スイッチバックの思い出 [無断転載禁止]©2ch.net
湯田中は子供の頃何度も見に行った
非鉄の家族にはいつも呆れられていたw 興味がなかったらただ列車が行ったり来たりしてるだけで
こんなの何が面白いのかと思っちゃうだろうな 趣味の世界は鉄道に限らずそういうもんだろ
盆栽なんて何が楽しいのか
俺にはサッパリ分かんねえ 奥羽線・板谷峠の4駅連続スイッチバックは楽しかった
福島〜米沢間を走る普通列車は全車EF71やED78が牽引する
旧型客車や50系客車でよくこの区間は何回も乗って降りたよ >>41
自分にとっては、線路に高低差が生まれ構内が複雑になるということかな
スイッチバックを解消した後の駅は例外なく平凡単純な中間駅になっている
>>44-45
俺も中山宿は人生初のスイッチバック体験だった。やっぱり小3くらいだったか
旧型客車の臨時急行に乗って、小駅で止まったので、はて?と思ったら、間もなく
向かいの山の中腹をキハ58系が颯爽と駆けて行ったのが鮮烈な思い出 >>51
かつてその先まで線路があった遺構があるので、
平地なのにスイッチバックになった理由が分かるね 木曽あずさ
諏訪しなの
などという特急が走り始めるが、塩尻での乗務員交代がたいへんそうだ。
交代前、交代後のどちらかが先頭から後尾まで歩くのだろうか? 東武柏、小田急藤沢、名鉄知立といった各社の主要駅は皆さんスルーですか?
あまり思い出がないですか? 南薩鉄道上日置駅
ローカル私鉄では珍しいスイッチバック駅だったが蒸機全廃もあって昭和40年代前半に使用終了
鉄道自体の廃止から約30年
おそらく唯一の線路未撤去であろう数m余りが樹木伐採により現出
測定した軌間は1067mm
間違いなく営業運転で使われていた遺構
最寄りバス停は「毘沙門」 >>57
碧南から猿投まで乗り換えなしで行けたら
取り上げる人がいるかもしれない。 大学受験は柏にある予備校に通ってたので
受験勉強の思い出しかない 少し早起きして森上→金山をSRで通学
座席はもちろん後ろ向き、すぐに寝込み目が覚めると前向きに
椅子取りゲームでワイドシートを争ったのも懐かしい
冬の5500は隙間風がひどかった
新一宮高架が出来るか出来ないかの頃の思い出 スイッチバックは列車に乗っていると後戻りをしているように感じる。
道路におけるスイッチバックはつづら折りとしている。
自動車をバックさせて登るようなスイッチバックの道路は極めて稀である。
このような道路で渋滞に見舞われると最悪。
下手をするとその場でクラッチがパンクする! ベットの上で、女の子とスイッチバックした方が気持ちいいぞw 阪急河原町〜桂〜嵐山という運転で、桂でスイッチバック 国鉄宮之城線薩摩永野駅のスイッチバック
同駅は元は中間駅だったが、宮之城線の薩摩大口方面への延伸に伴いスイッチバック式の駅となった スイッチバックといえば江差線・矢不来信号場のスイッチバック
臨時快速海峡86号が一定期間のみスイッチバックで矢不来信号場に入った事がある 磐越西線はスイッチバックと信号所を初めて体験した思い出のマーニーだ >>57
柏〜船橋間を野田線に分類するほうが不自然で、路線が出来たときの
船橋線って言い方が残っているくらいだし。
スイッチバックして直通する列車のほうが珍しくなっちゃってるからな。 そうだね
物心付いた頃には船橋から来た電車も大宮から来た電車も
どっちも柏行きで、同じ路線という感覚は無かった
野田線という括りは、コロタン文庫の私鉄大百科という本を詠んでからであった。 直通してこそのスイッチバックだよね
柏はほぼ乗り換え >>70
そんなマイナー事例を書かなくても
かつての「かげき号」の十三駅折り返しとて
あなたの言うスイッチバックになるでしょ 毎年ではないけど十三では折り返しやってるんですよね
そんなに珍しくない >>76-78
東武の柏は?
養老(元・近鉄)の大垣を大きくしたようなもの
養老は直通運転がないから、大垣は2番線(揖斐方面)への片渡りしかない
東武野田線(アーバンパークライン?)は、柏を境にして
船橋方面の船橋線に対して、大宮方面は大宮線って言うんだよね
もう野田線っていうこと自体が分からんな それ言ったら、西武池袋線は飯能まで、その先は秩父線で良いのでは?ということになる。
かつては、飯能で進行方向逆転して秩父まで直通する特急以外の系統が、一時間に一本位走ってたのだが 熊の平駅。
構内の線路有効長が足りないから、列車の先頭部を突っ込み線に入れてからバックして後退線にはいり、先頭部を本線に残さないようにしないとポイントが切り替えられない。
ED42の汽笛合図が賑やかだった。 >>42
日本初の総天然色映画。
DVDでも見られますよ。
あと、森繁主演の「山鳩」も。 蒲田は池上多摩川を乗り通す必要がほとんどないからなあ 飯田線は結構険しそう土地走ってるが
スイッチバックがあった時期はないんだっけ? ( ^ω^)あ〜〜〜、もう、夏が終わっちゃう〜〜〜〜〜〜お!
( ^ω^)お山のオカルト置いとく。
( ^ω^)ちょっと気色悪いけど・・・
★山霧の巻くとき(山岳ホラー)★
http://slib.net/71604
上松煌 作
(プロフィール) http://slib.net/a/21610/
最後のほう、グロ注意?! 中央本線・初狩駅のスイッチバックがよかった!
国鉄・東京西鉄道管理局が企画した「EF15重連スイッチバックの旅号」が
1983年11月23日に走るので鉄サークル友達と乗りに行った事がある。 あったな、懐かしい。EF15は最後、3重連もやったよな
パンタ6基と砂箱がズラズラと36個並んだ3重連は壮観でした 東赤谷駅は廃止1週間ほど前に一度だけ折り返しで行ったけど惜しいことをした
この町は少なくとも1日は探索するべきだったな
ひじょうに興味深い wwwのない時代に沿線情報なんて集まるわけがない。 ネットがない頃は駅員や沿線の撮影者や乗り鉄、商店・旅館・飲食店等の人と直接やりとりして情報を入手したけど 鳥取駅の手前(東側)にスイッチバックの信号場があったように思う。何度も通ったけど
当時はそれほど意識をしていなかった。ただ1コマ乗っていた待避中の普通列車から、
信号場を通過する、キハ58の急行を撮った写真が残っているわ
肥薩線大畑付近のスイッチバックも、客車時代に通ったけど「スイッチバックだらけだな」
というのを感じた記憶が残っている
常紋は、撮り鉄で行った、2月に単独で金華から歩いていったのだが、今から思えば
よくそんなことができたものだ。 湯田中のスイッチバックは乗ったことも外から見たこともある
姨捨は一度だけ乗った 飯能市在住だが秩父方面に行く用事がないので飯能駅のスイッチバックを経験してない >>104
そもそも飯能駅利用者だと秩父方面に行く場合もスイッチバックを経験できないわな 東飯能から池袋行きとか。
長瀞や三峰口から直通する電車。
今はそれくらいか。 >>108
じゃあ休日上り2本だけ急行あるからそれ乗れ
秩父まで行くことはない
東飯能からでおk >>109
ありがと、東飯能駅も近いから東飯能駅から乗って元加治駅で降りて帰ってくるわ もしかしてあの白地に赤と緑だかのラインが入ったボックス席の車両の事?
