昔の福島交通を語る
飯坂西線に連接車のモハ5000、飯坂東線に細面のモハ1100が活躍していた頃の
福島交通の思い出話。 >>149
東急から来た5000はドアがゆっくりと開閉
自社発注の5000はドアが素早く開閉 5000系列初代は結構モダンな感じだったのに寿命が短かった
飯坂東線最新の2両や花巻電鉄28,57他と共通設計?
窓が似ている 1200はサハ3000を挟んだから一番乗車定員が少ないのは連接車になる
普通に動いていたようだけど、使いにくくなかったのかな ドアの開け閉めが速いのは寒冷地ゆえの事情もあるのよ ドアが端に偏ってるから客もその付近に固まってギュウギュウなのだが真ん中部分はスカスカ
ニドアの宿命かもしれないが車内の流動が悪いのは都会も田舎も同じなんだな 掛田駅舎がずっとあのままなのも凄いけれど
再整備した電車を置いてもらえるとは夢のよう >>148
歌詞に吊りかけ音はなかった気がするがw 昭和50年代いちばんキャパがデカかったのは東急から来た3連 かつて東北線から飯坂温泉に455系が乗り入れる妄想をした >>169
18m級車両を前提とした線路に入線できるかどうかはさておき
肝心のデッドセクションがないw
奥羽本線交流化前の中川扱所みたいなものを設置するか 富山駅で出来たことを福島駅で出来ないことはないと思うんだがどうよ? でも東急からの3連はかなりオンボロだったんじゃないの
同類が上田交通にも行ったが、評判が良くなくて使われなくなったって 格安で買えたのなら贅沢は言えない
ないよりはマシ
ローカル私鉄でも1980年前後のラッシュはなかなかの盛況だったらしい 輸送力増強を手っ取り早くやるには大手の中古品をいかに安く仕入れるかが勝負 東急に伝手があったのかな
でもここは東急系ではないよね? >>175
1200+3000+1200の3連で朝の福島寄りはすし詰め
1200はドアが端面に偏ってるのも良くなかった 飯坂温泉駅から日本全国にノーラッチで行けるのは素晴らしい