思い出の福岡市営地下鉄 [無断転載禁止]©2ch.net
150万市民の足として活躍を続けている福岡市営地下鉄の思い出を語ろう 国鉄との連絡路に画廊みたいなスペースがあって抽象画が貼り出されてだが不評だったのか
やがて市の広報に変わってしまった >>119
先に水道管やガス管や電話ケーブルが埋められたら
深く掘らざるを得ない 杭打ちのせいで建物が傾いたやら壁にヒビが入ったとか
クレーム対応が大変だったらしい >>123
大濠公園の近くの空研工業の敷地に地下鉄工事の杭打機が倒れた事も有ったしな 懐かしというほど古くないけど
七隈線工事の陥没瞬間動画は世界中に流れて有名になった
知り合いの留学生(マレーシア)も知ってた
あちらの国の人気ワイドショーやテレビニュースで
何度も放映されたんだって 日本の土木技術がこんな程度なのかと誤認してほしくないね >>123
あれって全部税金で弁償されるの?
市民でも地下鉄に乗るチャンスのない人は取られ損だな 福岡の地下鉄車両車内車端部には関西の電車みたいに車内に小旗を掲げる旗竿ホルダーがあるね。
昨年の天皇陛下即位の祝賀行事の日には日の丸を掲げたりしたのかな? >>117
小学生の時に配布された社会科の副読本で地下鉄工事の話が出ていて
海に近いから掘り出した土に塩分が多く含まれていて掘削機械や運搬車両が塩でやられないよう水洗いが大変だったとか、
土砂が乾いて砂が舞うと作業員の口に入って塩辛かったとか、
現場の苦労がよく分かった
感想文を書かされて作業員さんありがとうみたいなことを書いて
先生から二重丸をもらえた 重機のなかには塩が付くと寿命が半分くらいに縮んでしまうものもあると聞いた 切符を折ったり曲げたりすると自動改札機で詰まりますので、
折ったり曲げたりしないでください。 待ちあわせのときとか改札眺めてると思うが、いまだに紙の切符で乗る人多いよな 昭和バスはまだnimocaが使えない路線があったり 昭和58年から59年頃まで、
中洲川端と呉服町を起終点とする、
超短距離列車が多数設定されていた。 登場時の103系1500番台の評判はどうだったんだろう?
財政が厳しい時代の国鉄にしては精一杯の贈り物じゃないかと
個人的には思いますが。。。 >>145
比較対象がセミステンレス車体・チョッパ制御・ATO装備の福岡市交通局1000系ですので
登場当初から「国鉄の車はボロっちかね」という評判 窓がガタガタいうのが素人にもボロさを感じさせてた。 国鉄201系でやりたかったけど財源的に出来なかったことを盛り込んだような車輌に103系が相手になるはずもなく
1000系は「どうせ買うなら高くても良いもの買った方が結局は安くつく」という福岡的気質を反映しているように思える 地下鉄線内では車掌のアナウンスも聞こえない程の轟音 1000系が機器類を取り替えたとはいえ事故廃車の1両を除いて全車現役であるのに対し
103系1500番台は既に半数以上が廃車され筑前前原以西で3両編成のローカル運用
「安物買いの銭失い」が当てはまる例 >>154
まぁ、これでも新車で筑肥線に来ただけでも・・・
元々は203を常磐〜千代田線に投入→捻出した103-1000を筑肥線に転用・・・
って算段だったからね。 おれもどうせ東西線やら千代田線やらの乗り入れ車両のお古が回ってくると思っていたから、
新車は意外だった。
しかし、新車にするなら201系のA-A基準対応型にしなかったのは納得いかなかったね。 当時の新聞にも取り上げられたほどなので新車投入は一大エポックにはなった なんかのスレで103ラストランが原型の面影が全くない1500番台だと萎えるから九州は早よ103-1500廃止しろ言われて草生えた 105系、119系と同じ顔でも白目wだったのが印象的だった。 白目かw
笑いをとりにいってるのかと思ってしまうファニーフェイス >>155
もし103系1000番台が転用されてたら2000年前後に303系に全車置き換えられてただろうし、
303系の製造両数はもっと多かったと思う。 201系の側窓はバランサー付なので片手で楽々開閉できる。
という記述を鉄道ジャーナルで見たおぼえがある。
103系1500形もそうなの? >>162
分かる
なのでJRに変わった時が残念でなあ。。 塗り潰され顔つきがパッとしなくなり、
えいじ君監修?の塗装変更でアホみたいな顔にされ… 今更だけど1000系非常扉の小窓化→ワイパー取付の際、何で大窓のままワイパーを取付なかったのか?
VVVF化で大窓化された際そこだけ嬉しく思えた記憶がある。
それと京阪6000系の上半分の傾斜は1000系を意識したのかと思うのは自分だけ? 1000系のおでこは国鉄117系と似ていないかなぁ。
登場時期も近いし。 駅の床に灰皿の脚を固定していたボルトを抜去後の
床に残った穴がまだ多数確認できるね。 >>172
明かり区間も走るけど一応地下鉄なんでね、ここは 駅構内はおろか改札外までも全面禁煙になってる現在から見ると、
地下鉄のホームで喫煙できたことが隔世の感あり。
さすがに車内喫煙可の地下鉄は他都市でも無かった? 開業初日の小学5年のある早朝、今は亡き親父に連れて行って貰って
開門前の室見駅に並びました、
東京やら大阪からも、一番電車に乗りに来てありましたよ。
僕は天神行き一番電車の先頭車両に飛び込んで
テレビに映っちゃいました。 未だに開業時のスタンプラリー台紙持ってますよ、
当時、全駅スタンプ押して回りました。 1000系も、もうすぐ見納めなんでしょ?
子供の頃から慣れ親しんでるんで、寂しくなるな〜。 酔っ払った親父が、走って来た電車と接触して倒れて、
救急車を呼ばれた、けど断って、千鳥足でどこかに歩いて行った。 1000系のあの顔には赤橙系カラーが合うんだけどなあ
赤は赤字を連想するから採用されなかったのだろうか 一昔前のステンレス車というと腰板のコルゲーションがトレードマークだったが
この形式の頃からコルゲーションがなくなって滑らかな外観になった
とても斬新に見えた
西鉄も国鉄ももちろん特殊鋼車など無かった頃で非対称の前面デザインともども「未来の電車」(当時の新聞の見出し)にふさわしいスタイルだった >>178
福岡は駅構内の改札外のベンチに灰皿があったね。
ホームで吸えたかどうかは、もう思い出せない・・・ 人が乗り口に来るまで停止している省エネスカレーターは福岡の地下鉄で初めて見た。 >>187
一歩踏み出せば動くものと思って乗ってみたら、
故障してて動かなかった時、
そのまま歩いてエスカレーターを上る時の恥ずかしさw。 起動時に電気をよく喰うからずっと動かしておいた方が電気代は安くなる バリアフリー法が施行される遥か前からエレベーターを多く設置してくれているのは他の都市にない長所だった
80年代以降に開業した他路線でも、改札からかなり遠く離れた位置にあるなど
使い勝手の悪いエレベーターを見掛けた >>1
幼い頃は103系分割編成の使い道を知らなくて、とりあえず連結部に張り付いて計器類をみていたな〜 >>151
その1000N系も、置き換えの話が決まってしまった.... 関東や、関西の友達が来た時に
ヤクザやチンピラもタバコ吸ってないのが凄い!
と言われたw >>195
そりゃもう40年選手だし
同期の京都市10系も後継車20系デビューしたし 親父が西鉄福岡市内線最後の運転士採用で、30歳で福岡市に移り、数年間千代田線を運転してたよ 開業時の福岡市の運転士は大阪市営地下鉄で研修したという話は聞いていたが、営団地下鉄にも行ってたのね。 1000系のドアの内貼りは何故ことごとくあんなに汚いのか。 YouTubeで開業当初の車内放送と1000系が聴けて感動www
「西鉄 大牟田線方面」等抑揚の違いや
祇園発車後の「本日は福岡市営地下鉄を御利用下さいまして有難う御座いました」での締め括りが無い等…
当時の放送様式での姪浜発車前の「本日は福岡市営地下鉄を御利用頂きまして有難う御座います」の放送もあれば尚良かったが
https://www.youtube.com/watch?v=5gM41vldbvc 福岡市営地下鉄 1号線 1000系 車内放送 1984
https://www.youtube.com/watch?v=oNmw-I2FOH4&t=2s 福岡市営地下鉄 1号線 1000系 姪浜〜大濠公園間 走行音 1984
https://www.youtube.com/watch?v=aG81JyGRb5M 福岡市営地下鉄 1号線 1000系 中洲川端〜博多(仮) 間 走行音 1984 >>208
大濠公園 - 中洲川端間の1984年当時の走行音早く公開してくれw 開業時には自動券売機による切符の買い方、自動改札機の通過方法などの解説が新聞に載った 最初の頃は、自動券売機に切符を入れたら手数料なしで払戻しできる機能があったね。 七隈線が開業したとき、橋本まで乗ってみた。地上に出るときどんな街が有るのかわくわくして上がってみたところ、
なんと田んぼが広がっていてビックリした。 >>215
横浜市営地下鉄の下飯田駅が出来て初めて降りたときも同じだった。
今は大分造成が進んでいるけど、相鉄のゆめが丘駅周辺共々かなり田舎だ。 >>216
舞岡駅のほうが凄いと思ったよ。
地上に出たら狐に抓まれた気分だった。