車両はよく見るが乗ったことはない
小手指で待ちあわせてから抜かれるけど乗り換えないし >>111
それ
朝快速急行で秩父鉄道線内に行った奴が夕方急行で戻ってくる >>112
どうもありがとう
スカイライナーとかいうやつだね 専門板にど素人が紛れ込んでしまってすまん
そろそろ消えます
親切にありがとう
大変お世話になりました なんかホッコリした
最近の懐鉄板はギスギスし始めてたからなあ >>101
スイッチバックが撤去された駅でも、駅前にある売店や食堂に古い時代の写真が飾られいたりするものだ その写真を撮影させてもらってます
いわば、写真の写真。 既出だが富山地鉄上市
駅に近づくと電車の向きが逆になりますみたいな案内放送があったと記憶
今もあるのかな? 信越本線は高崎〜直江津で、
松井田・(熊の平)・御代田・関山・二本木、
夏も冬も乗ったけど、
準急しか無い時代は各駅停車は時間が掛かったね。
その代わりホームで駅ソバが食べられた。 旧式の客車列車の時代は
推進運転で駅に入線する時は、
開け放たれた貫通口に立って見ていると、
自分が運転している感じで思い出してもワクワクする。
その頃は構内踏切に遮断機なんかは無くて、
歩行者や自転車は手慣れた風情で
平然と列車の直前を横断していた。
それと先頭になる客車は「オ?ハフ(緩急車)」だった記憶は
間違いだろうか? 岩手開発鉄道の岩手石橋。
旅客末期に行ったなあ。
キハ202に乗車したが、スイッチバックでも運転士は運転台移動しないんだな。
逆転機操作、後ろ振り向きバックオーライ(車掌がどこにいたかは知らん) 中山宿
高低差がスゲー
浦佐〜急行奥只見。小出で構内入れ替えあり
一応sb. 土讃線坪尻駅、新改駅よりも停車させられる時間が長い。 関山を通ったのだが、旧駅のホームや架線柱が残ってるようだね。雪が溶けたら見に行きたいなあ。 二本木は駅前にある日曹二本木工場の労働者で朝夕混んでたな
今もそうなんだろうけど >>50
中在家や相谷、北宇智駅が撤去されてもなお残り続ける滝山は凄い。別に鳥取福部1閉塞でもダイヤ上何ら問題ないから。 >>129
相谷(信)はスイッチバックじゃないよ。 ごめん。忘れてた。
坪尻なんかはいみじくも箸蔵の2線化で首が繋がってるね。
所要時間から考えたら讃岐財田〜箸蔵と讃岐財田〜坪尻に大差ないし。
箸蔵が2面3線のまま1000が入ったら間違いなく棒線化されてた。(閉塞としては残ったろうけど)
お陰様で臨時(千年ものがたり)突っ込めるんだけど。 スイッチバックは上りが一番なんか興奮する。
(坂の上り下りで有って、列車自体の上り下りと異なる。)
姨捨、二本木を115で通過するとき、
一旦引き込み線に突っ込んで、しばしの無音状態。
ガタンと音がして列車がバックし始め所定位置に止まってドア開放。
バック運転でも所定位置に綺麗に止めるそれにびっくり。
半自動時期は「カチャ」と外れる音以外は無音
誰も開ける人いなければ「カチャ」の音でドア閉め、
連続する勾配に向けで力強く走りだす。 長崎本線の本河内にもスイッチバックがあった。
廃止されたのは10年ほど前。
海岸周りの旧線にあって、
以前から気動車化されていて、
それでも存続していて風情があった。
新線はもう電化されていたから、
大村方面に行く気動車に乗ると体験できた。 >>93
池多摩直通、一回乗ったなあ。
横浜から来て多摩川で乗り換えて沼部で降りて家に帰ろうと思ったんだが、
本来の最寄りは御嶽山だし、沼部からだと少し歩く距離が延びる。
疲れていたし急がないしってことで乗ってみた。
ただ眠ってしまっていたので乗り過ごして戸越銀座で目が覚めたw >>133
今月のピクトリアルにポイント撤去のニュースが スイッチバックというと奥羽線・板谷峠の4駅連続スイッチバックを旧型客車の
定期鈍行列車で本線から待避線、そして駅線へと(逆の場合あり)行きつ戻りつ
したのが懐かしかった。
https://www.youtube.com/watch?v=eJ7D30NxGl4 京阪三条から宇治行きの中書島でのスイッチバックも懐かしいわ。後続の淀屋橋行きの普通に中書島で追い付かれて三条から乗ってる身としてはモヤモヤする運用だったけど。 >>139
宇治線系統にはその昔、丹波橋経由
奈良電(→近鉄京都線)乗入の京都発着もあったね
その逆(奈良電・近鉄所属車)は
京阪三条〜丹波橋〜大和西大寺〜近鉄奈良・橿原神宮前 ふと気がついたんだが、リアスシーライナーって、盛でスイッチバックだったんだよな。
自分は残念ながら八戸から宮古まで乗って、浄土ヶ浜の船に乗って、
ぐるっとさんりくトレインで花巻行ったんで、盛のスイッチバックは経験してないんだが。 >>140
近鉄は当時の新鋭820等が入ることもあったのに京阪は初代800みたいな木屑紛いのおんぼろしか寄越さないと
近鉄ユーザーが憤慨してたとか 京津線の三条・石山寺直通の浜大津スイッチバック。
80形が単行の頃は結構あったみたいね。 八十年代、まだ岩手開発鉄道が旅客営業もやってた頃に乗りに行った。
結構有名だが、終点の岩手石橋駅に到着する寸前でスイッチバック。
貨物列車用の線路から外れた場所に小さな駅舎があって、そこに入るためだったかと。