昔の福島交通を語る
飯坂西線に連接車のモハ5000、飯坂東線に細面のモハ1100が活躍していた頃の
福島交通の思い出話。 >>94
取手の時は、
常総線は経営が苦しいから電車を走らせられない
などとほざいてるアホコメンテイターがおったぞ
電化したくてもできない理由も知らずによく言うよ、本当に無責任だ 理由はそれなりにあるが、きちんと説明出来ない>>106もなんだかなあー >>16
超亀レスだが
窓が異様に横に長くて開けるのに重くて苦労した思い出があるわ
今ネットで調べると一両毎にスタイルが違う面白い電車だった事が分かる
当時はボロい古い汚いなどクソミソに貶してたがw 今は固定窓かフリーストップの窓が主流。
重い為開けるのに苦労する窓など信じられんだろな >>110
>ボロい古い汚い
晩年は間に新製したサハを挟んでたがこのサハが綺麗で扇風機もあったために
見劣り度がとてつもなかった 昭和の終わり頃まではそんなボロ車は大手でも普通に走ってたんだがなあ 路面電車潰さずそのまま阿武隈急行に乗り入れればここまで運休しなかったのに >>113
親の転勤の都合で各地を流転して大手中小の両方で通学経験から言わせてもらうと
古いボロいの問題でなく、中小はたいてい掃除がちゃんとできてないのが問題
要員を確保できず手が回らないのだろう >>104
取り上げようにも奥が深くてまとめようがない罠。
どちらかというと鉄道趣味誌より経済誌に大きく出てた覚えが。
バブル景気前夜のエポックとでもいおうか。 軌道線を残しておけば良かったとの声は今でもあるん? 軌道線の朝の続行運転の写真を見たときは何とまぁ贅沢な電車かと。
続行標識を付けた電車の後ろに3両だか4両だか続くそれぞれに運転士と車掌氏がいらっしゃる! 軌道線に入ってた電車はバスより定員が少ない。近代化させるには軌道を引きなおしする他無かったけど、並行して国鉄丸森線が新規開通する予定では、軌道線の近代化改良なんて現実的じゃない。モータリゼーションの波も来てて、あの馬面路面電車でなければ福島の街に行けないという状況でも無くなってたし。 軌道線の廃止はあの時期が妥当だと思う。丸森線はS51年に全線開業の予定だったみたいだし
行政の道路拡張、舗装化の施策もある中で、軌道線の維持はあれ以上無理だったのでは 福島市を含めた信達平野の鉄道網は、軌道線時代から割りと恵まれてる方だし、軌道線廃止になってもほとんど不便になってない。
軌道線が廃止になっても、掛田からは新115号線回りのバスが出てるし、保原、梁川からは毎時2本の電車が出ている。福島市ー長岡のバスも軌道線電車より本数がある。
ただ、新幹線の開通とモータリゼーションでみんな仙台とか東京に気軽に行けちゃうから、わざわざ在来線と路線バスは使わない。もったいないけどね。 軌道線廃止後も保原・梁川地区のバス路線はドル箱だったね。
そのせいもあってか、今は亡き福交梁川営業所で従来の労働組合が分裂して
独自の組織を立ち上げた時代もありました。今となっては遠い昔のはなしだね 鉄道線は飯坂線の名があるが、軌道線はどうだったの?
よくありがちな、「市内線」は正確ではないし… >>122
掛田からは以前の軌道線とほぼ同じルートでバス路線(上ケ戸経由)が
あるよね。
保原〜伏黒〜大正橋は軽便鉄道時代の桑折線ルートだけど。 >>124
カラーブックスでは、鉄道線、軌道線だったとおもう >>113
既出だが一番傷んでたのは東急から来た3300だよ 東急から7000を入れたとき、帯は赤にしようとしたが
赤は赤字を連想して縁起が良くないので青にしたという
他社でもよく聞くあるあるエピソードで、
ゲン担ぎはまだまだ経営の現場では生きてる話しなのかなと デハ5000と長野電鉄モハ1100は兄弟?
似すぎ デハ5000は第二の人生を歩める余地があったんじゃ無いかなと思ってしまう
連接構造がアダになったか それで言うと5114+5215はノーマルなボギー構造と車長19mの大型車でこれこそ購入に名乗りを上げる社があっても良さげだったのにスクラップ逝きとは >>136
両運の5300は栗原に買われたことからしてもやはり単行できる車にニーズがあったということではないか 貴見のとおり
通勤時間帯でさえ、大型2連では持て余し気味であった 昭和55年頃にはまだ3連も走ってたし
朝はかなり混んでいた 弘南鉄道には6連もあった
ローカル私鉄が元気だった最後の最後の時代ね 1200の2灯化カッコ悪い、どうしてもするなら離れ2灯でなく
東武や小田急の旧型みたいにくっついていればまだマシなのに
東急3300を買った奴は2灯化してないみたいだし、好ましい形態の電車だから余計残念 >>140
その三連は東急から購入した粗悪品じゃなかった?
ラッシュ時だけ仕事して昼間と休日は車庫で昼寝という優雅な毎日 東急3300は西島三重子の池上線のモデルですね
歌詞がボロ強調されてて笑っちゃう >>147
古い電車とか隙間風とか吊りかけ音とか。
今とは隔世の感がある。 >>149
東急から来た5000はドアがゆっくりと開閉
自社発注の5000はドアが素早く開閉 5000系列初代は結構モダンな感じだったのに寿命が短かった
飯坂東線最新の2両や花巻電鉄28,57他と共通設計?
窓が似ている 1200はサハ3000を挟んだから一番乗車定員が少ないのは連接車になる
普通に動いていたようだけど、使いにくくなかったのかな ドアの開け閉めが速いのは寒冷地ゆえの事情もあるのよ ドアが端に偏ってるから客もその付近に固まってギュウギュウなのだが真ん中部分はスカスカ
ニドアの宿命かもしれないが車内の流動が悪いのは都会も田舎も同じなんだな 掛田駅舎がずっとあのままなのも凄いけれど
再整備した電車を置いてもらえるとは夢のよう >>148
歌詞に吊りかけ音はなかった気がするがw 昭和50年代いちばんキャパがデカかったのは東急から来た3連 かつて東北線から飯坂温泉に455系が乗り入れる妄想をした >>169
18m級車両を前提とした線路に入線できるかどうかはさておき
肝心のデッドセクションがないw
奥羽本線交流化前の中川扱所みたいなものを設置するか 富山駅で出来たことを福島駅で出来ないことはないと思うんだがどうよ? でも東急からの3連はかなりオンボロだったんじゃないの
同類が上田交通にも行ったが、評判が良くなくて使われなくなったって 格安で買えたのなら贅沢は言えない
ないよりはマシ
ローカル私鉄でも1980年前後のラッシュはなかなかの盛況だったらしい 輸送力増強を手っ取り早くやるには大手の中古品をいかに安く仕入れるかが勝負 東急に伝手があったのかな
でもここは東急系ではないよね? >>175
1200+3000+1200の3連で朝の福島寄りはすし詰め
1200はドアが端面に偏ってるのも良くなかった 飯坂温泉駅から日本全国にノーラッチで行けるのは素晴らしい