上田丸子電鉄・上田交通の思い出
西丸子線・丸子線・真田傍陽線が健在だった時代の
上田丸子電鉄・上田交通の思い出を語ろう。 >>179
とれいん100号は愛読してそうな感じだな >>180
えっ読んでない
どんな内容?
上田交通の特集とか? 車庫とか真面目に訪問した記事がありましたね。
昔のとれいんは気まぐれで深い記事を載せたりしますから油断できない。 >>181-182
書庫に行ってその号(1983年4月号)を再確認してきた
「上田交通トータルガイド」と銘打って、丸窓電車などの模型や
上田原車庫の写真がふんだんにちりばめられた感じの記事だったかな
上田交通好きなら、資料としては一応確保しても良い一冊だと思うけどね
もっと奥深い内容が記されてたり、非常に興味深い写真が山のように掲載されてる本も
他に色々とあるのは当然承知の上でだけど
うん、来年の春以降になったらまた別所温泉で入浴したいなぁw >>182
>>183
なるほどもしかしたら昔図書館かどこかで読んだことあるかもだけど
また読んでみよう
地元図書館にあるかな コロナ以降(厳密には2019年の台風19号以降?)、
別所温泉(北向観音)絡みでの大みそかの終電延長はなくなってしまったようだけど
20世紀時点での大みそか深夜の賑わいはどんなものだったんだろう
2010年代後半に、別所温泉駅で.当時の袴駅長様から「二年参り」の状況を聞いたことはある 運転士OB氏の、丸窓は運転しやすかったという話しを何かの記事で読んだのだが、思い出せない 1981年、大晦日ではないが年末の日曜日に丸窓に乗った時にはかなりの混み具合で活気があった 1980年前後は別所線全廃の噂も立って一番ヤバい時代じゃなかった?
丸窓が人気になったのはこれよりちょっと後ぐらいで… あの台風被害の後無事復旧開業できるんだろうかとても心配したが、
思い他早く復旧出来たのには拍手を送りたい。 あの鉄橋自体が上田エリアのシンボルの1つになっていたのも、
鉄橋を完全に架け替えるまではしないでの現状復元に近い
早期復旧への大きな後押しになったんだろうな
コロナ禍の影響もあって、別所温泉駅の袴駅長が消えてしまったのは非常に残念だったけど
地域の足としてこれからも存続するのが極めて重要なのは、言うまでもない 不通期間中の道路状況や代行バスの定時性はどうだったのか
ここ30年くらいでネックの千曲川に橋が何本も架橋されて
バスで事足りるという結論に至る恐れもあったけど バスにすれば良いと言っても、次第にバスドライバー不足も深刻になりつつある 早くも運転手不足を理由に営業廃止されるバス路線が出始めている
もう手遅れかも知れない 暴走族はたくさんいるのにバスの運転手がいないというのがね 滅茶苦茶神経をすり減らすのに超薄給、しかも人間サンドバッグにまでなる可能性もあるんじゃ
あまりに割が合わなくてとてもやってられないと思う>職業系ドライバーも含めたエッセンシャルワーク
その上で、自動運転に完全に置き換えられるのが当然の前提&暗黙の了解ともなるような状況だとなぁ 鉄道の運転保守みたいな更に特殊な世界の要員の育成は大丈夫なのか >>189
コロタン文庫私鉄オール百科にも
クルマに押され気味、と解説文に書かれ子供心に先が長くないとすりこまれていた >>200
その廃止の波を何とか乗り越えて、沿線民にも愛される現在の姿がある訳だから
運命ってホント分からないもんだよな
そして長野県エリアの鉄道会社・バス会社全体で少子高齢化にも起因する重大な危機を迎える段階へと入っているけど
1社が力尽きるだけでなく、下手すると公共交通全体で最悪の事態を迎えることにもなりうるから
これからは県や自治体も一層の前向きな支援が必要になるか >>197
暴走族を改心させて大型二種免許を取らせてバスドライバーにしたらどうか? >>190-191
公有水面の使用免許更新(15年ごと)も大きかった
事と次第によっては
南部縦貫鉄道の西千曳と同じ経過を辿ったかも >>200
それ覚えてる
さらには、「上田を中心に網の目のように張り巡らされていた路線も今は別所線だけになった」も覚えている
網の目というから東京の地下鉄(営団と都営)みたいなのを想像したが
実際は5路線 >>205
上田から北東線(真田傍陽線)・別所線
別所線の途中から青木線・西丸子線
大屋から丸子線
…で合ってるかな? 青木線は戦前に廃止されたら>>205には含まれていないのではないかしら