国の食堂になったキユ25はどういうルートで売れたんだ? >>63
あの車両は謎ですよね
1度行ってみたいけど、駅から遠い 多分出ていると思うが、72系の久里浜疎開。どこで使うかは分からんが、久里浜疎開させていたら水没して全て廃車になったという事があったな。 >>66
それで72970系・62系の車両手当てが狂ったらしい(特に62系は廃車予定の初期車を種車にせざるをえなかった)
中間運転台が無く不評だった身延への投入続行は無かったろうが、房総北部は62系非低屋根型投入→民営化後まで現役の可能性あり
仙石も番台からあと最大10本導入できるので(モハ1両は鶴見から転籍)、やはり61.11あたりまで現役の可能性あり 石打駅に70系旧国、181系
伊集院駅留置線にサロ581 国鉄分割民営化時北海道に渡った103系はナニ目的? >>67
それは初耳だった
もし、これがなかったら103系3000番台はもう少し多く導入されたかな?
あと62系も改造されて113系に編入されたのかな。
妄想すまん 身延線って買収路線なのに、車体更新62系以前にも 木造車を鋼体化ヤツ
(確か1両西武にクロスのまま行って異彩のち荷電化)とか特注?改造車
に恵まれたよな。
不思議な因縁 >>66>>67
久里浜のは、当初は時間差を置いて横浜線に投入する予定だった。
前任車の検査切れ→廃車待ちを待つ感じ。
東神奈川が手狭だったことによる。
複線化も進むため、増強用に作られたのが橋本の基地。 >>75
でも結局水没してお釈迦様になったわけか。 二条駅の西外れに褪色してピンクのク5000が数年後581系に581系は九州で715 系として再起。今は西側は2つの大学になってる南側の貨物側線後もパチンコ屋や映画館になってるけど二条駅は広大だったぞ。 スレ違いだが、その頃の山陰線といえば踏切で市バスとケンカしたのを思い出す 石打駅構内で雪まみれ放置のEF16
和田山、豊岡駅構内で放置のキロ28
米子駅引き込み線に放置のキハ391
金光駅側線に留置のクハ86
西小坂井駅側線に放置のクハ153
厚狭駅構内のナシ20に近づこうと
草むらをかき分けると蛇、大蜘蛛が 大篠津駅構内にキサシ180。
昔は駅構内に休車や廃車の車両がポツンと置いてたりしてたが、最近はそういう光景も見なくなったな。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています