大正時代の思い出 [無断転載禁止]©2ch.net
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>>505
貴重な鉄ピク等の写真のアップありがとうございます。
金積んでもなかなか手に入らないかとも思う。
是非家宝に!! >>503
大正時代の頃、東武の列車が曳舟・亀戸を経由して両国まで乗り入れていたと聞いたことがある 上野から新橋迄の山手線の高架区間は明治末期にできたんだって。
今でもそのまま使っているのはすごいと思う。 >>511
関東大震災にも耐えた優れもの故、令和の時代でも普通に使われているのだと思う。 思い出はいつもキレイだけど、それだけじゃお腹がすくわ >>516
ジュディマリの歌にそんなフレーズが有ったように記憶している。 そのうち令和も懐かしまれる時代が来るんだろうなあ〜 >>520
未来の人たちは令和と言ったら何を連想するんだろうか? 京塚さんね。
本当におっ母さんて感じの女優だった。 全117話中最後の第3シリーズ38話しか映像が残ってないんだよな
どこからかキネコでも出てくればと思うが無理だろうなあ 大正時代のスペイン風邪はほぼ2年で終息したと聞いたことがある。
今回のコロナももう少しで2年。
そろそろ終息するかな? 後世の人たちは令和時代と言ったら何を連想するか興味深い。 まだまる三年経ってないのにそんなこと言っても分かるわけがないよ >>534
核兵器使ったら1日で終わってしまいそう たった15年で終わってしまったところにロマンを感じる >>536 その後の昭和初期〜戦中が暗すぎるからだろ。昭和4年(1929年)に世界恐慌、日中戦争、そして太平洋戦争と続く。大正時代も関東大震災あったりして決して平穏ではないが。 >>539
スペイン風邪も世界的に大流行したしね。
2年で終息したそうだから、コロナもそろそろ終息しないかな。 太田圓三自殺の記事読んで「なんじゃこりゃシェークスピアか」と思ったで >>541
とても頑張ったのにそれが認められなかったんだよね >>532
コロナが先ずは思い浮かぶのではないか? 以前の勤務先の最寄り駅が大正駅だったが、大正らしさを感じたことはなかった。
昭和っぽい商店街はあったが。 大正をモチーフにして町づくりをしている自治体は存在する >>546
かじった金メダルは交換するって聞いたけど、その後どうなったんだろう? あれは大正12年、関東の大地震の後に、福岡から甥っ子のすゑをを探しに3回ほど上京した。
細かい事は覚えとらんが昼夜半ちこう
汽車ん中で過ごさばならんかった。
よわひ58にしてワシもまだまだ若かったのう。
結局すゑをは見つからんで、灰になつてしもうたかと思いよったが、有る日朝起きたら家の前に真っ黒のルンペンがおって、誰かと思うたらそれがすゑをやった。すゑを無事だったんかと
家のもん皆で驚いた。すゑをはその後弁護士と
なり一族の未来を背負って立つと期待しよったが、昭和20年の空襲でたまたま爆弾が事もあろうに防空壕にすっぽり落ちて妻子共々肉片になって飛び散ってもうた。ほんに惨かことよのう。 >>550
関東大震災は天災、太平洋戦争は人災、どちらも悲劇だったね。天災は仕方ないかもしれないけど、戦争は繰り返してはいけない。憲法改正を考えている役人は、70年以上に渡って不戦を貫いている現憲法の重みを感じて欲しいね。 大正時代は電子顕微鏡ないからウィルスの観念はなかったはずだから、スペイン風邪の原因はなんだと考えられていたのだろうか? >>554
ウィルスを見ることは出来なかったけど
ウィルス自体の存在は分かってた
https://www.asahi.com/articles/ASN5X778QN5XUBQU008.html
ウイルスは顕微鏡で見えないが、 なぜ発見できたか 野口英世が黄熱病の研究で無理をして死んでしまったんだったな >>555
そのような方法を使って理論的に実証していく訳ね。
今で言えばクオークの存在を予言しているのと同じかな。
