123系スレ
スレ違いだが羽衣支線みたいな盲腸線がよく今まで生き永らえてるなあと思う 模型にしたくなるようなフォルム
なぜ人気が出ないのかわからん
忘れ去られてしまったのか 鉄コレのは買った。
種車がわかる変則的なドア配置にカモメの塗装がいかす。 >>66
貨物の需要があれば話は変わってくる
羽衣支線はどうなの? 羽衣支線のクモハ123を宇野線に持っていって
クモハ84は羽衣支線で使っていたら長持ちしたのだろうか。 単行できるように機器類をフル装備すると床下が満員御礼になるね 屋根上に載せるという手もある
さらには車内積み込むという強攻策もある 大垣⇔美濃赤坂に配置するのはできなかったのだろうか。
合流後に高速に走る必要があるので Mc123-1
Mc123-2,3,4
Mc123-5,6
Mc123-41,42,43,44,45
Mc123-601,602 本州三社の違いが分かる個性的な電車でしたね。
東日本
たった一両に小改造を重ね熟成
西日本
使用線区、時代に合わせて大胆に改造
-2/-3/-4は貫通扉設置
-5/-6は客室窓&扉の移設
便所復活は種車の配管が役に立ったとか
東海
仕様によって細かく番台区分
40→インバータクーラ搭載+5000→貫通扉設置+100
種車クモヤ145には原番と同じ600番台を付与 クモハ123-601/602が完成形かな。
前面貫通扉付3ドア 同じ1M方式でも全部郵便室のクモユ141/143は短命でしたね。
郵政省から運輸省に移籍してクモハ123化、というストーリーは考えられなかったのかな。 クモハ123-1
種車と同じ寸法の小窓
クモハ123-2,3,4
路面電車並の大窓
クモハ123-5,6
201系と同じ寸法の二段窓
クモハ123-41,42,43,44,45,601,602
119系と同じ寸法の二段窓 5・6以外は先頭車化改造と逆の工法で客室を新製してる
151系でパーラーカーを普通車に改造する際にも用いられた 改造が盛んな頃、郵政省所有のクモユは解体されてしまったんだよね。
変な法に縛られなかったら、まだご存命だった間のしれない。 種車がクモヤの600番台
前面窓は左右に後退していてちょっとだけパノラミックウィンドウっぽくなってますね。 123-1は窓が整然と並んでいるのが却って異端になるという ロングシートは詰め込み輸送向きだが
単行でじゅうぶんな輸送量で詰め込み輸送向きと言われてもなぁ もしクロスシートが採用されていたら乗務員室から死角が発生するとか考えられたんじゃないの、知らんけど 荷電から変身したグループは側面ドアが外板から凹んだ位置にあるのが不思議だった もうとっくに種車時代よりクモハ123時代の方が長くなりました。
改造当初は車内便所が復活するとか思いもしなかっただろうに。
クモハ123−2、3、4の3兄弟はいつの時代も同じ職場で幸せだね。 クモハ123形は荷物車→客車。
客車→荷物車の改造のほうが多い 105系と併結は性能が思いっきり違うのでどんつき酷くならないか?
ギア比的に113系の方が相性が良いはず 主抵抗器容量が電制なしとも相まって小さいのでMGを床下に取り付け出来た
同じく両運転台のクモハ119-100番台は抑速ブレーキ搭載も相まって主抵抗器がデカすぎ床下にMGが入らず冷房化がインバータ方式が開発されたJR化後にずれ込んだ >>105
コトデン11000は緩急車→制御付随客車!? 105系のゆうパックカラーが復活するみたいですね
123系の白+青も復活しないかな
-2/-3/-4は改造当初からずっとまとっていた塗り分け >>66>>71
東羽衣駅は阪和浜寺
もともと阪和線の前身、阪和電鉄の終点だよ
その後は盲腸線状態だが、当初はメイン路線の終点駅 123「系」って言うけどクモハ123以外の仲間いるの? 良いところにお気づきですね
マニアが勝手に系列化してるだけ 羽衣支線にいた車で車体の半分に窓がないスタイルのものがいたね
荷電時代をそのまま引き継いだのは分かるが圧迫感凄いと思う クモハ123-5&6
羽衣支線時代は201系をかなり意識していたみたいですね
ブラックフェイスや同じ寸法の二段窓など >>118
異形式併結
105系はMc+Tcですよ
103系はTcでしたけど羽衣支線時代のみ 2005年頃
<クモハ123(2扉)>+<クモハ105-0(3扉)+クモハ105-500(4扉)>という
3M強力編成が存在していたw 5・6は元々の荷物室と同じ位置にドアを配置したとかケチケチ感半端なかったな
4までは荷物室を一旦解体し新たに客室を構築する先頭車化改造と逆の工法
151系でパーラーカーを普通車に改造した際にも使われたがあっちは元々車体が短く寸法を切り詰めてた >>119
んなこと僕に言われても。
だから じゃね? って言ってるじゃん。 2-4で採用された大型スイング窓は路面電車で見掛けるタイプかな 阪和線の車窓から羽衣線の奴を初めて見た時、かなりの衝撃で
なんだこれ、事業用?、乗っていいの?と思った 羽衣支線はクモハ123重連+クハ103だけ?
夜間などはクモハ123単車運用はありましたっけ ニックネーム「ミニエコー」「富士ポニー」以外にありましたっけ >>132
当時は需要に応じた運用をしていたんですね
でも結局長続きしなかったと >>133
そうではなくて過酷な条件の宇野線で走っていたクモハ84がダメになったから 羽衣ならゆっくり2分走るだけなので、
小野田線のクモハ42と同じように長持ちしたと思う クモハ84と入れ替える……ってわけにもいかなかったんだろうな、しなかったってことは 宇野線時代の-5/-6も長続きしませんでしたが何故かな?
宇部・小野田線を単行で充実させたかったから? 三種類の車体を持つ0番台
何故か小刻みな40番台
営業用単車が欲しけりゃ事業用車も種車に600番台 成長する電車、それがクモハ123
・単行で客を乗せたいため荷物電車を種車に改造
・さすがに暑くてかなわないため簡易冷房装置を搭載
・連結しても通り抜けたいため貫通扉を整備
・扉位置不良で車内旅客動線が悪かったので扉と窓の位置を変更改造
・駅便所撤去、車内設置で対応と方針決定により便所設置 電気ブレーキの採用が見送られてる
ただでさえ床下ギチギチなので難しかったか?
愛知環状鉄道100系にはある 2〜4の国鉄時代は前面窓回りが青くなく、JRマークもない、非貫通で白Hゴム支持 -5と-6はユニット窓と扉の位置を交換する大工事を施工されたけど、室内の吊革の位置は変更されなかった 1両運転可能にすると床下ギチギリになって機器レイアウトに苦心する
クモハ119-100番台はMGを搭載する場所がなく冷房化がJR化後にずれ込んだ
非冷房にするか電気ブレーキを廃止して抵抗器を縮小するかの究極の選択だったはず たらればの話だけど
もしクモユ143が廃車解体ではなくクモハ123の種車に使っていいよ!ってなった場合、何処所属のどんな仕様になっただろうか 1両編成の電車が少数派だな
JR四国7000系やJR西125系とかあるがJRグループではそれ以外の事業者に波及してない 125系って言うけどクモハ125形以外の仲間っているの?
サロ125形やサロ124形は113系だよね? 身延線は一時期40番台と600番台で最大7両所属していた
種車の種車は101系だったから改造時点でかなり高齢だった >>147
AU13E冷房装置4台じゃちょっと弱いから可能なら1〜2個追加したい
車体は入場する改造担当工場で変わってきそう
クモユ143は全検受けずに廃車になったけど長野工場あたりに入場か >>150
俺も同じ質問
系を名乗るからには仲間のクハやサハがいてもいいのだが 123系が廃車になったら新たに単行用の電車作るのかな? >>154
クモハ123の寿命が来たらその路線も廃止になりそう >>153
121系の次に制定されたからたまたまクモハ123になっただけでしょ
地方向けに短編成志向が強かった時期なのでクハ、サハは設定する必要は全くなし クモハ42が残っていた頃に単色化が行われたら、
さすがにクモハ42が黄色になることはなく、
クモハ123も105系も含めて宇部小野田線の車両はぶどう色になっていたかも。 EF65などで茶釜化はあったけど
新性能電車の茶色化はなかったですね 品川にC62が来たときにクハ111と103系編成がぶどう色になってる
走らせずに留置してただけのイベント用ではあるが JR化前後は全国的に白ベースの車体が多かった印象
クモハ123-5/6登場時のスカイブルーは連結相手の103系に合わせてだった >>131
1991年当時のRJでしか見ることはかなわなかっはたが、
「可部City」のヘッドマークで1両単行で走ってた写真はあった。
「ひろしまCity」の発展形だったのかな? かつてクモハ84と言うのもいたね
クモハ123の吊り掛け版 600番台のみ種車の関係上発電ブレーキが無かったが身延線の急勾配大丈夫だったのか?
ブレーキシューの異常摩耗を招きそう 419系・715系
スシ24
オレらも改造後の人生の方が長いんですけど。 改造して使い続ける西
車種統一で置き換える東日本と東海 愛知環状鉄道100/200/300はクモハ123と共通点が多いですね
側窓配置、単行仕様(300のみ)など >>165
必須要件ではない
3扉の601, 602は西富士宮でまでの2連運用が本職で
以北には滅多に入らなかった 123系と419系(クモハ419/クハ418)の前面窓は同じかな