大正時代の思い出 [無断転載禁止]©2ch.net
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>>490
> 大正時代の北千住の常磐線って電化されてたのかな?
非電化
電化は1936年つまり昭和11年
松戸までね 486は昭和12年頃
488は昭和35年11月
いずれも西新井車庫での画像
昭和2-4年系前期合造車型クハユ3
(→クハユ292)昭和10年頃、西新井付近
https://i.imgur.com/TlmyTLH.jpg
昭和2-4年系後期合造車型デハニ5
(→モハニ5473)昭和12年頃、西新井車庫
https://i.imgur.com/Pz5VXt3.jpg
昭和2-4年系後期普通車型デハ52
(→モハ3222)昭和12年頃、西新井車庫
https://i.imgur.com/PpfF4kL.jpg
大正14年系デハ104
(→クハ421)昭和12年10月24日、西新井車庫
https://i.imgur.com/Gw9njdN.jpg
総武鉄道モハ1104
(→クハニ473)昭和13年頃、柏
https://i.imgur.com/6FIazr2.jpg 昭和11年電化ですか。。
すると大正の北千住駅では東武線が颯爽と
電車が走ってたのに対して常磐線は綾瀬亀有金町含めて蒸気機関車がシュポシュポ言ってたのかな?それともガソリンカーでも走ってたのかな。北千住より北の常磐線は今では考えられない程の田舎だったんだろうねほぼ原野かな。 >>495
以北も沿線風景はかなり田舎だけど、元宿場町だった所も多いからそれなりの利用者はいたのでは? >>494
鉄ピクまだ続いてるんだね
創刊号もってるわ >>497
創刊号持ってるってすごいと思う。
自分も確認したところ、一番古いのは1964年、5月号、224号だった。
っていうことは創刊号は終戦直後だったわけだね。 >>499
昨日まで画像アップ出来たのに
not foundになってしまった
創刊号は1951年7月です
1960年頃からカラーのページが増えました >>500
初期の頃は毎月発刊ではなかった訳ね
自分は1977年頃からはほぼ毎月そろってる。 >>492氏のデハ104のテールライトのシェード
みたいなのは何だろう? 防空用にしては昭和12
年はちょっと早いよね。 元々外掛け式が目がないバケラッタみたいでおっかないのがますます怖い >>495
> すると大正の北千住駅では東武線が颯爽と
> 電車が走ってた
大正13年電化だから大正時代もほとんどは東武線も汽車だよ >>502
元々、大正時代の電車にはヘッドライトが搭載されていないものが多く、御指摘の箇所に外付け電照灯を掛ける構造だった模様
投稿した画像は製造から10年以上経過しており、途中で改造されたと思われます
スマホからChMateで画像投稿出来ないのは自分だけなのかな? >>505
貴重な鉄ピク等の写真のアップありがとうございます。
金積んでもなかなか手に入らないかとも思う。
是非家宝に!! >>503
大正時代の頃、東武の列車が曳舟・亀戸を経由して両国まで乗り入れていたと聞いたことがある 上野から新橋迄の山手線の高架区間は明治末期にできたんだって。
今でもそのまま使っているのはすごいと思う。 >>511
関東大震災にも耐えた優れもの故、令和の時代でも普通に使われているのだと思う。 思い出はいつもキレイだけど、それだけじゃお腹がすくわ >>516
ジュディマリの歌にそんなフレーズが有ったように記憶している。 そのうち令和も懐かしまれる時代が来るんだろうなあ〜 >>520
未来の人たちは令和と言ったら何を連想するんだろうか? 京塚さんね。
本当におっ母さんて感じの女優だった。 全117話中最後の第3シリーズ38話しか映像が残ってないんだよな
どこからかキネコでも出てくればと思うが無理だろうなあ 大正時代のスペイン風邪はほぼ2年で終息したと聞いたことがある。
今回のコロナももう少しで2年。
そろそろ終息するかな? 後世の人たちは令和時代と言ったら何を連想するか興味深い。 まだまる三年経ってないのにそんなこと言っても分かるわけがないよ >>534
核兵器使ったら1日で終わってしまいそう たった15年で終わってしまったところにロマンを感じる >>536 その後の昭和初期〜戦中が暗すぎるからだろ。昭和4年(1929年)に世界恐慌、日中戦争、そして太平洋戦争と続く。大正時代も関東大震災あったりして決して平穏ではないが。 >>539
スペイン風邪も世界的に大流行したしね。
2年で終息したそうだから、コロナもそろそろ終息しないかな。 太田圓三自殺の記事読んで「なんじゃこりゃシェークスピアか」と思ったで >>541
とても頑張ったのにそれが認められなかったんだよね >>532
コロナが先ずは思い浮かぶのではないか? 以前の勤務先の最寄り駅が大正駅だったが、大正らしさを感じたことはなかった。
昭和っぽい商店街はあったが。 大正をモチーフにして町づくりをしている自治体は存在する >>546
かじった金メダルは交換するって聞いたけど、その後どうなったんだろう? あれは大正12年、関東の大地震の後に、福岡から甥っ子のすゑをを探しに3回ほど上京した。
細かい事は覚えとらんが昼夜半ちこう
汽車ん中で過ごさばならんかった。
よわひ58にしてワシもまだまだ若かったのう。
結局すゑをは見つからんで、灰になつてしもうたかと思いよったが、有る日朝起きたら家の前に真っ黒のルンペンがおって、誰かと思うたらそれがすゑをやった。すゑを無事だったんかと
家のもん皆で驚いた。すゑをはその後弁護士と
なり一族の未来を背負って立つと期待しよったが、昭和20年の空襲でたまたま爆弾が事もあろうに防空壕にすっぽり落ちて妻子共々肉片になって飛び散ってもうた。ほんに惨かことよのう。 >>550
関東大震災は天災、太平洋戦争は人災、どちらも悲劇だったね。天災は仕方ないかもしれないけど、戦争は繰り返してはいけない。憲法改正を考えている役人は、70年以上に渡って不戦を貫いている現憲法の重みを感じて欲しいね。 大正時代は電子顕微鏡ないからウィルスの観念はなかったはずだから、スペイン風邪の原因はなんだと考えられていたのだろうか? >>554
ウィルスを見ることは出来なかったけど
ウィルス自体の存在は分かってた
https://www.asahi.com/articles/ASN5X778QN5XUBQU008.html
ウイルスは顕微鏡で見えないが、 なぜ発見できたか 野口英世が黄熱病の研究で無理をして死んでしまったんだったな >>555
そのような方法を使って理論的に実証していく訳ね。
今で言えばクオークの存在を予言しているのと同じかな。
ありがとうございます。 山形の銀山温泉に行ったことがある。
まさに大正ロマンといったところだった。 >>561
おしんも最晩年には485系非貫通形が出てくる
これ豆知識な 第一話で485系つばさグリーン車とタクシーで銀山温泉へ行くおしん
第二話で14系と思われる座席車の夜行と路線バスで銀山温泉にたどり着く孫の圭 >>569
山形の貧しい農家に生まれた少女・おしんが、明治・大正・昭和の激動の時代を背景に、さまざまな辛酸をなめながら女の生き方、家族のありようを模索しつつ必死に生きる姿を1年間にわたって描いた。 原作・脚本の橋田壽賀子オリジナル作品。 >>569
おしんは明治34年生まれ
小林綾子の演じてた少女時代で明治は終わり
銀山温泉が舞台なのは現代(昭和58年)と明治時代なので
実はこのスレ的には関係ないのだが話の流れ上仕方がないわな
スペイン風邪から始まっておしんってのも面白い流れだねw 82歳だからまあ長生きと言えば長生き
ところで乙羽信子って当時59歳だったのな
大正13年生まれだからほとんど大正時代の記憶はなかっただろうなあ クロ157の中で鼻くそほじってらした昭和天皇が明治34年1901年産まれで崩御が1989年だからおしんと同い年。からすると1983年つばさの
設定はそんなに無理はないね。
昭和天皇の生涯の80年間に日本がどれだけ進歩したかを考えると実に感慨深い。 悪心の最終場面は昭和58年だったようだ。
その時まだ生きているわけだから、かなりのご長寿の設定だったんだと思う。 当時の平均寿命って80歳位だから特に長寿ってわけでもないぞ >>575
その年が終戦と現代のちょうど中間点の年になることに驚き
割りとつい最近な気がしてたんだが おしんの人気はすごかったね。
レアで放映中、沖縄の離島に旅行したが、宿のおばちゃんもその時間はテレビの前を離れなかった。
30年ほど前、東南アジアやインドを旅行したが、多くの人におしんの話をされた。 その頃の連続テレビ小説に「鳩子の海」というのも有った。 >>557
しかし金使いが荒くて…儂が貸した金帰って来んw >>583
橋田壽賀子氏に聞かないとわからない。
残念ながら氏は鬼籍に入ってしまった。 ラジオドラマ「君の名は」の頃は風呂屋がからになるなどの逸話が残っているけど、おしんにも何か逸話があるのかな? >>582
その視点は興味深いな。橋田本人の95歳がいいかも。 >>586
外国では放送中に停電になったことで暴動に発展したとか 日本では幸い停電は聞いたことがなかったけど、もし起きたら同じことが起きたと思う。 >>586
朝と昼の放送だったから銭湯が空になるような現象はなかった。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています