国鉄時代にこんな所までやって来た車輌 [無断転載禁止]©2ch.net
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沼津機関区にED75 39とEF30
四国にDD50とか >>133
国鉄末期の1986年11月1日のダイヤ改正時から
>>167
それは、長野の169系1本を新宿−清里・小海間の臨時快速「葉ッピーきよさと」号に使用
するため、首都圏(三鷹?or田町?)に貸出されたため、その代わりに田町の167系1本が
長野に貸出されて、臨時快速「スカイビーチ」に使用されたもの。
しかし、これって国鉄時代じゃなくて、JRになってからの話だと思ったが?
DL牽引の電車は、水前寺「有明」が有名だが、この「葉ッピーきよさと」は臨時列車のためか
意外と知られていないと思う。 >>174
キハでも山形から鳥取、直方から真岡とか普通にあったね。 >>175
いや、40代以上なら粗方のテツなら知ってるかと。 >>154-155
おそらく中央線乗り入れ開始前後〜東陽町開通までの間、トタ区に「仮住まい」してたやつが写り込んでたとか(乗り入れ開始前はミツ区をベースに国鉄乗務員の訓練をしてたそうな)? ED76が試験の為に東芝府中に里帰り、試験終了後に解体。 ゴハチ61、DD51888、ロクヨンセン、65F、キハ30。
国鉄末期に甲府に来たことがある。
あと、平坦向け153系は毎日甲府に来ていた。名カキの富士川用サハ153。 >>181
国鉄末期に一桁初期車が何両か留置されてたよ。
もしかしたら機関区跡でなんらかの改造してたのかめしれないけど。
35や36ではなく、30だった記憶。 度々すまん。
記憶は30だけど、36の可能性あり。 >>182
何れにせよキハ30系は山梨に無縁の車。
疎開とはいえなぜいたのか謎ですな。 箱は別物だけど、甲府機関区では過去に気動車の配置もあったしね。
心臓部は一緒だから、あの国鉄末期のゴタゴタの中で機関区廃止の余剰人員対策で解体かなんかしていたんじゃないかな。 >>175
「葉ッピーきよさと」は、その頃アンノン族と称する若い女性たちに人気の清里へ直通する列車だったね。今の夏の清里の状況はどうなんだろう。 >>186
> >>175
> 「葉ッピーきよさと」
これは小海線ではDD16が引いてたけど、電源はどうしてたの?
スハフ12辺りを連結してたこともあったと思うが >>186
人いないわけじゃないけどゴルフ目当てのジジイばかりだな。 1970年ごろ、上野に現れる「はくたか(上野〜金沢)」はなんと向日町所属の481系だった
関東で唯一見られる赤スカートでヘッドマークが巻き取り幕のクハには感動したっけ。
はるかな後に常磐線の「ひたち」に集結するとは思わなかったが。 急行能登は間合い運用で古河へのホームライナーやってたな。
平日のみ西日本の車両が茨城県に来るケース。 国鉄時代からホームライナー古河があったんですね(棒 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています