【上野】急行八甲田・津軽・十和田 2号車【青森】 [無断転載禁止]©2ch.net
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上越国境っつぅと、EF16というイメージなんだが、
EF57なんて走ってたん? 走ってた。東海道に58が入って57は上越へ。ツララ切りはその時につけてる
でも>>262が言ってるのはEF16だな 急行八甲田は旧客や12系時代はかなり乗ったけど1986年の改正で14系になってからは数えるほどしか乗っていない
急行津軽も同じで、旧客や12系時代はかなり乗ってるのに14系になってからは5回くらいかな
485系や583系になった津軽は結局1回も乗らなかった もう手遅れだけどもっと乗っておくべきでした × 1986年の改正で14系になってからは
○ 1985年の改正で14系になってからは 14系や20系は窓が開かないのが嫌でねぇ、正直意図的に避けていたよ
はさすがに今では平気だが、ガキの頃は貧乏育ちの悲しさか、窓の開かない高級な車両に耐性が無く、
初めて新幹線に乗車した時は、嬉しさより息苦しさと恐怖からか乗車15分で吐いた
だから当時は12系や50系、急行型電車が大好き(旧客は神)だった、今でも185系とか大好きw 混雑してる時は14系でも仕方がないけどシーズオオンフとか空いてる時なら
旧客や12系のボックス席が最高。友達や彼女(奥方)と2人なら確実にお互いに
足を前の席に投げ出して楽な姿勢でも旅ができるし、場合によっては1人で
ワンボックス占領も可能。 >>269
見ず知らずの人とでも互いに足を延ばし合いしてたことあったよ、俺は。
さらに
583系つがる自由席で、勝手に下段寝台をセット(車掌黙認)して、
見ず知らずのオッサンと俺の2人で添い寝したことだってあるw 「つがる」という名称の列車は特急だぞ
急行の夜行列車は漢字で「津軽」だ 昭和48年頃、阿久悠作詞の「北に消えゆく二人」という歌を最近初めて聴いた。駆け落ちしていく若いカップルを主人公にした歌詞なんだが、乗り込んだ列車は急行八甲田をイメージしていたように思えて仕方ない。
以下、歌詞をワンコーラスだけ↓
19時発の北へ行く汽車
ベルの終わりに飛び乗る二人
互いの膝にカバンを乗せて
硬いシートで身体寄せ合う
幼い恋を責められて
恋を捨てずにみんなを捨てた
どこでどうする
この二人
オリジナルは仲雅美という歌手のシングル盤用に提供された曲で、全然ヒットしなかったと思う。俺が聴いたのはチューインガムという姉妹デュオがカバーしてアルバムに収録したもの。
阿久悠氏が故人となった今では、確かめようもないけど何か気になる、、 いまどきのそういうシーンはほとんどバスに置き換わったな。歌もマンガも。夜行列車なくなったから当然だが。 気象板でも同じことがいえるが、過去を美化しすぎる風潮どうにかならないか。
前にも書いたけど、非喫煙者にとっては昔の夜行列車なんか、座席車を利用する限りは一晩地獄だぞ。 >>275 鉄道に関して過去を美化したがるオタが集まってくる板だから、仕方がない。 気象板で過去を美化ってどういうことだろう
昔は猛暑がなくて過ごしやすかった、とか? >>274
以前はつべに上がっていたけど、削除された
みたい。レコチョクで、さわりだけは聴けま
す。このアルバムの23曲目です
http://recochoku.jp/album/A230207907/
ちなみに2番の歌詞↓
汽車の窓から花火が見える
通り過ぎてく街は祭りか
指をさしたらもう消えている
そして窓にはまた闇ばかり
幼い恋を責められて
恋を捨てずにみんなを捨てた
どこでどうする
この二人 >>275
先に>>267さんとか、俺(>>268)が書いてるだろ。
14系は最悪だけど、旧客や急行型は窓が開くから無問題。 上野を出る時は全開だが郡山あたりから先は、夏の夜風が涼しすぎて窓閉めてたかも 黒磯〜白河間は気温が下がった
福島盆地は暑かったけど県境の
国見峠は涼しかった記憶がある >>283
まだ現役のオハ472266は津軽や十和田の運用に入ってたな。 オハ472266は高崎駅始発のSL列車で乗った事がある 高崎始発のSL列車には、むかし北陸本線の旧客で乗ったオハフ332555も使われていたな。 汽車基準、ホームもかさ上げされていないのが普通だったので
初めて上京した時に電車基準のホーム高さに恐怖したw >>288
オハフ33が北海道で朽ち果てる前に、早くJR東に戻してほしいね >>289
東海道沿線で育った身としては、電化されても未だに低い東北本線とかの方が奇妙に感じるw >>291
ステップ付きで対処できるならそっちの方が安上がりだからね 都内生まれで都内育ちなので一般的な電車しか知らなかったけど
初めてステップ付のデッキがある列車に乗ったのは小学生くらいで
越後中里だったか石内か忘れたけど国鉄のスキー列車だった。
帰路は181系の特急朱鷺だったけどあの時の12系スキー列車の
ステップとの出会いは違和感があったけどその後夜行列車として
12系や14系、はたまた旧客に乗ると子供の頃の事を思い出す。
残念ながら旧客(座席車)の津軽は1978年10月、八甲田は1979年4月、
十和田下り5号・上り2号は1979年10月から新型の12系に変わって
しまったので旧客時代の急行夜行(上野⇔青森)列車は数える
ほどしか載っていないのが残念。 >>293
石内銀嶺ですか?
それとも西武鉄道主催のスキー列車? >>291
大磯とか低いまんまだったぞ
祖母が乗り降りに苦労してたし、小さい俺も怖かった。 >>295
80年代ぐらいまでは東海道線も低かった気がする
自分も子供だったけど、スカ線やケト線や私鉄と違って
東海道線だけはいつも階段一段上るように乗車してた記憶がある 弘前始発の臨時急行津軽に乗った事があるけどいつも空いてたイメージがあった 津軽と八甲田の臨時列車は主要駅を怒涛のごとく通過する便が結構多くて
時刻表を眺めるのが楽しかった >>299
弘前発着になる臨時津軽は板谷峠が通れなくなるまで長らくあった
(最後のころは津軽81・82号が12系、80・83号が14系) JRになってからの津軽81・82号は上野〜福島間は八甲田81・82号と併結してたと記憶にある 自分が知ってる急行「八甲田81・82号」は以下のダイヤ
上野19:41→06:37青森
青森22:01→10:19上野
1990年ごろのGWだと思われ 急行八甲田の12系も盛アオからいつのまにか北オクに変わっていたなぁ >>306
この動画から39年が過ぎた
あと4日で上野発の夜行列車は完全消滅
時代は変わったね オラオラそこどけ!とばかりに走り回るターレット、赤帽さんも現役でしたね
どことなくカオスな感もあった地平ホームの賑やかさも今は昔ですかね 荷物扱いや郵便扱いしてた駅にはあったターレットなつかしい
ターレットのエンジン音にホーム案内放送の音にスハフ・スハネフ・カニの
ディーゼル発電機音に乗客の声が混じったシーンがまだ自分の耳の奥に
こびりつているような気がする。 急行八甲田(定期列車)を牽引したED75は国鉄時代は青森機関区で、JRになってからは福島運転所でいいんだっけ? >>312
確か民営化直前の61・11改正から福島所に移管だったと思うけどもしかしたら60・3かも >>315-316
でも今思うと、上野発着の電車急行も情緒があったな。
小ぎれいな冷房付きで軽快な走りの電車急行は、上野駅の雰囲気から旧客に比べて
物足りなく感じたけど。 455系は乗ると165と車内が同じでガッカリした事がある
ドアのステップが455にあるだけの違い 455どころか、キハがきてたもんな。おがにいいでにときわ。
>>315
あずまは最近のあっちのやつだな。福島行はあづま >>321
停車駅は・・・・・山形、天童、神町、東根、楯岡、大石田、新庄、古口、狩川、余目、終点酒田でございます。 12系14系時代の八甲田で夜に北へ旅立つ経験がしてみたかった 考えてみたら、上野から夜行列車に乗ったことが無い
中学生の時東北ワイドで回ったけど、名古屋在住なんで中央、信越経由で東北入りして、周遊区間内では列車ホテルとして利用して、帰りは天の川で上野に着いたけど >>326
言っちゃ悪いが上野から夜行に乗ったことないのは夜行列車マニア失格でしょ? >>327
関西在住とかだと夜行列車乗りまくってても上野発着夜行と縁がないとか普通だと思うよ 田舎がどこかによるよな。
九州行は両手の指くらい乗ったけど、東北は1回もない。
1度秋田への仕事の出張であけぼのになりかけたけど、とりやめになった。上司と寝台なんてやだと思ってたからほっとした。余談だが秋田で見た日本海はまだまだブルートレインの風格たっぷりだった90年代。 >>328
そういう意味ではなく、上野発着の夜行ってのは一番の花形でしょ?
その様な列車に一度も乗れていないというのはね、個人的主観だけど >>330
>上野発着の夜行ってのは一番の花形でしょ?
そんなことはない
日本の鉄道史上一番の花形の夜行は東京駅発だよ 東京発夜行の魅力って何?
全く想像できないけどなぁ 東京住みで九州・北海道とも足しげく通い'74で鉄行動から足を洗ったのだが
華々しさなら東京駅発だろうが、ロマンという点では上野駅櫛形ホームから
青函連絡経由で北海道を目指す汽車旅が最高だったね
ちなみに窓・ドアの開かない箱はつまらないので特急には乗らずじまいで
九州へは霧島/高千穂か安芸~はやとも乗り継ぎ、帰りは色々適当
北海道へは八甲田~宗谷、帰りはライラック~みちのく3号(オシ17で昼飯を食う)が常だった
あの頃の八甲田は57牽引で14番線から1630発だった。 >>332
日本の鉄道史上一番の花形の夜行=ブルトレってことだろ
価値観の多様性は人それぞれに有って良いではないか? >>333 連投ゴメン
みちのく3号…×
十和田3号…◎ そうだよね、価値観は人それぞれで良いと思うわ
まぁこのスレは上野発の急行スレだから、
そっちが好きな人の方が多いだろうけど。
時代にもよるだろうね、東京発と書いている人は、
もしかしたら新幹線博多開業前の急行華やかし頃を
言及してるのかも知れんし。 どこに住んでいようが乗り鉄撮り鉄の際あちこちの夜行を使わなかったのかおまいら 自分がリアルタイムで経験してなくても来てええじゃろ >>339
自分がリアルタイムで経験してないものを懐かしく思うってどういうこと? >>339
親も、生まれる時代も選べない、人間皆平等なんてウソだからな、諦めな
話変わって、青森電化後の八甲田って仙台で青森方にスハ・スハフ2両増結してなかった?
上野からだと立ちんぼになりそうなので仙台迄まつしまかいわてで先回りして着席したような記憶が… ありがとう、ググったら出てきた
カップヌードルを初めて食ったのもその時、プラ製フォーク付きで
メチャクチャ美味しかったよ
俺的には盛岡からC61牽引の頃が八甲田の絶頂期だなー >>339-340
模型や映像から入って思いを馳せるのもいいじゃないか
上野発夜行もC62時代のニセコもリアルタイムでは知らんけどカッコいいものだぞ
若いからって馬鹿にすんなや >>334
模型的には1950〜60年位のぶどう色一号の「銀河、彗星、あさかぜ」旧客編成
が面白い、「阿房列車」は大好きだ。自分は北関東の人間だから親しみがある
だけかもしれない。あとゴナナの記憶と昭和歌謡のイメージかな。 >>345
良いこと言うなぁお前さん!
模型や映像から入って思いを馳せるってそれ今の俺だわ(笑)
北斗星やはまなすが廃止されて落ち込んでいる時に模型や映像は最高の慰めになってくれる
ありがとう、あんたのレスに救われたよ この板は『懐かし…』ですからね
・懐かしむことの対象⇒実体験=過去に実際起こった事≒ノンフィクション
・思いを馳せることの対象⇒妄想=なにかから個々人が脳内に創り出した物≒フィクション
なので両者に優劣はありませんが、別の人種なので他の板へ行くのが筋ではないでしょうか? 資料から過去を追いかけることも懐かし板の存在意義やろ 当事者の記憶が揺らぐ事もあるでしょうし
実体験を資料から再確認する行為は私が述べた内容と矛盾しないと思いますが
 ̄ ̄ ̄ 冷凍みかんを自製して喰いながら鉄模で19:30上野発車とか遊ぶ、最高の追体験 >>320
上りだけ上野にきていた「そうま」を忘れないでくれ。
夜上野に着いて、水戸行の快速(Bグ営業)となるやつ。
ついでにいえばこの水戸行が常磐線の定期券乗車できる列車の最終。 >>355
それは78年10月改正で、「ときわ」になり電車化されただろう。
そこまでなると181系DC「つばさ」も近くなってくる。 >>356
53.10は細かい変更が多かったな
Tb連結中止に伴う仙台の455・457系統一、いわて・まつしま各季節1往復廃止
↓
453系の勝田転属、つくばねの移管
↓
そうま1/1のときわ編入に伴い、原ノ町〜仙台の普通1往復が453系(G営業)に変更 その時代に生きてない奴はNGってのなら
古典文学・芸術・音楽などの愛好家を全否定するのか? 懐かしいと思わなければならないというのもまた視野狭窄 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています