【上野】急行八甲田・津軽・十和田 2号車【青森】 [無断転載禁止]©2ch.net
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>>387
当時確かに缶入りピーナッツ(アーモンドやクルミなんかもあった)売ってはいたな
キオスクにあったかどうかは記憶にないが オトナの男に成るにはな!?
其の一:硬くなったチンポコの使い方を熟知する
其の二:『飛び降りは大変危険です列車完全に止まる迄お待ち下さい、お止め
ください、お止めください!お〜おーおい!』
の絶叫を他所に上野駅の地平ホームに飛び降りる
必要がある。
両者共にその行為が日常性の中で、不機嫌そうに、つまらなそうに、クールに
かつテキパキと行わなればならない。
間違ってもワクワク感など出してはならない。
特に其の二に関しては
@出来るだけ速度が出ている時にやる
A後部の車両でやると、その車両が完全に停車してから降りた客の方が先に行ってしまい
恥ずかしい思いをする事があるので編成長に注意する必要がある
B踏み切り足で着地する
これだと容易に対地速度とシンクロ出来る
要は三段跳びのホップステップだ、間違っても
ジャンプしてはいけない。コケる
C柱に気を付ける
D移動売店に気を付ける
Eターレットに轢かれない
F鋭く飛び降りた後は踵を引き摺りながらズチャラズチャラだらしなく歩く
G此れが重要!くわえ煙草でやる。煙草はピース。片手には缶入りピース(ピー缶とも言うが
俺はJazzマンを目指してたのでカンピーと呼ぶ)の缶を持つ!
要するにだな…君が宇都宮在住の童貞君だったら、缶ピー持って上り八甲田で上野駅
そして鶯谷駅から吉原のトルコ風呂に直行して口明けの嬢を指名する
かくして君は一日にしてオトナの男に成れる訳だ
以上 オトナの男に成るにはな!?
其の一:硬くなったチンポコの使い方を熟知する
其の二:『飛び降りは大変危険です列車完全に止まる迄お待ち下さい、お止め
ください、お止めください!お〜おーおい!』
の絶叫を他所に上野駅の地平ホームに飛び降りる
必要がある。
両者共にその行為が日常性の中で、不機嫌そうに、つまらなそうに、クールに
かつテキパキと行われなければならない。
間違ってもワクワク感など出してはならない。
特に其の二に関しては
@出来るだけ速度が出ている時にやる
A後部の車両でやると、その車両が完全に停車して降りた客の方が先に行ってしまい
恥ずかしい思いをする事があるので編成長に注意する必要がある
B踏み切り足で着地する
これだと容易に対地速度とシンクロ出来る
要は三段跳びのホップステップだ、間違っても
ジャンプしてはいけない。コケる
C柱に気を付ける
D移動売店に気を付ける
Eターレットに轢かれない
F鋭く飛び降りた後は踵を引き摺りながらズチャラズチャラとだらしなく歩く
G此れが重要!くわえ煙草でやる。煙草はピース。片手には缶入りピース(ピー缶とも言うが
俺はJazzマンを目指してたのでカンピーと呼ぶ)の缶を持つ!
要するにだな…君が宇都宮在住の童貞君だったら、缶ピー持って上り八甲田で上野駅
そして鶯谷駅から吉原のトルコ風呂に直行して口明けの嬢を指名する
かくして君は一日にしてオトナの男に成れる訳だ
以上 S53 12 31 に上野から乗った臨時十和田
スハ43系に10系寝台なども連結されていた記憶がある 座席車の通路に新聞紙を敷いて一夜を過ごし 盛岡辺りからやっと席が空きはじめた
今じゃそんな豪華列車、幾ら金を積んでも乗る事は出来ない 半濁点と濁点の違いも分からないのかよw
>>386の記述は缶ピーでなくて缶ビーだぜ
缶ビール(麦酒)の缶ビー ココは減らず口しか叩けねー、ゆとり屎ガキヲタクが来る場所じゃねーんだよ
巣に帰りやがれ、もー来るんじゃねーぞ アスペ低能野郎 青森へ到着すると連絡船が出航を待っている
今回の船は何だろう そんな楽しみもあった
乗り換えの醍醐味があった 青森マラソン・函館マラソンやったなー、青森の連絡通路の方が長くて屈曲も多かった記憶がある
レチが車両ごとに乗船名簿とちびた鉛筆渡して回収していくんだよな
連絡船での手足伸ばしての仮眠は本当に助かった 青函連絡船は桟敷席が最高だよ・・・ゴロンと寝られるから 函館駅では、ワイド周遊券で乗れる特急自由席が遠くて階級制度を痛感した。 ほたるの光が流れる中でのドラの音、あれって本当に打ってたのかねー?
良い光景だったよなぁ〜、、、 >>408
洞爺丸などボーイが乗組のころはライブ
津軽丸後しばらくしてテープ
末期にライブ一部復活 >>408
出航前にドラのテープが流れ、出航と同時に蛍の光が流れる ピンポンパーンポーン♪
入場券で船内お入りの方、当船はまもなく出港しますので
お急ぎ桟橋送迎場の方にお戻りください
>>405
>>406
深夜便や急行八甲田接続で寝不足なら桟敷席が多かった。
あと空いてる時も桟敷席、逆に激混みの時は1人分の
スペースが確保されてる椅子席が多かった。 臨時の51号とかだとEF57だけじゃ足りなくてEF56も牽引してた 八甲田6:30着でいつも八甲田丸
はつかり0:15着でいつも十和田丸
函館は時間に係わらず摩周丸
羊蹄は船の科学館で乗ったが >>412
(規則上の是非はともかく)入場券だけで船内にって可能だったんだろうか?
乗船口では乗車券は確認しないけど、乗船名簿は回収してたから、乗船目的以外は無理じゃね? 青森発八甲田(旧客付)は大宮駅で沢山の人がおりた記憶がある。
みんな上野駅まで乗るものと思っていた。 青函連絡船乗った船舶ベスト5
@八甲田丸
A十和田丸
B摩周丸
C大雪丸
D羊蹄山丸 羊蹄丸だろう?
現役時代は貨物船改造の2隻は乗れなかったな
八甲田丸と松前丸も
結局乗ったのはは津軽丸 羊蹄丸 大雪丸 十和田丸 摩周丸 12系になってからの八甲田で、
荷物車がワサフってあったよね。
画像検索しても見つからない。 >>422
YouTube
1984年(昭和59年) 秋 青函連絡船 津軽線
に映ってるけど 12系は快適だったなぁ(スハフ除く)
ピッチ広かったし、手摺りにアタマ寄っかかれたし。
14系と違って窓が開くのが良かった。
下手に簡リクなんかだと寝られやしない。 >>425
いいよね12系、おいらは拾った漫画を枕に窓側が頭だった
上り八甲田はなぜか電暖強すぎて焼き魚気分だったなぁw これは12系と言わない
ってこのスレで言わなければならない時代か まあ野暮なことですまんが、東北本線系統にはオハネ12の配置はない。
それ以外のオハネフ12・13、スハネ16。 >>434
なんだと思う?
自分は旧客だと認識してるけど 編成の一番最後の貫通扉を開けたまま走る習慣があったのが旧客
・・・というのが俺の勝手な基準w どうなんだろ?
お盆で還って来てる某氏は10系を含めて雑客と言ってたし
郵便・荷物車は14系や50系に準じた車も居たし…
内装を近代化したオハ36なんかはナハ10より綺麗だった印象 スレチだが
夜行鈍行「山陰」は、旧型座席車+10系寝台(オハネフ12だかスハネフ12だか知らんが)の編成だったが
末期には12系座席車+10系寝台(オハネフ12だかスハネフ12だか知んが)になってしまった。
前者は、寝台も含めて旧型と呼んでいいだろうが、
後者は、座席部分は旧型じゃなくなってしまった。 >>439
デッキを封鎖
電源を自前で確保
かなあ
境目が20系か12系 >>441
10系を旧型とする位置付けなら末期の津軽 まりも 利尻 大雪このあたりも
スハネフ12は無いよ >>439を支援
したがって、12系座席車も20系も旧型ではない。
10系寝台は旧型に入れてやってほしい。 >>443
末期の津軽は583系 まりも 大雪は14系 利尻は 続き
利尻はキハ183系とスハネフ14
スハネフ12 ? だからオハネ12など10系寝台や座席車は12系じゃ無いから 設計は10系以降が新系列だろうけど、旧客に10系寝台数両はノスタルジー世代だあね 基本的に同一系列だけで編成を組むのが新系列客車の定義じゃないかなぁ。 >>450
それだと、「12系座席車+14系寝台車」の編成は旧系列客車になってしまうぞ。 ちくま・さんべの20系+12系も当てはまってしまう〜
走行中開放可の客車が旧型のイメージかな >>450
20系客車の固定編成のフレーズで
てっきり中間連結は半永久連結器でも使っているのかと思った 国鉄が20系から新系列って言ってるんだから
国鉄車輌課は10系から新系列のつもりだったんだろうけど、20系は成功して
10系、早期にボロボロになっちゃったからな
10系が難しい位置にいるからこういう論議になるんだろうけど >>452
ちあきなおみ「喝采」より・・・♪動き始めた汽車にひとり飛び乗った
こういうフレーズが解る世代も少なくなってきたな。 オユ14なんてのはオユ10をベースにしながら12系に準じた車体構造だと言うし…
マニ50は50系だけどスユニ50は台車が旧系列
車体は新しくても吊りかけ駆動の更新車みたいなものか?
マニ44? 貨車でしょ? >>458
既にオユ11 101〜105から12系に準じた車体になっている。
スユニ50は台車と一部部品を流用した更新車。 >>456
中島みゆき「ホームにて」で、
「振り向けば 空色の汽車はいまドアが閉まりかけて・・・」
の歌詞はいわゆる寝台ブルートレインではなく、旧客のイメージがわく世代も少なくなってきたよな。 当時幼稚園児のおれは日東の日本航空のDC-8のプラモデルの箱に描かれた夕焼けの空を背景に着陸するDC-8見ながらうっとりして喝采聞いてたわ。
DC-8は歌とは全然関係ないんだけどな、幼稚園時の俺にはよくあった 笑 >>461
中島みゆき「時刻表」
♪今夜中に行って来れる海は何処だろう? 人の流れの中でそっと時刻表を見上げる♪
「冊子の時刻表」でも「壁に貼ったポスター型の時刻表」でもなく
昔の「上野駅中央改札口の上に吊り下げられた大きな列車案内板」なんだよね。 中島みゆきといえば「あたいの夏休み」
軽井沢か清里のことを歌った歌 チェリッシュの「はつかり号は北国へ」という曲もあった >>464
週刊紙読んで来れば数珠繋ぎー
って歌? >>463
>上野駅中央改札口の上に吊り下げられた大きな列車案内板
手作り感が旅情をさそったよね
そういえば、、、
いつのまにか甲子園球場のスコアーボードも電光掲示板になっちゃったね 大宮まではまだまだ序の口
宇都宮もまだ関東だし
福島過ぎると来たなと思うが仙台まではまだまだ
仙台すぎると来たあと思う
盛岡過ぎるとこれぞと思う
東北の旅 >>468
まさにその通りだったね。
盛岡辺りで白々と夜が明けはじめ
周囲の景色が見えてくると、来たぞ!と思ったものだよ。。
それが今や、東北名物が走るプレハブ・・・(´Д`)ハァ… 常磐線沿線在住
飲んで終電近くに乗ると、夜行がこれからバンバン来た時代もあったんだなと思ったりする 季節列車のオール寝台「十和田」に乗ったが、目が覚めたら十三本木越えだった。 福島仙台あたりで田んぼの真ん中に「白松ガもなか」「花春」とか看板が見えたね。
青森に近づき右手に海が見え出すと連絡船に乗る前から「いよいよ北海道だわ」と気がはやる。 >>474
白松が○○ の看板目立ったね
最中と羊羹がカタカナなのな
福島あたりではハイセブンの看板もあったわ
ちなみに車窓から見える看板ではないが、青森に行くと「ユドーパン」の看板のお菓子屋がやたらあったわ >>474
福島仙台あたりからホーム真ん中に走るプレハブ小屋が見えたね。
青森に近づき右手に海が見え出すとガマン大会から解放され「やっと北海道へ脱出できる」と気がはやる。 10系寝台車も走るプレハブだったんじゃね?
そして冷房なし、コチコチのボックスシートで開放式ドアの走るボロ家が併結され、それでも急行料金取るってのが、40〜45年位前の東北夜行急行だった。 >>477
ハネは冷房化されてから、ナからオ級に上がって良くなったよ
10系ロザ、ハザは最後までよく跳ねてたわ >>477-478
そんなガラクタを平成の時代に作るな、走らせるな!!ってことだろw >>478
プレハブのハネに後付けで冷房付けても、長く持たなかったということだろ 長く持たなかった?
50年代から80年代まで走りゃあ十分だろうが
現代版プレハブよりは間違いなく格上だろうな 冷房付けてヘタって25〜27年位で引退だろ。
実質、遜色急行化してたのをだましだまし使ってたわけだから。、
701がデビューしてから間もなく25年になるのか・・ >>482
で、701が秀逸な車だとでも言いたいのかな?
だとしたらお前の感覚はどうしようもなく世間ズレしてるなwww
屑鉄らしい立派なセンスをお持ちでwwwwwww 701アスペなんてほっとけよ
スレチだし荒らしただけだろ ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています