臨時停車の思い出を語るスレ©2ch.net
スポーツの試合(野球・サッカー等)、レース(競馬・競艇・競輪)、イベント(コンサート等)、祭礼(祭事・神事)、大学入試などの開催に合わせて実施されていた臨時停車の思い出スレ。
臨時停車駅が目的地の人にとっては有難いサービスですが、そうではない人にとっては停車時間分だけ目的地への到着が遅れるので疎ましいとも言えます。 東上線秩父鉄道乗入れ特急、中板橋臨時停車。セージクリーム塗装が始まった頃。
当時、板橋区内の小中学校の遠足輸送のため、板橋区内で3駅のいずれかに特急を臨時停車させることにしていたそうで。
担任の先生が言ってた話。うちの小学校は中板橋だった。 遠足は行き貸切り帰りが臨時停車だった急行乗る主婦の表情が今も忘れられない 確か1990年代に、急行きたぐに新潟行きが福井県の今庄駅に6月か7月に期間限定で臨時停車してたな。
臨時停車の理由は釣り客のためだったような・・・ まだ特急が停車していなかった頃の高野線臨時特急 河内長野・高野下 向日町競輪のため阪急京都線急行が東向日に臨時停車。
まだ全線通しで特急と急行が走っていた頃の話。 月並みだが中京競馬場前。
競馬開催日は特急以外全部停車だったが(今も?)、
午前中は、それ程乗り降りがなかったんだよね。
車内放送で臨時停車の案内が流れると、競馬場に用事の無い人からは
イライラというか溜息というか、「どうして停まるんだよ!」みたいな空気があった。
停まった時間の遅れを取り戻そうと飛ばしてる様子もなかったし、ダイヤはどう組まれてたのかな レース場に行く人達の乗車マナーが良くないから
臨時停車に対する反感が増幅されてる
残念だな 京阪の淀駅なんかはあまりにもそういうハゲ散らかしたおっさんマナー悪いので淀駅始発臨時特急で一般客と分離してる 群集心理というか、大勢になると少々のことくらい、という気持ちになるのかな
野球やサッカーの試合前後の臨時停車でも似たり寄ったりだと思う
忘れられないのが子どもの頃偶然乗り合わせてしまった阪神電車の上り特急、
甲子園から悪夢が始まった…その日はタイガース惨敗だったらしく、ビール片手の
大トラが車内のあちこちで泣くわ喚くわ暴れるわ、あげくがファン同士?で掴み合い
元々好きでなかった野球が一層嫌いになってしまったw あの連中は、野球観戦ではなく、騒ぎに来ているだけ。
球場で一頻り暴れて、物足りないから河岸を変えて電車内で続きをやってる感覚よ。
だから、試合に勝っても負けても同じだと思われる。 JR奈良線の稲荷駅 正月3が日だけ快速が臨時停車
1990年頃は終夜運転で大阪方面との直通があったり15分毎に走るくらい
駅頭は参拝客でごった返しそれはそれは活気のある風景だった ギャンブル輸送は無蓋貨車で運賃半額にすればいい気もする。バスもオープントラックで。 >>19
前は急行も停めたけど今は快特と特急だけかな?(競馬開催時に乗ってないから分からない)
ちなみに通常時でダイヤ組んであるから臨停すると遅れるが 今は余裕時分がとってある(通常ダイヤなら117km/hで巡行)し岐阜や新鵜沼での折り返しでも何とかなる(ちょっとの遅れなら大丈夫なようになってる) 岸和田競輪開催時の和歌山市行き急行の春木停車
行先表示も
=急=和歌山市 (白幕時代)
=急行=和歌山市(現行の黒幕)
と律儀に替えていた 大学入試に間に合わないからと泣き付かれて予定外の駅に臨停したことが
議論されたことかあったな
どちらかというと美談として捉える向きが主流だった印象だが
臨停したが為に遅れた他の受験生はどうなるんだとずっと疑問を抱いていた 周りに大迷惑かけておきながら
その試験に落ちたとか、受かりはしたけど辞退したとか
もう許されんなあ >>19 >>28
過去は急行のみ、現在は急行・特急が臨時停車(快特は通過)
ちなみに、並行するJR東海東海道本線は尾頭橋・笠寺・三河塩津に快速や
新快速が臨時停車して、2駅臨時停車していた列車もあった。(今は?)
ダブル臨停は、他に京王線の特急・準特急の飛田給・東府中臨停があった。
(こちらも今は?) >>26
お帰りは、無蓋車とグリーン車を隣り合わせにつなげてですな >>23
どうして阪神応援団だけ荒れてるんだろうな
阪急・南海・近鉄ではこんなことはなかった 板違いだが昔は阪神ファンはそんなに多くなかったらしいよ
だから電車内でのトラブルもそんなには起きなかった 特急「ひたち」以下ほぼ全列車が停車した万博中央駅。
力の入れようがすごかったな。 >>42 常磐線以外に有効な観客輸送ルートがない。
科学博開催直前は常磐線がパンクする、積み残しが多く出ると言われていた。 もし科学万博が無ければ勝田の車はボロいままだった
輸送力増強の必要から老朽取替に持ち込んだ交渉力には舌を巻いた 昭和49年頃の下りゆうづる1号
長町停車、仙台非経由。 ゆうづるで思い出したんだけど、不通で迂回する場合、
迂回した路線で客扱いするってあまりないでしょ?
北斗星やカシオペア、あかつきやなはにしても。
でもさぁ、上りゆうづるが東北本線経由で運転された時、
全ドア開けて下車だけさせてたんだよなぁ。
その意味が未だにわかんないゎ。小山に停めて水戸線の一番列車に乗せて、
水戸までの足を確保するとかなら、まだ分かるんだけど。 万博中央と偕楽園両方に停車した列車ってあったのかな? >>48
確か偕楽園には上野発10時の「ひたち」がシーズンには停車していたから、
これが両駅に停車したはず。
また当時は上野〜水戸以遠の普通列車が多数運転していたから
多数あったと思われる。
>>46
「ゆうづる」の迂回運転に限らず、当時は特急列車といえども
長時間抑止などがあったときの臨時停車駅でドアを開けることは
よくあったよ。
オレが遭遇したのは東北地方が豪雨の為、上野発10時以降の東北方面の
特急・急行は全面運休のとき、上野を12時すぎの黒磯行普通列車に
乗っていったら、西那須野で急行「いいで」、東那須野で特急「つばさ51号」
黒磯で特急「はつかり2号」が長時間抑止され、ドア開放されていた。
オレが黒磯に着いたころこれら各列車は動き出し、黒磯駅で、「はつかり2号」は全車満員で
立席特急券ならば乗車可といわれ、後続の「つばさ51号」ならば空席有とのことで、
「つばさ」で福島へ向かったのを覚えている。 >>49
ついでにいうとこのときは「遅れ承知」は売っておらず、
正規特急券を一旦購入した形になったので、当然ながら
福島駅にて払戻し。
でも今思うと、「はつかり2号」はもともと黒磯には停車しないわけだから
「立席」を購入してそのまま保存したらレアな1品になったかもしれないと
思っているが。 >>39>>40
あったよ
弱かった時代の西武も似たようなもの
それだけ世間一般が野球に入れ込んでいた時代だということだろう だから野球ファン(野球という競技ではなく、ファン)は嫌いだ 花月園前の話題出てないな。
急行が復活した時には競輪場が無くなっていたという。 1990年の大阪花の万博の時に、会場の最寄となる茨木に雷鳥が臨時停車
さらにその20年前、1970年の大阪万博の時も、種別は定かでないがやはり茨木に臨時停車する優等があったみたいです エキスポ70の最寄が茨木、これは分かる。
でも花の万博は最寄りでも何でもない。
当時、実状を知らずに茨木で下車して難儀したのを覚えてる。 斜め上に千駄ヶ谷原宿の臨時ホーム
普段と逆のドア扱いもあって使わないね 常設にしても良いと思うけどね
何か支障でもあるのかな >>27
昭和53年2月の事
ホームに降りたとたん、駅員に降りると色々大変と説得され、再乗車
その間20〜30秒、やっぱり降りてれば良かったとおもう >>55
茨木駅と万博会場の間でピストン運転のバスがあった
それよりも京阪が関目に臨停してたのは謎 >>63 関目駅前から鶴見緑地までの直線道路があり、バス輸送に便利だからなんでは?
茨木は環状道路に近いからだろう。 >>61
>>60は言い過ぎで年中営業にしてもそこそこ利用客はいると思うけど
そこまでするだけの意味はないってことなんだろう
そもそも寒梅期に偕楽園がめた混みするので東京方面からの寒梅客を
偕楽園駅→偕楽園→水戸駅と一方通行にして混雑緩和に繋げる為のものだから 小生も90年花の万博には行ったが、地下鉄を使わずどんなアクセスだったかなあ・・・
思い出せないがバスに乗り継いだのは覚えてる 京成東中山の特急停車
どの会社にとってもレース客は上客らしい 乗車マナーは疑問符付きだよ
野球ファンともどもブラックリスト入りしてんじゃないか 1988年5月のGW、「はやぶさ」のA個室に乗って九州に旅行した時の事。大船を過ぎた当たりから何か列車のスピードが遅いな事故でも起きたのかなと思ったら機関車にトラブルが発生したとので藤沢駅に臨時停車するとのこと。
結局代わり機関車に付け替えるとのことで2時間以上臨時停車した。この遅れは取り返すことはなく、下車駅の熊本で特急料金の払い戻しを受けた。
初めての個室寝台の旅を思う存分楽しめ良い思い出となった。 昭和末期か平成初期の頃だったと思うが、
近鉄の川合高岡駅に地元の中学校を卒業して就職先に向かう子の為に特急を臨時停車させたことがあった
当時その話題をTBSラジオの情報番組で聴いた覚えがある >>69訂正
×大船を過ぎた当たり
〇大船を過ぎた辺り
なお代替機関車はEF66ではなく、EF65になった。
それから国鉄時代は順法闘争の影響か新幹線も駅間の中途半端な所で停車する事がよくあった。一度京都を過ぎたカーブで止まったことがあり車体が大きく傾いたままで居心地が悪かった思い出がある。 まだ私大バブルの頃、近鉄長瀬で近大の入試日に臨停したとき、
案内は「長瀬、長瀬、近畿大学前」と言ってたが、
まだ当時は副駅名制度が定着してたわけでなく
違和感が残ったのを覚えてる。
停まったのは急行だったかな? 副駅名をコールしてくれたからこそ、受験生以外の乗客は本来の停車ではない事情を理解できたと思われる 近大はバブル期よりも今の方が受験生が増えてる
四半世紀遅れてきた私大バブル この時代にバブルとは言わんだろ
ところで大阪線といえば大阪教育大前もあるが、
こちらは臨停はあっただろうか?
人数が少なかったらメリットないからスルーされるのかな 懐鉄板なので最近の出来事を投稿するのはお控えください 新幹線の温情停車をめぐって新聞の投書欄が
今で言う炎上状態になったことがあった
ネットが普及してなかった当時は延々と何週間もかけて
同じテーマに関する投稿が続いていたものだ 花火大会は地元民にとっては迷惑行事
できればやめてもらいたい 310 ◆Dq0510MAKI @無断転載は禁止 2017/04/03(月) 02:19:45.35 O
JKの時に下級生が一人暮らしのアパートに一人で泊まりに来た時に
部屋の蛍光灯を一番ちっこい電球にしておしゃべりしてた
その時私はすくっと立ち上がったのだ
あとずさりする(なんでかな?)後輩
でこっからがAVと違うんだけど
私<お腹すいてない?カップラーメンでも食べる?
と言って蛍光灯を全灯にした思い出
現実ってそんなもんよ >>83
花火観客が浴衣姿で電車に乗ってるのは
なんだか滑稽だわ 浴衣は許してやれよ
それよりも下駄が嫌
カランコロンうるせえんだ 下駄に踏んづけられると、死ぬほど痛ぇんだよ
キ○タマぶつけた時といい勝負、悶絶できるぞ >>82
温情停車ってのもヘンな造語だな
温情を享受する傍ら、その影響で遅刻する人がいるかもしれないのに 一駅余分に停車するだけで何分くらいロスするんだろ? 臨停が嫌われるのは温情停車よりも
客の悪態だろう
レースと野球試合と蹴球試合は一般客にとっては迷惑千万 温情停車は一人しか幸福にならない
野球サッカー競馬などは臨時停車で大勢の人々が幸せになる 深谷を急行停車駅にするよう当時の国鉄に圧力をかけた荒船清十郎
ロッキード事件の衆議院予算委員会委員長としてもその迷進行ぶりで
一世を風靡した。 京葉線新木場。
当時は休日の快速マリンドリームが通過で、
92年11月1・2・3日に赤旗まつりが開催された際は、昼間に臨時停車した。
>>92
そう、三島。
89年の参院選のさなかで、社会党候補者が新幹線で静岡から沼津へ向かう際、誤って三島通過の
ひかり号に乗ってしまい、秘書が車掌に懇願して臨時停車。
これが大きな問題になり、その候補者は社会党公認取り消しされるも(告示後のため立候補取り消しはせず)、当選した。 今も行われているかどうか。
昭和55年ころの小田急線、毎年6月頃「本日に限り、善行駅に急行が停車します」と
車内放送が入っていたな。平日の1日だけだったので、不思議に思ったわ。 >>101
たぶんインターハイ予選の開会式対応
今はさすがに臨時停車してないけど、時期と日数から考えられるのはそれしかない >>102
返事が遅れてすまぬ。
当時はなにか人が集まるような行事でもあるのかなと思ったけど、見落としていたかもしれないけど
予告の掲示物がなかったように思ったからなおさら不思議だった。 冬の定番だった近鉄の東花園臨時停車。
難波方面のホームだけ8両対応に延長されてて急行とかも停車。まあ昔話だ 秋田リレー接続で1年間だけ最速達やまびこが北上に停まっていたが
今では見なくなった新幹線ページの★印と
当分の間北上停車というアバウトな注釈が珍妙だった 踏切事故で中野7番ホームに止まっても降りれないあずさ 先行列車の踏切事故ではくつるが遅延、新幹線振替のために新白河に臨停したことがあった
現状約1時間半の遅れが、最終的に5時間程度まで拡大とのことで、事実上の打切りだった
新幹線が無い時代ならラッシュ時の上野口に割り込んでいったかもしれないが
既にそういう時代ではなかった 受験シーズンたけなわ
来月まで余分な停車でイライラさせられるのかと思うと気が滅入る