江ノ島電鉄の昔ばなし©2ch.net
撤退を考えてたわりには、車両の置き換えなどでそれなりに投資してたようだが。
高架化もやった 305と306が登場する8年の間にどうも止めようと非公式に計画が出たようだ
600 800が出て藤沢高架になった頃には道路が渋滞してきて 持ち直してきた
その後俺たちの旅でブーム 1000のデビユー 305が出来た後 ですね訂正します
あと江ノ電じゃ将来がないので新しくできたドリームモノレールに転職した人もいたらしい
その決断はこうなっちゃったが
脱線して悪いが草軽から伊豆急や 日立電鉄からつくばとか転職ありますね 60年代、経営苦しい中で併用軌道の解消や、完全新製ではないものの台車流用で新製した500形の導入など路面電車からの脱却を図ったから生き残れたんではないのか?
60年代末頃になると並行する道路の渋滞がひどくなったから経営改善し、74年に藤沢付近での高架化を達成できたのでは。 地上時代の藤沢駅すごいな…
駅みんなくっついてて南口ゴチャゴチャ… >>105
そんな時代からもう大手による地方中小の系列化は始まっていたのね
うーん 湘南は小田急のテリトリー
支配下に置くことに何の不思議もない >>108
港南台の仮称が湘南日野だったけど、確かにあの辺は江ノ電と神奈中が多い >>109
民家の軒先ギリギリを走ってる区間は
元々は併用区間だった可能性あり >>101氏の指摘の通り1000型が転換点になった
好きな電車で何度も乗りに行った 山のように駅があった時代が羨ましい
鎌倉〜和田塚の間に3駅とか信じがたいw 電車運転が始まった頃は駅というほど立派なものもなく、適当な場所に適当に停まって客を拾っていたという記録もある。やがてお上が取り締まるようになり場所は固定化され停留所へと進化して行くが適当時代の名残で至近距離に停留所が置かれたケースは各地にあると思われる。 >>114
同じ時期に箱根登山、新京成、伊豆鉄、上信電鉄にも完全新車が登場して、
地方私鉄がまだまだ元気だった時代 「俺たちの朝」でグズロク?が線路に寝そべって、江ノ電に轢かれて死んでやるー
とじたばたしていたが、今だったらマズイやね
最近鉄道自殺が多いし 地方私鉄の中ではCMやドラマや映画に登場する機会が最も多いかも
CMで思い出すのは「♪あの~どーぞ、いつものですね!」のソングで知られた山本海苔店
車両は300形 >>121
あのCM車窓の動きからずいぶんスピード出てるなあ、と当時思った >>121
そんな地域限定CMよりも稲村ジェーンだろが
映画だぞ 小田急も江ノ島観光のCMで江ノ電を使っていたよ
モデルは300 >>123
サザン好きだったけれど、稲村ジェーンはつまらない 極楽寺車庫のデルタ線は、おおよそ今でも場所はわかるけど、
大境の複線は、今のどこからどこまでかイマイチはっきりしない。 モナカで有名な扇屋が600を引き取って店頭に置いたのは平成初め頃だったか 旧型を腰下ライトに改造したのがとても残念で、306が出来て約10年変わらなかったが
301の事故後短期間で改造されてしまった。現存する305も角型尾灯ながらも
端正だったのに。
もし108号が2灯化されたらとてもキモイと思う
変な事書いてすみません なぜ変えようとするのだ
設計時に慎重に吟味して決めたはずでしょ 昭和30年代の基準では十分だったのが、50年代になると不十分になっただけだろう
埋め込み式前照灯の304と305は腰下にせずとも、豚鼻にすれば済みそうだったが
部品の共通化を考えると、腰下に統一となるだろうな そう、合理化の第一歩は仕様統一から始まる
メンテナンスにも有効 >>106
地上の頃は2面2線ホームあったらしいね 江ノ電の腰ライト化は、おそらくは併用軌道区間での車との関係がありそう。
306Fが最初の腰ライト車だと思うが、それが案外併用軌道で効果があったので
他車に普及と推察。 東京電灯が持っていたのは
江ノ島電気鉄道(藤沢⇔鎌倉)
渋川⇔高崎・渋川⇔伊香保・渋川⇔前橋
分割して北関東の方を譲渡していなければ,
関東版の京福電気鉄道になっていたかもしれない。 >>140
306だけ腰2灯の期間が11年もある。その後藤沢で301が事故ったのを修繕したら
瞬く間に他の在来車も腰2灯改造された。1000系列をバンバン新車導入することになり
仕様を合わせましょう、となったのかも。でもレトロ風電車は一燈だしよくわからん 統一性がないのも江ノ電の良さ
ということにしておこう 改造でそれまでの好ましい外観を台無しにしてくれること数知れず。
500の改造には言葉も出なかった