上田丸子電鉄・上田交通の思い出
地鉄(富山地方鉄道)は、北陸本線と富山ー黒部 間で北陸本線とバッチリ平行するので鉄道省
の圧力で認可延伸に佐伯が苦心したらしいけど、 信越線とほぼ平行の丸子線の上田東ー大屋
間は、延伸に苦慮しなかったの? 丸子鉄道には佐伯みたいなヤリ手 辣腕指導者が居た様
でもないし・・・そもそも居たら 対等合併ではなく上田温泉電気を戦時統合以前に飲み込んで
居そうだし・・・誰か教せーて エロイ ヒト! >>72 滑川・三日市(現・黒部)間で約10q並行し、途中にはこの地域の中心都市、魚津がある富山地鉄。
上田・大屋間で5q弱、大屋は信越線の途中駅に過ぎないという丸子線。
条件が全く異なるんでは?並行私鉄を認めないということだったら、静岡鉄道なんぞ相当なクレームつけられていたんだろうなあ・・ グリーン車3310は、常にTcと2連で走るだけだったのに何故正式譲渡後 両運に改造(手持
ち中古機器流用)したの? >>72
んなこと言いだしたら名鉄名古屋本線とか小田急線とかいっぱい出てくる。
鉄道省担当者の裁量権内にあり、富山は揉めたという事。
そして裁量権の範囲内だから最終的には認められているだろう? 昭和50年代にもなって お隣の長野から(敢えて?)戦前の古豪を多数引き取ったの
は何故?お友達価格? 将来的に変電設備の更新(昇圧)も考えなきゃいけないか
ら東急からの出物調達までのショートリリーフとしての買い物?
マア趣味的に大変 有難たかったのだが・・・
そう云えば この時代 豊橋は長野から車体は長野2000より新しい1500を買ったが、
その豊橋は、上田で引退の7200を後年買うことになるとは・・・・両社の経営状態を考
えると・・・車両面での下克上は、不可解。 >>77
長電からはマスコン、抵抗器、モーター等譲り受けた。
モハ5253はギア比の高いギア付きのモーターに変えたからスピードが出なかったらしい。
長電から豊橋に行ったのは1100系。 東急3310はクハ3661との2両編成では、別所の勾配をのぼれなかった。
試運転時に発覚。 以降、中塩田折り返し専用に。
そこで、両運にして、別所温泉まで入れるようにしたわけ。
福島交通の3300は3両全電動車のため、飯坂の勾配もガンガンのぼれ、
福交最速車の異名があった。 上田交通時代の残党(7200系)、ついに完全引退ですか… >>79 3310 単車では、別所温泉に(通常営業運行で)着た実績あるの?
池上線時代も3300形はオールM[(3M)の為 出足が良くて
東急の※3000番台グループ(敢えて 初代3000系とは書かない)小型車体 収容力不足の
ハンデをモロともせず運転士の評判が良かったらしい。 但し 高速性能とトルク(力)別だから
別所温泉への勾配は難儀したのであろう。
駅間300m(東急鉄道線 駅間最至近)で加速の必要ない 大崎広小路ー五反田間(上り)の
勾配登坂性能は問題視されなかったのだと思う。
定期検査入場時の 宮前平ー鷺沼 間の勾配は難儀したのかも?(もっとも当時の東急は単車単位での
定期入場がデフォだったので他の力のある車と繋いで入場して来たのかも知れない) 単車運用なんてイレギュラー以外無いんじゃない?
1980年代入ったら車両数無駄なくらい余裕あったし >>83 現在の需要を考えたら大杉。 昇圧前 旧型車総取替直前は過剰気味だった。
3310+3771?なんて東急への義理(系列PRの為に?)で平日 朝一往復中塩田まで
走れらせているような存在だった プロパー丸窓以外の旧型車(特に長電車)は、
大古車故か過走行による故障危惧か?ワークシェアリング状態。 乗務員は平均的な人数だった
車輌数だけこれほど多いのは確かに特異 親類に真田線沿線に住んでた人がいて
その人が言うには昔は朝夕は積み残しが出るくらいに乗客が多かった
積みきれずにホームでお見送りになった客には駅員が何度も謝ってたとか
ローカル線にもそんな活気のある時代があったのね 沿線の市街化度でいえば、
存続してる別所線よりも廃止された真田線の方が進んでいたと思うが 上田市内だったら雪はそんなに積もらないもんな
日本海側みたいに、雪のせいで車がどうしても使えないという状況にならない >>88
街中を走ってたのは市内部分だから全線の僅か二割ほど 北上田駅前で従姉妹たちと写真を撮った思い出。
広場にブルース・リーの人形があった。
なぜ駅前にあったのか、映画の宣伝だったのか、よく覚えてない >>95
「元祖」丸窓電車は、引退して既に30年以上にもなるのに
3両とも大切に保存されてるってのがね 名鉄は半円五枚窓&路面電車&丸窓
人気ない方がおかしい なんかポテンシャル高いのにやる気なくして縮小した印象。
今なら真田ファンが大挙して乗るだろうに。 >>1
みなさん、本日は、7200系ラストランに御乗車いただきまして、ありがとうございます。
少々、7200系について御案内させていただきます。
ただいま御乗車いただいております、7200系は、1993年5月28日より、別所線で運転を開
始しております。約25年間、主力車両として、多くのお客様に親しまれてまいりました。
本日、5月12日をもって、引退することとなりました。
この7200系は、1967年、東急車輌で製造され、正面がダイヤモンドカットと呼ばれ、デ
ザインが特徴的で、東急線で活躍した車両です。
別所線には、1991年に5編成を導入し、100%の冷房化率を達成しております。その後、ワ
ンマン化に伴う改造を経て、2005年に車体の改装、丸窓電車にラッピングした「まるまどり
ーむ号」として、7253編成、7255編成の2編成の運行を開始しております。
2008年8月1日に運行を開始しました、新型車両1000系導入に伴いまして、7200系4編成
は、順次、他社への譲渡、廃車を進めました。ただいま御乗車いただいております、7255編
成が、最後の1編成となっております。
では、このあと、本日、乗車証明書を配布します。 7255-7555は関東に「里帰り」する模様…
http://www.frontale.co.jp/info/2018/0730_15.html
上田(下之郷)で痛々しく解体されるよりは、良かったんだろうか…? >>109
まさかの「さらに高師(豊橋鉄道)まで持って行っての現地解体、
もしくは大井川で現役復帰(元十和田の2両と共演)」とか?
7251-7551は、見事に豊橋で「現役復帰」したけど…
7200系も製造から50年経ってるだけに、現役車の部品確保が
これからは非常に大きな課題になるだろうからね
本来なら、7253編成みたいに下之郷で解体されてたんだろうし、
等々力に運んだ後も、さらに余程の「何か」があるって気はしている >>102
雨蛙は典型的なお多福(下膨れ)顔で、
銀蛙は同一設計の姉妹車とはいうが、顔はどう見ても中膨れであり、
見た目は全然印象が違ってた これで一気に「上田電鉄の思い出」にまでなってしまうんだろうか 明日乗る予定だった
わざわざ電話で輪行できるかも確認したのに とても心配している
しかし、今までも台風や長雨で千曲川が増水したことはあったわけで
鉄橋に何等かダメージがあっても不死鳥のようによみがえってきたのであろう
今回も致命的なものではないと信じたい あそこ以外は何の問題も無い
ホームページにも書いてあるが、もし配電や信号設備が対応すれば寺下までは来れるはず
ただし寺下周辺には代行バスを駐車・転回させる様な場所が無い
寺下〜上田は徒歩15分位だから学生とかなら歩いてもらう事も出来るか 西丸子線は豪雨のため線路が損傷し、復旧を諦めて廃止したな 鉄橋崩落の上田電鉄・不通区間の一部が来月運転再開へ(10/28 11:29)
千曲川にかかる鉄橋が崩落した上田電鉄の別所線について、早ければ来月中旬にも不通区間の一部にあたる城下駅と下之郷駅の間で、列車の運転を再開する方針であることがわかりました。
千曲川にかかる別所線の鉄橋「千曲川橋梁」は、台風19号で増水した影響で橋台が流出し、今月13日の朝、一部が川に落下しました。
現場では削られた堤防の復旧工事が進められていますが、川の水が多いため調査ができず、鉄橋の修復のめどは立っていません。
事故を受けて上田電鉄では、別所温泉駅と下之郷駅の間で列車を運転し、下之郷駅と上田駅の間はバスによる代行輸送を実施しています。
上田電鉄によりますと、早ければ来月中旬には鉄橋の最寄りにある城下駅まで列車の運転を延長できる見通しが立ったということです。
上田電鉄は、国と上田市と調整を行うとともに、災害復旧支援金の寄付を呼び掛けて、全線の運転再開を目指すことにしています。
SBCニュース 年間1億ほどの補助があったんだな
先月15日に崩落現場を訪れた縁で一口寄付しといた
無駄にならなければいいが >>104
その真田ファンも右肩下がり。
乗ってもらうのは永続的でないと意味ないんで >>126
ブームは、しょせんブーム。
コロナ禍で産業としての観光がいかに脆いかよくわかったろ?
京都でも大怪我させられてるのに。
運輸業は、地元に使ってもらわなきゃ。 >>128
そりゃ、お上から「不要不急の旅行・外出は極力自粛しろ。(事実上の禁止)」となったら
旅行どころか外出すら困難になるよ
時間と懐に余裕さえあれば、別所温泉へは気分転換も兼ねて何度でも出かけたいけどなぁ >>126,128
少し前に別所温泉のHPを見て、台風19号とコロナ禍の影響で
別所温泉全体が危機的な状況に陥っているのに絶句しかけた
ブーム終了どころではなく、そもそも「客自体が全く来ない」って
今迄にありえなかった事態が現実になっていたとは
コロナを恐れて「旅行すら憚る」ってご時世になってしまってはなぁ じゃあ人吉や日田の温泉は一体どうなっちゃうんでしょうね?
コロナの影響を受けている観光宿泊施設は別所温泉、長野県、日本全国のみならず、全世界的規模なんですけどね >>132
日本国内に限ったら、コロナと天災(昨年秋、もしくは今年夏)の
ダブルパンチとなっている観光地が、全国の多くで発生しているという悲惨な状況なんだよね
様々な面で、最低でも数年は復活できないのではないかと思う
コロナでの旅行自粛+壊滅的な被災となってはなぁ
それを思えば、別所温泉は辛うじて…と言えるのかもしれない
昨年に別所温泉へ行った時は、1年後にこんな事態になるなんて、全く想定してなかったよ 別所線を畳もうとしてた頃も今みたいな閉塞感に包まれてたのかな? 鉄道はやめるが他の事業を充実したり新規展開するので閉塞ではないだろう
野上電鉄みたいなのはそうかもしれない 用事ついでに久々に東横線の横浜駅に降り立って、コンコースを通ってたら
上田/別所線の復興祈願のメッセージポスターを偶然見かけた
このスレも思い出して、思わず「!」となったなぁ(ポスターの撮影はしなかったけど) 久々に上田/別所温泉に行ってきた
今は春頃よりは多少は持ち直しているそうだけど、
「今までにない最大の危機的状況」と言うのは全く変わっていないみたいだね
>>136と全く同じポスターを見かけた、五島繋がりってこともあるのか 上田だけでなくもう全国がダメだろう
gotoは失敗だった(早過ぎた) Go-toは締めたり・弛めたりを繰り返していくしかない。
ただインバウンド頼みはもう止めた方がいいことは大阪の低迷を見れば明らか。 いつまでも観光業と飲食業だけに税金をつぎ込むわけにはいかない
日本の経済を支える製造業等に適正配分しないと将来に禍根を残す ぼったくりで有名なホテルチェーンの女社長の顔が浮かぶ
その点、ご当地のルートインは良心的かな 3か月後には無事復旧開業できるんだろうか
これで再び緊急事態宣言が出てしまうとかだと、当面行けなくなる
使える部材は再利用しての復旧だそうで、いかにあの橋が上田のシンボルの1つなのかってことなのか 事情が事情とは言え、別所温泉などに入湯しようとすると記帳が必須になっていると言うので
今までと違って色々と身構えてしまう訳で >>146は宿帳に記入するときも毎回緊張してるんだろうか 隣の県の人だろ。
いまはどこでも標語の掲示が目立つからな。 まだ丸窓が現役の頃、上田で発車待ちのインターバルに
パチリパチリやってると社員氏から声をかけられて
丸窓がテレビ番組で紹介されてから急に撮られる事が多くなったみたいなことを教えてくれた
今から思えばそれはタモリ倶楽部だったのだろうか 完全復活まであと2日弱か
復活日の賑わいが永劫に続けばいいのになぁ 祝・別所線の完全復活!
でもコロナ禍の中では素直に祝えないって気もする 丸窓電車かっこいいんだけど、オリジナルの尾灯と増設した尾灯の
形状の違いで、表情がなんか気違いを連想して怖かった 鏡でいつも見てる顔そっくりだったんですね、わかります >>150
まさか丸窓がこんなに人気になるとは当時思われてなかった? 丸窓が人気なのも分かるが元相鉄ガソリンカーからクハに変身した半流2枚窓ももうちょっと注目してほしかった 有人駅としての別所温泉駅も、ついに今年度限りで思い出の1つになってしまうのか
今まで小綺麗にメンテされていたあの駅の今後も、非常に気がかりだ >>162
あの車って使われてたっけ?
廃車されないけど使われもしない、みたいな昭和55年前後 客がガタ減りしてたから常に単行で運べてクハを増結する必要が無かった 丸子のED25型、いつ訪ねても蜘蛛の巣だらけです。
お手数ですが近隣にお住まいの方、汚いから撤去など言われないように、せめて蜘蛛の巣だけでも。 昭和55年頃だと丸窓と元東急の粗悪品ぐらいしか動いてなかったのでは? >>166
ED25見に行きたいけど、バスの本数少なすぎ 丸子町/丸子駅前じゃなくて三反田の時刻見てるんだと思う 三反田のバス停発見するとは
もしかして太川陽介さん? モデル8から昇圧直前を中心にした上田交通(の車輛)本が出てたんだな
つい最近閉店宣告がなされた立川某模型店で購入してきた 上田丸子電鉄の記憶
廃止直後の写真まで含めているのが素晴らしい。 >>162
小生もそれ狙いで乗り鉄したが
その日に丸窓の相手をつとめていたのは東急アマガエルの中間車に運転室をくっつけたクハだった
もちろん、この組み合わせにも大いに萌えた 1984年,中学入学を控えた4月の土日,小学校卒業記念に親父に連れて行ってもらった新潟・長野鉄旅
上越線を北上して蒲原鉄道や頸城鉄道跡を巡り直江津泊,
翌日糸魚川から松本経由で上田交通
車庫に入れてもらって写真撮影
倉庫代わりの木造客車の車体や放置された旧型車両に大興奮
親父のニコンでフィルム1本消費したわ
春の日曜の午後,傾き始めた陽射しが信州の風景に優しかったな
その車庫も移転で更地になり
今じゃ遠い昔の思い出 >>179
とれいん100号は愛読してそうな感じだな >>180
えっ読んでない
どんな内容?
上田交通の特集とか? 車庫とか真面目に訪問した記事がありましたね。
昔のとれいんは気まぐれで深い記事を載せたりしますから油断できない。 >>181-182
書庫に行ってその号(1983年4月号)を再確認してきた
「上田交通トータルガイド」と銘打って、丸窓電車などの模型や
上田原車庫の写真がふんだんにちりばめられた感じの記事だったかな
上田交通好きなら、資料としては一応確保しても良い一冊だと思うけどね
もっと奥深い内容が記されてたり、非常に興味深い写真が山のように掲載されてる本も
他に色々とあるのは当然承知の上でだけど
うん、来年の春以降になったらまた別所温泉で入浴したいなぁw >>182
>>183
なるほどもしかしたら昔図書館かどこかで読んだことあるかもだけど
また読んでみよう
地元図書館にあるかな コロナ以降(厳密には2019年の台風19号以降?)、
別所温泉(北向観音)絡みでの大みそかの終電延長はなくなってしまったようだけど
20世紀時点での大みそか深夜の賑わいはどんなものだったんだろう
2010年代後半に、別所温泉駅で.当時の袴駅長様から「二年参り」の状況を聞いたことはある 運転士OB氏の、丸窓は運転しやすかったという話しを何かの記事で読んだのだが、思い出せない 1981年、大晦日ではないが年末の日曜日に丸窓に乗った時にはかなりの混み具合で活気があった 1980年前後は別所線全廃の噂も立って一番ヤバい時代じゃなかった?
丸窓が人気になったのはこれよりちょっと後ぐらいで… あの台風被害の後無事復旧開業できるんだろうかとても心配したが、
思い他早く復旧出来たのには拍手を送りたい。 あの鉄橋自体が上田エリアのシンボルの1つになっていたのも、
鉄橋を完全に架け替えるまではしないでの現状復元に近い
早期復旧への大きな後押しになったんだろうな
コロナ禍の影響もあって、別所温泉駅の袴駅長が消えてしまったのは非常に残念だったけど
地域の足としてこれからも存続するのが極めて重要なのは、言うまでもない 不通期間中の道路状況や代行バスの定時性はどうだったのか
ここ30年くらいでネックの千曲川に橋が何本も架橋されて
バスで事足りるという結論に至る恐れもあったけど バスにすれば良いと言っても、次第にバスドライバー不足も深刻になりつつある 早くも運転手不足を理由に営業廃止されるバス路線が出始めている
もう手遅れかも知れない 暴走族はたくさんいるのにバスの運転手がいないというのがね 滅茶苦茶神経をすり減らすのに超薄給、しかも人間サンドバッグにまでなる可能性もあるんじゃ
あまりに割が合わなくてとてもやってられないと思う>職業系ドライバーも含めたエッセンシャルワーク
その上で、自動運転に完全に置き換えられるのが当然の前提&暗黙の了解ともなるような状況だとなぁ 鉄道の運転保守みたいな更に特殊な世界の要員の育成は大丈夫なのか >>189
コロタン文庫私鉄オール百科にも
クルマに押され気味、と解説文に書かれ子供心に先が長くないとすりこまれていた >>200
その廃止の波を何とか乗り越えて、沿線民にも愛される現在の姿がある訳だから
運命ってホント分からないもんだよな
そして長野県エリアの鉄道会社・バス会社全体で少子高齢化にも起因する重大な危機を迎える段階へと入っているけど
1社が力尽きるだけでなく、下手すると公共交通全体で最悪の事態を迎えることにもなりうるから
これからは県や自治体も一層の前向きな支援が必要になるか >>197
暴走族を改心させて大型二種免許を取らせてバスドライバーにしたらどうか? >>190-191
公有水面の使用免許更新(15年ごと)も大きかった
事と次第によっては
南部縦貫鉄道の西千曳と同じ経過を辿ったかも >>200
それ覚えてる
さらには、「上田を中心に網の目のように張り巡らされていた路線も今は別所線だけになった」も覚えている
網の目というから東京の地下鉄(営団と都営)みたいなのを想像したが
実際は5路線 >>205
上田から北東線(真田傍陽線)・別所線
別所線の途中から青木線・西丸子線
大屋から丸子線
…で合ってるかな?