123系スレ
国鉄支線区での単行運転用として誕生した荷電改造車の思い出を語ろう 二代目のカラーは神戸電鉄の旧塗色みたいで
垢抜けずちょっと萎えたな
初代の方が良かったと思う さよなら運転の時にはHMの装飾も無く
正面に小さなシールみたいなのを貼っただけ
お色直しも無く所々変色したままで寂しかった 宇部線、小野田線でバリ現役だからなあ。
運行案内と運賃表も液晶化されてるから旅情もなにもないけど。 西日本のは本当によくもっているよなぁ、改造しまくり。ドアは移設するわ、まどは総取替えするわ、冷房積むわ、内装総取替えするわ・・・
元が荷物車だけあって、よほど頑丈に作られてるんだろう。すると、さぞかし重いんだろうな・・・ 一両でじゅうぶんな需要しかないから123系に置き換わった筈なのに、
その後また103系3連に換わって、昼間でもそこそこ客が乗ってる。
羽衣には招かれざる車だったかもね。 私鉄でも荷電からの改造車は扉が不等隔に配置されてるのは珍しくない。 >>15
103系3連
>>16
阪和電鉄時代は海水浴臨時が天王寺から直通してた模様
南海が踏切をわざと開けないなど嫌がらせをしていた話もあった位栄えていた時期もあった模様 >>18
羽衣の車は前後対称だった?
乗った事あるのに覚えてない・・ >>18
羽衣の車は前後対称だった?
乗った事あるのに覚えてない・・ >>14
1両で十分、は眉唾だな
123系が羽衣に来たのは唐突感がありまくりで当時は訝しむ声があった 知ったときは123-45をやりたいがための命名かと思った >>29
形式名はともかく、宇部線で103系改造105系+105系+123系で連結し4扉+3扉+2扉運転したときは
狙ってやったなって思った。 クモハ123-5・6の成り立ちは、キハ84 1・2と似た様なものかね? >>31
そんな光景が見られたのか・・・
いいなあ >>25
混雑時と閑散時の差が激しいのかも
自分が乗車した時は平日日中だったが客は自分を含めて3、4人で
単車で十分であった 一度乗ってみたら良いよ、
一応加速しようとしてるからw 加速しようとしてるんじゃなくて
実際に加速してるでしょw >>12-16
懐かしい地名が出てる・・・
学生の頃、羽衣近くにあった研修施設に半月間缶詰にされて
朝から晩まで国家資格の試験勉強してたのを思い出した
休みの日に息抜きに123系に会いに羽衣線を往復したっけな 123系は0番台と40・600番台でモーターが違ってたどころか制御方式も違ってた
0番台は端子電圧750VのMT57だったが40・600番台はMT46で永久直列だった
ちなみにどっちも電制なしだが主抵抗器が大型になりすぎて床下に収まらなくなるので取り付けられなかったのか? うむ
所詮コストかけずに小単位の輸送を賄えるように考えられた形式だから
スペース取れない→じゃあ無しで行こうと決断したのは容易に想像できる 使い道が無くなった荷電のリサイクルだが、
長生きできなかったことからすると、
この構想は失敗に終わったと総括するのが至当かね 無駄を省こうとして却って資源を無駄にしてしまってる 会社でやってるコピー用紙のリサイクルは無駄の極み
コピー機を傷めることにもなる 羽衣線で1往復した思い出
真夏の平日の日中、客は上下便とも俺一人だけだった
昭和61年頃と思う スレ違いだが羽衣支線みたいな盲腸線がよく今まで生き永らえてるなあと思う 模型にしたくなるようなフォルム
なぜ人気が出ないのかわからん
忘れ去られてしまったのか 鉄コレのは買った。
種車がわかる変則的なドア配置にカモメの塗装がいかす。 >>66
貨物の需要があれば話は変わってくる
羽衣支線はどうなの? 羽衣支線のクモハ123を宇野線に持っていって
クモハ84は羽衣支線で使っていたら長持ちしたのだろうか。 単行できるように機器類をフル装備すると床下が満員御礼になるね 屋根上に載せるという手もある
さらには車内積み込むという強攻策もある 大垣⇔美濃赤坂に配置するのはできなかったのだろうか。
合流後に高速に走る必要があるので Mc123-1
Mc123-2,3,4
Mc123-5,6
Mc123-41,42,43,44,45
Mc123-601,602 本州三社の違いが分かる個性的な電車でしたね。
東日本
たった一両に小改造を重ね熟成
西日本
使用線区、時代に合わせて大胆に改造
-2/-3/-4は貫通扉設置
-5/-6は客室窓&扉の移設
便所復活は種車の配管が役に立ったとか
東海
仕様によって細かく番台区分
40→インバータクーラ搭載+5000→貫通扉設置+100
種車クモヤ145には原番と同じ600番台を付与 クモハ123-601/602が完成形かな。
前面貫通扉付3ドア 同じ1M方式でも全部郵便室のクモユ141/143は短命でしたね。
郵政省から運輸省に移籍してクモハ123化、というストーリーは考えられなかったのかな。 クモハ123-1
種車と同じ寸法の小窓
クモハ123-2,3,4
路面電車並の大窓
クモハ123-5,6
201系と同じ寸法の二段窓
クモハ123-41,42,43,44,45,601,602
119系と同じ寸法の二段窓 5・6以外は先頭車化改造と逆の工法で客室を新製してる
151系でパーラーカーを普通車に改造する際にも用いられた 改造が盛んな頃、郵政省所有のクモユは解体されてしまったんだよね。
変な法に縛られなかったら、まだご存命だった間のしれない。 種車がクモヤの600番台
前面窓は左右に後退していてちょっとだけパノラミックウィンドウっぽくなってますね。 123-1は窓が整然と並んでいるのが却って異端になるという ロングシートは詰め込み輸送向きだが
単行でじゅうぶんな輸送量で詰め込み輸送向きと言われてもなぁ もしクロスシートが採用されていたら乗務員室から死角が発生するとか考えられたんじゃないの、知らんけど 荷電から変身したグループは側面ドアが外板から凹んだ位置にあるのが不思議だった