昔の【大阪駅】を語ろう [無断転載禁止]©2ch.net
大阪駅と言えばやはり阪神デパート向かいの土産物店街。
都道府県毎に店が別れていて、閉店が続くなか佐賀県が最後まで頑張ったっけな。 大阪駅エキスタから生放送 ABCテレビ6チャンネル
わいわいサタデー 構内の日本食堂っていつまであったのかな。
中学に進級し、解禁されて初めての「泊りがけ独り旅」で
銀河で帰阪してきたとき
出迎えの母と入ったのが最初で最後
ドロドロのスクランブルエッグが記憶にある 特急「まつかぜ」で鳥取から大阪に出る時、「まつかぜ」が大阪駅に到着し、
大阪駅ホームに降り立つと大阪はやはり大都会だと実感させられた 曽根崎の旭屋書店7階だったかな
そのフロアの奥にあったマッハ模型店 旭屋にあったマッハ模型店は狭苦しかったけど、いつも多くの客で
賑わってたな 今では珍しくないが
昭和50年代に鉄道コーナーを常設していた書店は
梅田の旭屋書店くらいしかなかった気がする。
マッハ模型のHOゲージは当時子供だった俺には
高嶺の花…
いつもガラスケースに顔をくっつけて
もの欲しそうに見つめるだけだった。
お年玉はたいても買えなかったな(涙) 11
当時の小坊では1200円〜1500円のNゲージ車両でもとても高額で
今のようにすっと買えるようなものではなかったな ホームによっては昔の京阪や近鉄タイプのスピーカーがぶら下がってたな 第1ビル〜第4ビルの辺りにあった謎の闇市っぽい
商店街には興味津々だったけど、結局行かなかった >>9
検索したら、梅田三番地訴訟の位置>>16で書いた場所
ヒルトンプラザイーストの位置にあったって事なのか
知らなかったわ。曾根崎のイメージしかなかった それほど昔ってわけでもないけど、環状線ホームにあった汐屋。
大阪に行くと、いつもうどんに天カスを入れまくって食べてた。 環状線ホームだけ、屋根が半透明のアクリル板製の部分は光が差し込んで
他のホームと雰囲気が違ってた 福知山線全線電化前の大阪駅1、2番線(現、3、4番線)ホームだけは、
他のホームに比べて活気が無かった >>19
いつもありがとうだったね
>>21
そのかわり旅情が横溢しとったがな。
ホーム幅いっぱいのタテ書き漢数字の発車時刻表とか昔日の風情があった
福知の発車ベルも双鈴電鈴(ベル2個のアナログベル)でジャーンと鳴って DD54やDF50が旧客ひいて到着しとったホームか?
優等列車狙いでカメラをかかえて
大阪駅を走り回っていた小僧だったが、
あの雰囲気は無視できず、何枚か撮影したわ。
今となっては撮影しておいて良かったと思う。 改札口の上にあったパタパタ式の福知山、山陰方面への行き先表示機の
「特急まつかぜ1号 8:00 博多」の行先は大阪発着の九州ブルトレの
行き先とは違って、見ていると異様にも見えたな 人通りが多くて一日中活気がある御堂筋口や中央口と違って桜橋口は人影が少なく
なんとも言えないローカルムードが漂っていたね 大阪城築城400年記念の時にコンコースにあった大阪五輪誘致のPRポスターが
思い出される
国鉄も大阪市に何の義理があったか知らんが、あちこちに貼られていた
その前に名古屋市が誘致に失敗してただけに役人は懲りないものだなと子供心に感じた >>21
活気だけじゃなくて電車客車兼用ホーム自体も低かった。
なにより排気ガス臭いのがなあw
自分は大好きだったけど 大阪駅に停車中のEF58やEF61型牽引の急行荷物列車の荷物の積み下ろし作業もよく見られた
その他、クモヤ90に牽引された485系+583系の中間車の入出場列車やキハ181系の工場出場列車が
尻切れトンボの編成で大阪駅に入ってきて停車することもあった 中央口改札内の1・2番線ホーム・3・4番線ホームの上り口と
9番線通路のところにもう一つ改札があったな。