昔の上信電鉄を語る
部品を廃車体から引っ剥がして取り付けるのは良いけど、
ちゃんと作動するのかな >>79
くっつけてみていごかなかったらすぐ外してぶちゃるべよ。
世話ねえからくっついたまんま使ってんじゃねんかい? 今テレビの再放送で井森さんが上信の宣伝してる
郷土愛だね >>60
安全対策の根幹的な部分の欠陥が顕になったから。
他のローカル私鉄で起きても同じくらいのダメージになってたとおもう 地元に住んでいながら高崎→根小屋と南高崎→高崎の2回しか乗ってない
市役所発着なら便利だったが 電車好きなのに乗ったことがないってのがなんとも。。。
高崎駅も改札が一箇所だけになってホームにたどり着くまで一苦労だよな やはり1000系が俺の青春だった
写真を何枚撮ったことか…
小遣いは全部フィルム代に消えた youtubeでバーチャル乗車したけど車窓の光景はマンションだの田園風景だの新幹線の高架だの見慣れた風景ばっかりだな 1000系がサーモンピンクにならなくて良かった
もしそうだったら賞も取れなかったかもしれんよ というかそもそもどういう所以であんな奇異な色にしてたんだろ
ピンクなんてナチュラルな色ではないのに >>93 西武のように腰回りをサーモンピンクで、窓の辺りがベージュないし黄色系という塗分けにするやり方もあるが、塗装が面倒なので紫の帯を巻くだけにしたのでは?
後には帯もなくなり、サーモンピンク一色。なぜ、サーモンピンクなのかというと、安かったとか手に入りやすかったからなんでは? 地理的に全く無縁だが熊延鉄道もピンク塗のヂーゼル車がいたよ ピンクはもともと彩度が低いから色褪せしても大してみすぼらしく見えないからなんじゃね?
よく解体待ちの赤の交流機が色褪せてピンクになってみすぼらしい姿になってたよね。
あとは杉花粉の汚れが目立たないようにとか?
1000なんて黄ばみ放題だったじゃん。 色褪せの件、
昔ダークグリーンが多く採用されていたのもそういう事情のためでしょうか >>97
“彩度が低い”じゃなくて“明度が高い”が正しいみたいだm(_ _)m かつてはサーモンピンクの地に紫の細幕という塗分けだったが、何故、幕を暗い色にしたのか?
昔の一畑や流山、あるいは京急のように、白や黄色系の色であれば視認性向上で効果があるんだが 視認性を言えば、登場時のクリーム&マロンよりピンク&紫のほうが視認性高くないか? そう言えば100系って駆動装置の具合が悪くて、負荷がかからなくなったモーターが高速回転してた
ことなかったか?
乗っていて、余程運転士か車掌に教えてやろうかと思ったが、こんなひどい音に気付かない
わけがないし、知ってて大丈夫だと判断して運行してるんだろう─。と、思った。
実際、どうなん?心配ないんかい? 中曽根が政治家やらず中曽根パパみたいにここの経営者になってればもっと積極経営になっただろうな まあでも1000形デビウしたときの印象は今でも鮮明。
70年代も半ばって新性能化の波も一段落して、車両デザインも一応落ち着いてたと思う。
そこへ一枚前面窓、ワンハンドル、Z型?の塗り分け、、地方私鉄でこれはないやろ、と
私鉄王国だった関西の隅っこで声を押し殺しながら、新車グラビアの載った月刊誌を立ち読みしてたw >>99
戦後じきのダークグリーンは軍用機向け塗料の放出の結果らしい。 そう言えば下りで検札する車掌ってカッコ良かったなぁ。
揺れる車内で足をハの字にして立ち、よろけないで車補を切る姿は、国鉄の特急や急行の客専
みたいでさぁ。 カッパピア線があったころはよく乗った。小学生時代の写生大会のときは臨時列車が仕立てられた。 >>49
そうかも知れないが片田舎にこんな風体の電車が颯爽と登場したらときめくだろう
最初か2番目かの問題じゃない あら町かどこかに路面電車の線路が残ってるんだよな
石材店かなんかの敷地内だったか www.facebook.com/events/377278362430327/
これは東武のじゃないよね
なんか狭すぎる 勘違いかな?
前橋に東武のレールと石が残ってるって頭にあったから
高崎のは知らない >>32
懐かしいー、息子さんと同級生だったよ。テレビに出たこともあったよね。途中でどこかに引っ越して行った記憶が・・・。 上信電鉄は田舎道を通るんだよね。吉井駅から西吉井な間だったかな、田んぼの中を走るんだけど電車が走ると田んぼにいたシロサギがパァーっと飛び立つんだよ。あの景色、好きだったなー。 >>117昔NHKで観た時は母親が住み込み駅員で息子が運転士やってた。 ひょっとして上信電車のローズレッドって 200系に二次車(西武所沢工製)導入時からの
色じゃね?ダトしたら西武の赤電ローズをその侭塗ってアクセントに紺帯を入れたのでは?
大手と同色を使えば塗料調色、塗料メーカー調達も安くなりそうだし・・・。 200といえばガキの頃、正面の表示幕が欲しくて欲しくて仕方なかったw
当時は廃品即売なんてなかったもんな >>122
よく許可を出したな
まさか無許可のゲリラ撮影? 貸し切り運転だろうけどAV撮影と知りながら許可したのか >>123
気持ち分かる
行き先だけでも価値あるのに、ご丁寧にも種別まであったのだから 種別といっても鈍行(普通)しかないから要らないわな 根小屋駅周辺の変貌ぶりに驚いた
いつの間にか高崎のベッドタウンで高層マンションで囲まれちゃってる ニッポンの超絶技巧!直美&千鳥のこまったときのお直しさん★1 昔、200型の普通列車に乗った時に95km/hまで速度上げたことがありました。
上信は昔、95km/hまで出せたんすか? ピークさえなかった会社の方が多数だから上信は幸せだよ 多くの中小私鉄のピークは昭和30〜40年代初め位なんでは?その時期にバス転換した所もあるが。 今の時代によくあれだけの新車入れたなというのは感心した
やはり世界遺産さまさまか 長電・一畑とは路線距離とかは同等でも沿線に大した観光地もそれなりの都市もなく、ましては車社会のグンマーじゃ…でここの優等列車は残らなかったな。
今更再設定しても万年空気輸送になるだろうが線形も車両性能も上2社には劣らないことを考えると残念よ この動画を倍速再生すると往年の急行を偲ばせる爆走っぷりを味わえるな
https://youtu.be/y7fPz4kdRdQ
しかし遅いのは各停のスジに乗っけてることに加えてやっぱり軌道回路も弄ってるのかねえ >>146 特急料金取る優等列車で儲けていたが、観光地への道路が整備されたために優等列車の乗客が減り、儲からなくなったのが長電ではないのか?
島根も長野も群馬同様、車社会だよ。で、長野と高崎、人口規模同等なんでは? それに高崎、前橋の経済力、商業集積って長野より大きいんじゃないかな?
長電や一畑はそれがないから観光客輸送をあてにしなくてはならなかったわけだが。最近ではたかが知れてるけど。 長電は観光に重きを置いた路線ではないよ
特急料金だって席の指定しなければ端から端まで乗っても100円しか取らないし 鹿児島交通と色が似ている、鹿児島交通のが退色してくると
ますますそっくり 貨物がまだ元気だったころに、秩父鉄道の貨車がデキに惹かれて高崎駅に停まっていたのを見た
引き戸のど真ん中に上信社章とは別の見慣れぬ紋章が付いていた
それが秩父鉄道のものと分かるのはカラーブックスを買ってからのことだった ローカル私鉄の社章を知る手段といえばカラーブックスを読むしかない時代だったね 他社ではあまり見かけないピンクの車体の一団を見ると高崎に着いたことを実感できた >>161
ピンクの電車も分かるが俺はあのガラス張りの本社ビルが高崎の象徴なんだと >>162
1960年代に国鉄115系の上信電鉄への乗り入れがあったらしい
高崎で転線してたみたい
上信電鉄を走る115系がイメージできない >>164
昭和37年の時点では、上野下仁田直通あらふね号があった。高崎で4両に切り離した80系
もっと前は国鉄客車をデキが牽いていた。ソースはピクトリの私鉄車両めぐり 富岡の製糸工場が歴史遺産に認定されたから、また上野から直通列車運転しないかな 1980年代だったかな?
途中に吉井と富岡しか停まらない急行電車や、
急行停車駅プラス福島、一ノ宮にも(他にも停車駅があったか)停まる快速?準急?が無かったかなぁ? 1000系の種別幕に急行と快速があったのは覚えている
準急もあったのか… もと西武451は方向幕の下に小さい種別表示がぶら下げられるようになってた