国鉄時代にこんな所までやって来た車輌 [無断転載禁止]©2ch.net
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沼津機関区にED75 39とEF30
四国にDD50とか >>181
国鉄末期に一桁初期車が何両か留置されてたよ。
もしかしたら機関区跡でなんらかの改造してたのかめしれないけど。
35や36ではなく、30だった記憶。 度々すまん。
記憶は30だけど、36の可能性あり。 >>182
何れにせよキハ30系は山梨に無縁の車。
疎開とはいえなぜいたのか謎ですな。 箱は別物だけど、甲府機関区では過去に気動車の配置もあったしね。
心臓部は一緒だから、あの国鉄末期のゴタゴタの中で機関区廃止の余剰人員対策で解体かなんかしていたんじゃないかな。 >>175
「葉ッピーきよさと」は、その頃アンノン族と称する若い女性たちに人気の清里へ直通する列車だったね。今の夏の清里の状況はどうなんだろう。 >>186
> >>175
> 「葉ッピーきよさと」
これは小海線ではDD16が引いてたけど、電源はどうしてたの?
スハフ12辺りを連結してたこともあったと思うが >>186
人いないわけじゃないけどゴルフ目当てのジジイばかりだな。 1970年ごろ、上野に現れる「はくたか(上野〜金沢)」はなんと向日町所属の481系だった
関東で唯一見られる赤スカートでヘッドマークが巻き取り幕のクハには感動したっけ。
はるかな後に常磐線の「ひたち」に集結するとは思わなかったが。 急行能登は間合い運用で古河へのホームライナーやってたな。
平日のみ西日本の車両が茨城県に来るケース。 国鉄時代からホームライナー古河があったんですね(棒 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています