駅名改称の思い出 [無断転載禁止]©2ch.net
>>373
新古河「今でも対岸の他県の市名を名乗っていますよ」
江戸川「昔は市川駅だったんだぜ」 >>370
その代わり、関西私鉄は神社仏閣系の駅名が増えたな。
京福とか、もとの駅名を忘れてしまうw 京福嵐電は初めから門前電車なのでまだ良いにしても
阪急の服部天神・中山観音・松尾大社は露骨過ぎて歓迎できないな
明治大正期から旧名で地元に定着してたのに 松尾大社駅は開業当初は「松尾神社前」だったけどそれは... 新子安を國鐵に譲って京急新子安にするみたいなもんか あれはネーミングミス
立地が明らかに吹田市域の南端なのになぜ西吹田なのか理解に苦しむ 平駅からいわき駅に改名されてしまったが、
同じ常磐線上にある勝田駅はひたちなか駅にならずのそのままだな。 いわきはこの先もずっと残るだろうがひたちなかは将来水戸市や那珂市、さらに大洗町などと合併するだろうから残す必要はない いわき改名は、いわき市や地元商工会からの要望があったから。
平のままではぱっとしない、どこにあるのかわからないといった理由で。
勝田の場合、「ひたちなか」駅にすると那珂湊駅と間違われやすいとか、ひたちなか市の方からの駅名改称要望がないからなんでは。
そもそも、広域合併でひたちなか市が発足してからまだ日が浅い。旧市名の方がピンとくる人が多く、いわき市ほど定着したとは言い難い。
それから、平成の合併でも水戸と勝田の合併は実現しなかったから、余程のことがない限り今後数十年間はひたちなか市のままだと思うよ。 ひたちなか市も平成に合併した市なんだが
ただ90年代前半であり俗に言う「平成の大合併」より前の合併という違いはある 常磐線は駅名改称が多いよな
下孫(常陸多賀)、助川(日立)、川尻(十王)、関本(大津港)。 おけいはんがまた2駅改名するようだが、
好きじゃの 八幡市のはまだいいけど深草のはふざけすぎだと思うわ
「深草(龍谷大前)」のままでいい
なんか中日本とか西日本って「◯◯◯前△△」という駅名が好きだよな(◯◯◯は施設名、△△は地名が入る) >>366
>>369
南干台の大本営は、意地でも束急大田線にしたくなかった 高崎住吉町駅→北高崎駅
家に帰って来て肩の荷が下りてほっとしたものだったんだがなあ
ほんとは西高崎の予定だったが近くに霊園もあり、「西」のイメージが死を思わせて縁起がよくないということで北高崎に落ち着いた 京成葛飾→京成西船
元々、東葛飾郡葛飾町だったので葛飾駅とされたが、近隣に国鉄西船橋駅ができたことで当地の住所があろうことか西船橋ではなく西船に。
葛飾区との混同を避けるために西船駅になってしまった。 新幹線開業を期に改称した駅
玉島→新倉敷
長門一ノ宮→新下関
脇野田→上越妙高
元の駅名だと「どこ?」って思われるから仕方ないか。 長門とか渡島とかただでさえ希少なのに
渡島大野なんかそのままでもよかったと思うんだよねえ。 >>397
「はやぶさ 渡島大野」
恐らく、読めない人が続出ww >>395
本来葛飾という地名は千葉県発祥だから変える必要はないけどな
むしろ東京都の方が地名を盗んだ
足立・荒川も同様
足立はさいたま、荒川は秩父が発祥(いずれも諸説あり)
ただ地元民はJR・東葉の西船橋駅も含め「西船」と呼ばれてるから自然の流れと言えよう
「京成西船橋」と橋をつけたら定着しなかったかも >>396
浦佐も「魚沼」に変えても良かったと思う
駅自体は南魚沼市にあるが同じ旧魚沼郡だから問題ない
あと開業からずった後だが新山口も然り
>>398
あれは新をつけないで「函館北斗」だけの方が良かった
「北斗」とあるだけで区別になるのにわざわざ「新」をつけるのが鬱陶しい >>396
玉島は一応、旧玉島市の代表駅だったからそこまで小さい駅ではなかったんだけどね。
倉敷に吸収されてしまうくらいの市名では新幹線の駅名としては役不足だったのかな。 >>400 「函館北斗」とすると、地元住民以外から函館市の北斗地区の駅と受け取られそうだから、「新」をつけたのでは。北斗市側が不満を示しそうだ。
「新函館」、「北斗函館」に「函館北斗」と色々な案があったそうだが。 他にも出てきた。
船小屋→筑後船小屋
東那須野→那須塩原
磐城西郷→新白河
陸前古川→古川(開業より改称のほうが先)
沼宮内→いわて沼宮内
津軽今別→奥津軽いまべつ(厳密にいうと一旦廃止→新規開業)
なぜか東北新幹線が多いな。 >>401
役不足を誤用してる希ガス
「(玉島が)役不足だっただろうな」なら用法的に正当だが 鹿児島の川内は新幹線開業を機に市名に合わせて薩摩川内にしなかったのがなあ。
「せんだい」と聞いて誰が鹿児島を思い出す?そもそも読めない。
「薩摩」を出せなかったのにも色々ありそうだけど。 >>402
でも将来は北斗市も函館市に吸収されて函館市北斗地区になるのがヲチw >>406
薩摩川内市が誕生したのは新幹線開業の半年後
ただ将来的には薩摩川内市に隣接する市町村を吸収して「薩摩市」を作る構想があるからその際には薩摩川内を超えて「薩摩市駅」になる可能性が高い 最近では、薩摩川内うなぎを売りにしてますな。
ちなみにJRとしては問題はないのかな?
仙台と川内、どちらにも新幹線の車庫があるようだが。 富士急暮地→寿
昨今の安易な改名ブームの遥か前に、墓地と見間違え易いとの理由で改名 作見→加賀温泉
上下隣駅の大聖寺と動橋が特急(白鳥)停車駅のメンツで喧嘩。これではいけないと、中間の作見を特急停車駅に集約して「加賀温泉」と改称。
おかげで大聖寺と動橋から温泉地に向かっていた北鉄加南線の廃線と、「加賀温泉」という温泉があるものと勘違いされる原因を生んだ。
(加賀温泉郷からのネーミング。ちなみに加賀温泉郷の四湯は山中・山代・粟津・片山津) 厳密に言うと加賀温泉改称及び特急停車駅集約で犠牲になったのは山代線と山中線
加賀温泉改称は1970年のことだが、片山津線は1965年に自滅し、粟津線全線と連絡線の粟津温泉〜宇和野間は1962年の国道8号の整備により平面交差となるため廃止(同様のケースは名鉄岩倉線にもある)
連絡線の宇和野〜河南間は動橋線と共に「山代線」に統合され、加南線全廃まで活躍した >>410
ちょっと無理があるな
他の理由があるのでは? 改称は大体改悪なんだが
阪急の西灘→王子公園は良かったと思う
王寺公園にされちゃうのはタマに傷だが >>410
昭和46年頃、あの付近は月江寺付近の踏切でサイドブレーキを掛け忘れた車に側面衝突
され、ブレーキが効かなくなり、下り勾配を加速して急カーブで脱線・転覆、多数の死傷者を
出すという大惨事があったことも少なからず関係してるかも。 ああ、あの事故の現場に近いのか・・
「失敗データベース」という本で読んで事故を知ったが、
乗ってる電車が止まらなくなってどんどん加速していくなんて
不運にも乗り合わせた人は想像を絶する恐怖だったろうな 小田急の場合
稲田登戸が向ヶ丘遊園になった。
東生田が生田になった。
西生田が読売ランド前になった。
大根が東海大学前になった。
六会が六会日大前になった。
だけど、最も改称してほしい海老名市の「厚木」が、頑固に川の向こう岸の地名を名乗り続けている。
この際、駅名でなく市の境界線のほうを変えて、駅の住所を厚木市にしたら良さそう。 東武の足立区内の駅(堀切・小菅)も改称してほしい。どちらも葛飾区の地名。特に小菅はイメージ悪い。
それから竹ノ塚も住居表示に合わせて欲しいが… >>30
小田急の方向幕で片瀬江ノ島が江ノ島と略記されてた 佐貫→龍ヶ崎市
内房線に佐貫町があるから変えてよかったと思う。
関鉄の駅は佐貫で変わらない。 >>425 西武の入間市と入間川のように間違え易いとは思えないんだけどな。方向が全然違うし、距離も離れている。
むしろ、メトロ霞が関と東武の霞が関の方が距離的に近いわな。 学生時代サークル活動の交流で東海大学に行ったことがある
最寄り駅は小田急線の大根だった
最初はΓダイコンかよ」と思ったがオオネであることが後でわかった
それから東海大学に行ったのは後にも先にも一回きりで
いつの間にか駅名が大学名になっていた >>410
いまだったら、逆に固有地名の呼びを尊重して、佳字化するよりも
「くれち」(平仮名駅名)にしたかも。 小田急って改名された駅がやたら多くないか?
新原町田→町田、大秦野→秦野、座間が相武台前になり、新座間が座間遊園を経て座間に
その他もろもろ。小田原線だと創業時の駅で改名されてない方が少ない位で。 >>430
町田←新原町田
相模大野←通信学校
小田急相模原←相模原
相武台前←士官学校前←座間
座間←座間遊園←新座間
なんと5駅連続で改名歴がある! >>430
登戸←登戸多摩川←稲田多摩川
向ヶ丘遊園←稲城登戸
生田←東生田
読売ランド前←西生田
こちらは4駅連続 東上線民なんで調べてみたらこれだけかな?
小田急多いんだね
武蔵常磐→ときわ台
にいくら→新倉→大和町→和光市
膝折→朝霞
高階→新河岸
川越西町→川越
川越町→川越市
的場→霞ヶ関
坂戸町→坂戸
武州松山→東松山
菅谷→武蔵嵐山
竹沢→東武竹沢 軍事施設にちなむ駅名が戦中から戦後にかけて変更されているケース多数。秘匿目的で戦時中に横須賀軍港から改称したのが京急の追浜。 軍事施設にちなむ駅名が戦中から戦後にかけて変更されているケース多数。秘匿目的で戦時中に横須賀軍港から改称したのが京急の追浜。 >>433
向ヶ丘遊園はもう存在しないから再び稲城登戸か、せめて向ヶ丘に解消してほしいね。
常磐民などそうゆう遊園地が存在していると思う人もいるだろう。 駅名先行したものの座間遊園は不況と戦争でぽしゃってるし、鶴巻温泉は一旦、鶴巻に戻されている。
沿線に人口密集地が少ないから施設名にちなんだ駅名をつけたような。 コロナによる休校がいつまでも続くなら〇〇大学前駅系は相当ヤバイんだろうな
なまじその前だからかえって混乱言うか >>435
聯隊前 → 二十軒家 (現・守山自衛隊前)
一聯隊前 →各務原運動場前 (現・各務原市役所前)
とかだね >>440 秘匿のため駅名変えたり地図から軍事施設消しても、米軍の航空写真には秘匿飛行場までばっちり写ってました。
鶴巻温泉や綱島温泉が不謹慎として温泉消したのは、陸軍の命令でなく当時の空気によるものかな >>438
同時に温泉を駅名から外した綱島はそのままだね >>443 綱島温泉廃れたからだろ。新幹線開通もあって熱海に客取られたとか。
鶴巻温泉はまだ持ってるけど。 >>424
京成は京成津田沼以外は略してるね。
京成臼井に至ってはひらがなで「うすい」だし。 そういえば知らない間に車両側は「京成臼井」って表示されてるようになったな。 >>437
噂によると改称しないのは1000形が全車両行先表示がLED化されてからそうするとか
幕だとコマ数に限りがあるから「向ヶ丘遊園」のコマと改称後の駅名のコマを両方セットするのが難しいのかも >>444
鶴巻温泉駅に再改称された当時は綱島温泉>鶴巻温泉だったと思うけど >>449 通勤客増えて、駅名変えて綱島温泉宣伝する必要がなくなったからでは?
駅名変更の負担も考えると。 >>432
新原町田から町田への改称は、確か
「町田市全体の玄関口なのに、"原町田"という小さい町の名を駅名にするのはおかしい」
とかクレームがついたからとかきいたことがあったような気がするが… >>451
国鉄の電車の行き先表示は「原」の字を消しただけで「町田」がいかにもやっつけ仕事で右に寄っていた。 そういや原町田の駅名標が何故か道端にあったな。
まだあるのかな? 「原町田」如何にも野っ原の中の地方都市を連想させる名称だな >>454
江戸時代すでにあった町田村の人々が近くの原野を開拓してできた村で
分村するときに原町田村になった。元々の町田村は本町田村に改称した。
それが語源。 国鉄の駅との位置関係を考えると、「小田急町田」にならなかったのは関東では珍しいね。 >>456
小田急的には「小田急○○」という駅名は付けたくないのでしょう。
例外の小田急相模原は国鉄に強引にあとからつくられてしまった苦肉の策だし
小田急永山は京王永山と隣接しててどちらの線も新宿が起点で誤乗防止のため。 小田原急行鉄道は東京行進曲で小田急って略称を使われたのを文句言ってたんだが
大ヒットして小田急の名前が世間に広まると便乗して社名を小田急電鉄にしてしまったのよね 同じ足柄でも小田急とJRでは相当距離があるのに同一駅名を名乗ってるのも面白い。 開通は国鉄のが先だけど乗降できる駅としての開業は小田急のが先なんだよね。 >>460 社名を小田急電鉄にしたのは80年頃だったはずなんだが >>465
鬼怒川水力電気っていう発送電会社が小田原急行鉄道の親会社だったんだが
電力国家管理によって発送電事業を日本発送電へ統合させられたので鬼怒川水力電気自体がやることが無くなったので
子会社の小田原急行鉄道を吸収合併したのよ
で、主要事業が電気鉄道になったので小田急電鉄に改称
これが1941年
その後東急に統合されて戦後小田急電鉄株式会社として分離再発足したのが今の小田急 >>461
相模原や松山はそれぞれ私鉄に駅名改称を強制したのに足柄は変えなかったのは、所在県が違うのが理由? >>467
戦前と戦後じゃそりゃあ違うよね
官民の強さが全く違う
戦後の混乱期だったってのもあるし >>468
尼崎・西宮・芦屋・宝塚・塚口・伊丹・宇治などはどうなるんだ?
私鉄のほうが後からできたのに。 戦前の鉄道省は国鉄運営事業者であるとともに私鉄の許認可をする監督官庁でもあったからね。だから私鉄は頭が上がらなかった。 >>469
それって国鉄が駅名改称を強制したのか?