ありがとうございます。 山形の銀山温泉に行ったことがある。
まさに大正ロマンといったところだった。 >>561
おしんも最晩年には485系非貫通形が出てくる
これ豆知識な 第一話で485系つばさグリーン車とタクシーで銀山温泉へ行くおしん
第二話で14系と思われる座席車の夜行と路線バスで銀山温泉にたどり着く孫の圭 >>569
山形の貧しい農家に生まれた少女・おしんが、明治・大正・昭和の激動の時代を背景に、さまざまな辛酸をなめながら女の生き方、家族のありようを模索しつつ必死に生きる姿を1年間にわたって描いた。 原作・脚本の橋田壽賀子オリジナル作品。 >>569
おしんは明治34年生まれ
小林綾子の演じてた少女時代で明治は終わり
銀山温泉が舞台なのは現代(昭和58年)と明治時代なので
実はこのスレ的には関係ないのだが話の流れ上仕方がないわな
スペイン風邪から始まっておしんってのも面白い流れだねw 82歳だからまあ長生きと言えば長生き
ところで乙羽信子って当時59歳だったのな
大正13年生まれだからほとんど大正時代の記憶はなかっただろうなあ クロ157の中で鼻くそほじってらした昭和天皇が明治34年1901年産まれで崩御が1989年だからおしんと同い年。からすると1983年つばさの
設定はそんなに無理はないね。
昭和天皇の生涯の80年間に日本がどれだけ進歩したかを考えると実に感慨深い。 悪心の最終場面は昭和58年だったようだ。
その時まだ生きているわけだから、かなりのご長寿の設定だったんだと思う。 当時の平均寿命って80歳位だから特に長寿ってわけでもないぞ >>575
その年が終戦と現代のちょうど中間点の年になることに驚き
割りとつい最近な気がしてたんだが おしんの人気はすごかったね。
レアで放映中、沖縄の離島に旅行したが、宿のおばちゃんもその時間はテレビの前を離れなかった。
30年ほど前、東南アジアやインドを旅行したが、多くの人におしんの話をされた。 その頃の連続テレビ小説に「鳩子の海」というのも有った。 >>557
しかし金使いが荒くて…儂が貸した金帰って来んw >>583
橋田壽賀子氏に聞かないとわからない。
残念ながら氏は鬼籍に入ってしまった。 ラジオドラマ「君の名は」の頃は風呂屋がからになるなどの逸話が残っているけど、おしんにも何か逸話があるのかな? >>582
その視点は興味深いな。橋田本人の95歳がいいかも。 >>586
外国では放送中に停電になったことで暴動に発展したとか 日本では幸い停電は聞いたことがなかったけど、もし起きたら同じことが起きたと思う。 >>586
朝と昼の放送だったから銭湯が空になるような現象はなかった。 緑と黒の市松模様で花札下げて刀持ち歩くのは絶対不審者 >>591
現在では刀持ち歩くだけで銃刀法違反で逮捕だね。 >>592
大正時代だって明治9年太政官布告第38号で勤務中の軍人・警察官以外の帯刀は禁止 >>590
おしん放映の時間は列車の乗客がいなくなるようなことはあったのではないか? おしんが放映されていた頃は、街頭テレビにすごい人だかりが出来ていたと古老に聞いたことがある. >>597
その古老の言うことは信じないほうが良いぞw 人なんだけど人とは思わぬ、人を牛や豚同様に家畜のようにこき使う。社会悪というか、社会
的な富がそこまでなく誰かがそういう労働に甘んじなければならなくて、涼しい顔した善人でさえ、そうした人達の労働の果実におぶさっている。今でも技能実習生などはそうだよな >>598
大正生まれの古老には20〜30年位の誤差は誤差のうちに入らないから、大目に見てね。 おしん放映の時間に列車の乗務をボイコットする運転士・機関士・車掌はいなかったんだろうか?? >>602
実はおしんに娘がいて、名前が「おしん子」と言ったという古老の話も信じないほうが良いかな? >>603
まあその人がおしん見てないのは確かだなw ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています