懐かしの広島電鉄 2両目
地元の名鉄が毛筆体の駅名板だらけだったが、ココの幕を見たときはさすがに驚いた >>123
混雑緩和のために市内バスが一律180円に値下げされて分散化を図った。
これで少なくとも市内中心部での2号線の混雑は緩和された。
広島駅での折り返しが限界なんで増車は厳しい。 神戸から来た570が横っ腹にそごうの大きな広告を貼り付けられてので
鉄ちゃんの友達とデパート電車などと呼んで面白がってた
天満屋も福屋も車両や電停に広告は出してたが派手さはそごうの比でなかった
当時からそごうはバブル臭があったなw そごうはバブル臭というより、余所者視されてた。
実際、広告のコピーにも大阪弁が書かれてたり。
商売とて、郷に入れば郷に従えが掟のはずだが
そごうには驕りがあったか
ちなみにそごうの広告は広電オリジナルの連接車にも貼り付けられてた希ガス 鉄道線にいた阪急からの中古車の車内にあった広告挿しに宝塚歌劇の公演宣伝が遺されたままになってた >>131
元神戸市電のそごう広告あったなw
アラブの秘宝展みたいな眉唾な催し物の広告もあった
>>132
文字にされると大阪弁って本当にサムい
「一番安いで!」「買うてや!」とかw
ウチは絶対にそごうには行かんかった 京阪神三都の市電がオリジナル色でないにしても往時に近い色合いで走ってたのが良かった 非鉄の客なら懐古趣味よりもクーラー要求だろうな
1980年頃から各地で冷房路面電車がポツポツ出始めてて広電も3000とかデビューさせてたね 中沢啓二のチンチン電車の唄という漫画で 都電運転手に世話になった戦災孤児がそのひとの死後」
広島へ移住広電の運転手に最後なる という話だった 宮島線の方はボロいままでクーラーなど望む空気も無かったな >>140
格差がすごかった
やはり儲かってなかったからだろうか 高床式電車が宮島線で幅を利かせていた頃に親戚のおじさんが運転士していた
時々その電車に乗り合わせたら、関係者以外立入禁止のエリアで前面展望を楽しめた
今と違ってそのへんが緩かったから出来たことで、今やったら第三者に通報されるな >>141
元千里線の210はスマートで好きな車両のひとつだった
シートは阪急時代そのままに深緑のモケット
薄青味がかったガラスの戸袋窓も絶妙
のちに磨りガラスに替えられたっけ 宮島線で有人駅なのは西広島と宮島口くらいじゃないの >>146
幅広だが全長がみじかくて寸胴のイメージ
武骨だが細面の元500形の方がシュッとしていた 軌道線は旧所属時代の色を受け継いでいたので
鉄道線も阪急マルーンのままでいて欲しかった 広告が多くてカラーリングはそんなに気にならなかったけどね >>151
それは大阪市京都市神戸市だけですがな
西鉄なんかオリジナルの欠片もなかった 自前で連接車を発注できる財力があるのに西鉄から中古を買ったのね 福岡市内線廃止で大量に出物があったから手頃な値段で買えたと思ってみる
熊本市は買ったが鹿児島市や長崎電軌は買わなかった 鹿児島は連結運転OKだが長崎はNGだからじゃないの?
軌道線の車両政策は地元行政・警察の意向に左右される 市営だから警察に発言権があるというような憶測でしょう。 古巣のカラーが好評を博したのは京阪神三都の中古だけでしょ 昭和53年頃西鉄から連接車を買ったが白地と薄紫の帯に塗り替えられたね
西鉄のカラーはマルーンとクリームの2トーンだから似ても似つかぬ 筆文字の方向幕
名鉄の筆文字駅名板以上のインパクトだった >>163
三連接を買おうとしたが西鉄時代の手入れが悪くて躊躇われ、結局二連接を買ってのちに自社で三連接化という手間を踏んだようだ いま思ったら宇品線と富山港線は路線の性格が似ていながら全く異なる転帰を辿ったな 医療関係者?
普通は転帰なんていわない。経緯ぐらい? >>167
昭和時代には依頼を受けて筆書きすることを生業にしている人がいたそうです
「書家」ともいいます 昔の代書屋、今で言う司法書士や行政書士とは違います 昭和53年頃には付いていた電車接近警告設備に感嘆した
あんなものは京都にも大阪にもなかった 広田の稼ぎ頭は不動産。
不動産で電車バスの赤字を埋めてる。
金額だけなら電車バスの方が副業。