長寿を全うした車両 [無断転載禁止]©2ch.net
冷房化が無理と知って保守を断念した会社は多い
長電に譲渡が決まったのは市街中心部の地下化が名目だが粘り勝ちの側面も
1989年にデハ3603+クハ3802を買った十和田は政治力で負けた? その当時の地方私鉄は冷房化より乗り心地の方が優先されたから
冷房がなくても乗り心地がよくなるだけでも歓迎された いずれ小田急7000も仲間入りか…5200よりも長生きだもんな… 長寿と言えば明治村のSL2両は正真正銘の明治時代製 >>61
電気の消費量が少なくて、岳南鉄道なんかは電力会社との契約がワンランク下がったらしい。
長電に言わせると、カルダン軸が使い尽くされた感があり、思ったより持たなかったそうだ。
カエルを追い出した鯨もいい年になってきたな。
期待された汚物は山に登れない欠陥で鯨の代わりにはなりきれなかった。 >>65
同じ汚物タイプをもらってあの旧国鉄101系を追い出した秩父は三峰口まで
さほど登らないからまだしも、同じようにもらった富山地鉄は、鯨の足をもらったおけいはんと共に
普通に宇奈月温泉や立山をよじ登ってるけどね。 広電の1900形だったか元京都市電の車両
結果的に京都時代より長生きしたのが大勢だったはず >>65-67
長電の信州中野〜湯田中は40パーミルが続く勾配区間だからな。
アカガエルもマッコウクジラも、勾配に対応させるために
発電ブレーキ抵抗を増設したくらいだし。
・・・成田エクスプレスは勾配対応だったの? >>69
東京トンネルの30‰をユニットカットで登る能力はあるはずだから、問題ないだろ。 >>70
登るのは簡単だが、降りるときのブレーキはどうなんだろうね。
なんか改造したのかな >>74
それと寿命に何の関係があるのかな?
不幸にして事故に遭っても、余程の事がない限り修繕して再び営業に出るんだよ 路面電車の車体にアルミやステンレスがほとんど使われないのは、
普通鋼のほうが修復が容易だからだよね 事故車両でも、大破しても復旧する場合と、小破でも廃車になってしまう場合と
様々だね 事故廃車みたいな特殊事例を挙げても意味無くないか? >>84
>>82は変換ミスに突っ込んだのだと思われ(深傷が正解) 車齢が古くても綺麗に清掃されていたら文句はないよ
その逆(まだ新しいはずなのに清掃が行き届かず汚れが残っている)が
多かったし 明治時代の古典客車が地方私鉄に売り払われてひっそりと余生を送ってるうちに
とんでもない長寿になっていた例があるかも >>79
路面電車運行事業者なんてどこも青息吐息だから鋼製以外選択の余地ないだろ 国鉄で十分に使い切って、そののち中小私鉄に払い下げられれば
自ずと寿命は長くなる。 キハは国鉄→私鉄の売却はあるが、私鉄→私鉄の売却は例が少ない? >>99
俺が知る限りでは富士急から有田に行ったキハ58とか、
最近では三木鉄道からひたちなかに移ったミキ300ぐらいかな。 北鉄の荷台付きが関鉄へ。
ほかにも、北海道の非電化私鉄から茨城交通や関鉄・筑波・鹿島に数両実績有り >>101
キハ20と22に準じたやつだと北海道の留萌と羽幌の炭鉱鉄道から茨城交通と
鹿島からと水島臨海から茨城交通もある。
後南海の国鉄直通用キハ5500形は魔改造して関東鉄道に渡ってる。 キハ22は東北へ「生息域」を広げたし、私鉄の準拠車も使い易かったのかも。 415-800
逆に「もうそろそろ良いだろ?」と思ってしまうw マヤ34 2008・2009は長生きしそう
データの新旧引き継ぎとか(特に北海道は)嫌な予感しかしない >>101
北鉄の荷台付きDCは悲惨な最期だったね
あんなことになるくらいなら短命でもいいから現役のままで終焉を迎えさせてあげたかった 筑波に行ったバケット付きと、
ラーメン店の屋根上にまつりあげられたバケット付きとは
別の形式だよ >>108
独立採算制なら別だが東急だしなぁ
併用軌道区間が皆無なので踏切事故程度の損傷を考慮すればステンレスでも行けると判断したのだろうな 近江鉄道は車籍だけ継承して車体や部品をそれぞれ違うタイミングで取り換えて行っているので
見かけは新しくても書類上では明治生まれになる“超”長寿車両がかつてはたくさんあった、
と保育社の本に書かれていました。 > 車体や部品をそれぞれ違うタイミングで取り換えて行っている
いわゆる、「テセウスの船のパラドックス」ですな。
似たような例では、蒸気機関車のC57 1号機かな。
このカマも幾多の危機を乗り越えてきたもんなぁ・・・
はたして、製造当初からの部品は何店残っているのだろうか。 >>113
>製造当初からの部品
もっとひどいのがEF81にあったような。 >>113
新潟の羽越線で脱線やったり阪神大震災で鷹取で台座から落ちて中破したり
車輪やロッド以外ほとんどないんじゃね?。
大震災で壊れた時にたまたま兵庫か京都にあったC57-5が超程度が良くてあれが
なかったら復活不可能だった。 改造名義にした方が新車よりも税制面で有利だったのだろうか >>112
愛好家は書類上の登録など知る由もないからどうでもいいといえばどうでもいい話 >>115
その震災の時壊れて、C575からって具体的に何を流用したの?台枠・・・名分けないよね
確か足回りを抜いた状態で、作業台の上から落ちた・・・状況だったと思ったから、動輪とか走り装置ではないよね 技術継承と部品図面さえあれば復活できる蒸機
古典電機は無理だべな かつて大井川鉄道に在籍、昭和49年に廃車されたクハ501。西武のクハ1209を昭和29年に譲受けた車両だが、
そのルーツは、明治23年製の木製の郵便荷物合造車。84年の長寿を全うした。 ここまでクモハ42がなし…
>>99
小田急から関鉄もあったような >>130
あれかあ。あさぎり用のキハ5000形にに強引にドアくっ付けちゃったむちゃくちゃなキハ。 近江鉄道なんか昔はそんなのばかりだった…
でも既出だったね 冷蔵庫先生の本に、野上電鉄に元阪急の1形が生き残ってて車齢80年と書かれてたが
どういうこと 京阪寝屋川車庫の構内入換車。特に台車は明治時代のものが現役。 さっきやってた相鉄の7000系は40年で解体されてたな 南海6000もここに入るのかな
ついに廃車が出たらしいが 来年の3月に本格的に引退がはじまるであろう、キハ66系。
来年で46年 >>138
ズームカーとかに目が行きがちだが南海は6000と7000にもっと光を当ててやるべきと思う
名車ゆえの長寿、長寿ゆえの名車 三池鉄道の電機が百年以上も使用されたのはよほど保守が行きとどいていたのでしょう。 短距離をちょろちょろと使うだけだったからじゃないの >>112-113
このスレで挙げるのはスレ違いかな?
都電7700って書類上はどうなっているんだろう?新形式か、それとも同一の
車両ってことになっているのか?
しかしあれもテセウスの船状態になっているのは事実だよな。
昭和52年にボディを取り換え、40年後に下回りも取り換え。
これで都内からつりかけが消えたのは悲しかったが。 ここまで東急3450なし 50両一両も欠けず譲渡もなく使い倒した
しかし東急は早期廃車か長寿命かバラバラだね 京福に譲渡された元南海の11001系なんかは結果的に長生きだったな。
南海に残って性能改造・台車交換・冷房化されて引き続き四国号で活躍した仲間よりも、
京福に移った方が長生きしたのは皮肉な運命の巡りあわせというか。 名鉄モ700や、南海モハ1201は、古巣に残った方が長寿だった。
まあ程度の良い車輛を選抜して残したし、条件的に適当な路線があったからな。 >>141
南海6000が大井川に行ったのにはびっくり。
大井川といえば、還暦過ぎた21001が元京阪や元近鉄を差し置いて残るとは思わなかった。 名鉄モ700は北鉄に旅立った連中の変わり果てようが見ていられなかった
揖斐線で余生を送った方がどれ程幸せだったことか 正面貫通化が気に入らんか?
雪国だし単行運転が多いのなら貫通化しなくてもよかったと思う 素材に構わずなんでもHゴム支持に化けさせてしまう北鉄テイストがダメ 東急初代7000通称弁当箱
各地に散った仲間のうち未だに命を繋いでる残党 それだけ使いやすい、保守しやすい、現場から好感されてる証拠だよ
名作といっていい 初代7000は長寿ですね
養老に行ったクルマは何年生きるのかしら 乗務員扉の次位に乗降扉があるからワンマン化に最適
全長もデカ過ぎず、チビ過ぎず
難点はパイオニア型台車だが、JRや営団の廃車発生品と代替して無問題