懐かしの広島電鉄 2両目
昭和53年頃西鉄から連接車を買ったが白地と薄紫の帯に塗り替えられたね
西鉄のカラーはマルーンとクリームの2トーンだから似ても似つかぬ 筆文字の方向幕
名鉄の筆文字駅名板以上のインパクトだった >>163
三連接を買おうとしたが西鉄時代の手入れが悪くて躊躇われ、結局二連接を買ってのちに自社で三連接化という手間を踏んだようだ いま思ったら宇品線と富山港線は路線の性格が似ていながら全く異なる転帰を辿ったな 医療関係者?
普通は転帰なんていわない。経緯ぐらい? >>167
昭和時代には依頼を受けて筆書きすることを生業にしている人がいたそうです
「書家」ともいいます 昔の代書屋、今で言う司法書士や行政書士とは違います 昭和53年頃には付いていた電車接近警告設備に感嘆した
あんなものは京都にも大阪にもなかった 広田の稼ぎ頭は不動産。
不動産で電車バスの赤字を埋めてる。
金額だけなら電車バスの方が副業。