続行運転の思い出 [無断転載禁止]©2ch.net
路面電車でよく見られた続行運転の思い出を語ろう。
(現在でも実施されている路線はあります) そもそもの>>44のレスの内容が本来の続行運転(単線区間で続行標を掲げる云々)の定義から逸脱していると思う
で、それを指摘した>>45 ID:F20rH6jeに対しID:gpnakY2Zが>>46>>47で持論を展開しているが、
前提条件となる>>44の内容が前述の通り続行運転の定義とはかけ離れているので
>>48ID:o7INz3ePの屁理屈というのは的外れな意見ではないと思う
いずれにせよ2か月以上のレスを蒸し返したあげく、難癖ととらえた>>58>>60はもっと冷静になってくれ 軌道線の続行運転と鉄道線の他頻度運転は全く別物だからね 写真では見たことがあるが実体験はないなあ
名鉄美濃町線に乗りに行ったときにチャンスはあったが、
大して興味もなかったので無視してしまった >>65
1980年代に朝ラッシュ時の新関〜競輪場前間で後追い運転のスリルが充分堪能出来た。 >>65
俺も美濃町線で目撃できたな
前が880、後ろが元札幌市電。
市街地区間に入ると自動車が隙間にどんどん入り込み、
続行とはいえ後ろが引き離されていくのがデフォになったいたようだ
自動車は指示器も出さぬままに右折やら、電車接近でもお構いなしに急停車など
とにかく岐阜の街は電車に冷淡だった。 岡山もマイカーマナーが相当悪いが
あっちは市内電車が健在だな。
どういうわけかな 「続行運転」は意味が2つあって路面電車での目視での続行運転と普通鉄道での信号システム上での続行運転があるよな
後者は「セクショントレイン」とも呼ばれ新大阪発の朝一ののぞみ200号の3分後にのぞみ202号とか多数ある
前者の続行運転は先行車が非常ブレーキを掛けたり後続車がぼんやりしたりしてると追突事故の原因になって実際都電荒川線で追突事故やらかしてる 法規的に一つの用語で二つ以上の定義があることはまずあり得ませんから。
都電みたく目視し注意力のみで前の車両に近付くのは続行運転じゃなくて追従。
通標も続行標も用いてませんから。
続行すれば必然的に追従となるわけだけど、その連続して車両が走ってくる光景をさして
続行と言ってるんじゃないの?
追従どころかセクショントレインまで続行だと言うなら、毎朝駅に向かう自転車だってワンマンバスだって
続行だよ…、って話よw 長崎電鉄の大浦天主堂、今でも手前で滞留してるの?
3年前に乗った時は10分以上停車したが
確か、通票や続行標の扱いでポカやったんだっけ? >>72
先行車両との距離が百メートルあるかどうかで続行と追従が変わるんじゃないの? >>67
割り込みはどこの都市でもあるよ
廃止になった京阪京津線の路面区間もひどいものだった
特に春と秋の観光シーズンな。
ここでは続行運行はなかったが三条行きが東山三条手前から
混雑で完全に止まってしまい、後続が追い付いて結果的に続行になってる光景を見たのは一度や二度ではない
この時もクルマ(タクシーも含めて)は
指示器なしの車線変更や割り込みなど滅茶苦茶で
京阪運転士の気苦労は計り知れないものだったと思う >>73
そのポカもあって続行はめったにやらなくなったよ
今でも大浦海岸通で下手すれば結構待たされる >>75
結果的に続行というか、それは俗に言うダンゴ運転だろ 続行運転って単線の閉塞区間で続行票が云々の話じゃないの?
路面電車を見たこともないチルドレンには団子運転も続行運転になるのかな 名鉄美濃町線で俺が乗った電車の後ろにもう1両電車が追いかけてくるのに遭遇した事がある
これが本当の続行運転だな
連結した方が安全だとか意見が出そうだが後ろの車両に車掌を乗せなければならずトータルでは人件費は変わらない上に併用軌道では全長30m以上不可(グリーンムーバーや京阪800系は特認である) でもさぁ、のぞみのセクショントレインでさぁ、先発ののぞみが続行票だして、後発ののぞみが通票入れた
キャリア携えて軌道法に則った運行をしてたら萌えるよな、ある意味。 >>76
やはり大浦海岸通で糞詰まりになるのか
ミスがあった以上、よほどでなければ通票や続行標は使わないだろうし
複線区間の延長もムリそうだ
大浦天主堂方面に行くときのストレスは永遠に続く… 30m制限がありながらも特認でOKされるなら続行より連結の方が良いかも
京阪や広電は何を理由に特認を勝ち取ったのだろう >>85
京阪京津線や広電の市内線は普通鉄道との直通路線だからだろうね 広島電鉄は意味があるが、京阪はたった一駅間だけで、
なんだかなあ・・・・ >>85
理由はどうあれ地下線と併用区間を同一車両かわ走る抜けるって
全国でもここだけじゃない?
京都側の併用区間が無くなったのは残念だが
東西線乗入の価値はこれにあると思ってる。 名鉄美濃町線の思い出としては続行の先行車はそこそこの混み具合だが、
後続車はガラガラという光景。
少しでもはやく目的にに着きたいという心理なのだろうか アレは行先が新岐阜と徹明町だった
時間帯にもよるが、徹明町(柳ヶ瀬)に用がある人は少ない
そもそも、乗客の絶対数が少なかったけど 徹明町というかあの一帯って市内線が健在の頃からすでに衰退が始まってたよね
だから客が少ないのは道理。
需要に合ってない便を設定しても意味無いのになあ… 1980年代までなら続行(しかも連結車)を出すくらいに
美濃町線は活況を呈してしたのですか 阪堺の続行は昔からあったの?
今はevent的になってるが、、、 >>93
>需要に合ってない便
だから新岐阜行の二本に一本くらいしかなかったじゃん >>95
堺市中心部分は通常の信号機が付いてるから続行は不可能かも 住吉の手前で恵比寿町行きと天王寺駅前行きとの連チャン
追突寸前、前の車両のギリギリまで詰めていた それはさすがに過小評価だわ
交通機関としてのプレゼンスは80年頃まではあった >>95>>98
それはただの団子運転であって続行運転とはいわない 美濃町線は1981年の15分ヘッド化が最後の挑戦状だった
しかし、安い通学は別として沿線から見向きもされず
もともとクルマ社会だったし、岐阜バスの冷房化が早かった
誰しもが、ノロマの暖房車に嫌気がさしていた
続行運転は興味深かったが、行き違い待ちの長さにイライラした そうね
行き違いの待ち合わせ時間の長さが致命的
特に朝は気が急いてるのにボーッと待たされるのは苦痛以外の何物でもない >>103>>104
こういう事情を無視して「岐阜市内線・美濃町線が無くなったのは岐阜市の陰謀」だとかいう迷信が広まっているな
行政が消極的だったのは事実だが、名鉄や利用者の事情も無視できないのにな 続行運転の最たる悲惨な事故は東中野駅列車追突事故だろう >>105
他には名鉄は愛知の企業だから岐阜にとっては目障りなので冷淡だった、とかね
まあ取るに足らない話。これが世にいう都市伝説なんですかね >>104
それはどこの単線区間でもあり得る話だな 美濃町線の場合、遅さや暑さはもちろん、運賃の問題もあったなぁ
関あたりはともかく、近距離はバスより割高だった
均一と対キロを合算したので、わずか数キロで300円超とか
揖斐線の近ノ島〜尻毛付近も同様
連接車の続行運転は迫力満点だったけど… 続行運転の時黄色でZと現示する信号、
美濃町線で見られたが、廃止後豊橋鉄道に移設され、いつしか豊鉄でも続行でZ現示をするようになったのね。
豊鉄では美濃町線よりかなり早く自動信号が導入され、電球色で"続"と現示していた。 赤岩口と運動公園前の出発信号機が美濃町線単線自動信号区間の移設で、
井原のサイゼリヤ付近の信号機は関の踏切から移設したと思われる。
井原カーブの、直進と右折矢印の信号も美濃町線? 富士急行でも、1970〜80年代前半に、新宿−河口湖間の臨時快速列車が、大月駅で分割
併合されて、富士急行線内は続行運転となる列車があった。当時のRJ誌には「ホームの
有効長の関係ではなく、変電所の容量の関係で続行運転していた。」と書かれていた。 美濃町線の続行な
先発と次発とで終点が違う(どちらかが途中折り返し)で乗り間違えないように
停留所に止まる度に乗り換えを促す放送をしていたのを思い出す
地元人は慣れたものだが一見客はスルーしがちで戸惑ったことも多かったのではないだろうか 続行は平日朝のラッシュアワーだけに走るので
一見さんはいない 中央線快速は信号を5現示にして、
朝のラッシュなんかは信号セクションを
一杯に使うほぼ続行。
地下鉄銀座線も車上で見えないけどほぼ同様。 美濃町線は競輪場前〜日野橋で続行していたが、
上下とも野一色乗換を案内してなかったか? 停留所に止まる度に(野一色での乗換を)乗り換えを促す放送をしていた
のかもしれん >>116
いやいや、ここにいるのだよ乗り鉄のために平日早朝に乗っていた非地元民がw
廃止報道がなされて以降、多いとはいえないまでも撮り納め乗り納め目的で
続行に乗ってたマニアはいた 昨日、約10年ぶりにR156を走って関市へ
所々、廃線跡を使って交差点を拡幅してるな
小屋名〜新関手前など、道路に完全に飲み込まれてしまった 「ほぼ続行」ってのはまだまだあるが、
「正式な続行運転」は、もう全滅では?
長崎か広島でまだあったりするの? >>122
まず続行運転の定義をしっかりと定めないとな
単線区間での続行運転か、ただの団子運転か いつだったか、長崎電鉄が通票や続行票の扱いでポカやったんだよな
そのせいか、俺が乗った時は単線区間に律儀に1両ずつ入れていたから海岸通で糞詰まり
3両が滞留、進入まで10分以上待った記憶 美濃町線が人気ですな
自分も葬式鉄やったんで、>>120のいう一団の中に居た笑 路面電車の走ってる街に暮らしてるとそんなに珍しいものでもない >>130
地元の皆さんに迷惑をかけなかっただろうな? 土佐電鉄はどうだった?
まだ活気があった頃に重連しつつ、
何かの事情で続行もやってたとか 土佐は重連しかないんじゃないの
そのために600は総括制御可能な設計にしたのに 北鉄金沢市内線最後の仇花2300も連結可能だったのでは >>131 >>134
きちんと続行標識つけている、正式な「続行運転」なの?
ダンゴ運転なだけはダメよ >>138
というか当時は路面電車は道路渋滞の根源、完全に悪者・邪魔者扱いで
どんな申請も却下だろう
とにかく早く廃止しろ、と警察は毛嫌いしてた 岐阜も長良北町に行く線は道が狭い区間があった
クルマには邪魔っけにされてた
今からでもそう思う スレチっぽくなるのでこれだけにしとくが岐阜市内で最も電車を邪険にしてたのは路線バスよ >>145
複線だから美濃町線みたいな通票上の続行運転はなかったよね
団子運転は普通にあっただろうけど 個人の勝手なイメージだが市内線は単線より複線の方が趣がある
美濃町線より長良線、だった すみません、他スレで、いわゆる続行運転および続行標掲出は「単線区間のみ」だという内容を読みました。
自分は単線複線関係なく「離れた2つの単行列車を1つの列車としてみなす」のが続行運転だと認識してましたが
ちがうのでしょうか??
その人が言うように、複線区間における続行運転はありえないのですか 今全国の複線区間を走っている路面電車が続行標識出しているか?
そもそも昔の美濃町線の時刻表を見たらわかるけど一つの列車じゃないし 今日、クルマで岐阜へ
藍川橋から大船霊友会の間、
美濃町線のカーブには太陽光発電のパネルが…
その後通った琴塚は、駅ホームが残ってた
気休めにもならない風鈴電車に乗った真夏、
暑さと遅さにイライラしたあの日の記憶がよみがえる
あぁ、あの黄色い続行票が懐かしい 競輪場前で徹明町方面の美濃町線車両と新岐阜方面の田神線車両との間を
助役氏が通票持って忙しく走り回っていた光景を思い出したわ ここまで江ノ電なし、鉄道法なのに目視で続行してるのをお上から改善しろといわれたらしく
600と800を買いそろえて、後ろをくっついてた100はレギュラーから抜けた >>152
交通量の多い公道上を走り回るのは怖かっただろうなあ
雨の日も風の日も…危険手当でも付いてたか >>149
現行各地の続行運転らしきものは単なるダンゴ運転で正式な続行運転ではないじゃん >>156
ここでの定義考えような
1嫁
>現在でも実施されている路線はあります
と明記されている
つまり2016/01/28(木) 23:09:11.69時点で存在してるんだ 美濃町線の市内区間だけでも複線化できなかったのかな?
続行を出すくらいにお客がいたのでしょ? >>158
続行は新岐阜発着と徹明町発着と二系統あるからであって
乗客が多かったからじゃないよ
乗客が多かったなら連結運転すればいいだけ