スイッチバックの思い出 [無断転載禁止]©2ch.net
一畑電車の一畑口は一畑薬師まで路線があった名残でスイッチバック。
一畑薬師までの路線は戦時中には休止されたが路盤はかなりのちまで残り
廃線跡を辿るのは1980年代までは容易であったという。 >>17
スイッチバックである以上、島式でないと不便この上なくないかな? >>17
晩年(末端区間廃止前後)は配線を整理してスッキリさせたらしいです
でもレールを剥がしたあと更地のままになるので
それはそれで寂しさを感じさせるものにはなってたようです。
降雪期の除雪作業が大変だったという話を聞いたことがあります。
除雪の苦労はスイッチバック設備に限らないけどね。 >>12
富山地鉄上市駅も、そんな感じだ。
「だから何?」みたいな。 好き過ぎて一般的には無価値なものでも有難がる
ファン心理も解って欲しい 1970年ごろだったか直江津から妙高高原まで各駅停車に乗った時
関山の駅にバックして入ったのをかろうじて覚えている、当時小3くらい 和歌山線の北宇智がスイッチバックだった頃、103系の臨時列車に乗った。
103系がスイッチバックってかなりレアな感じだった。 北宇智はそれほど山深い場所でなく周囲は家が建てこんでいるなど、山岳型スイッチバックとして異例だったな 和歌山線のスイッチバックは存在した当時乗ったけど
スイッチバックが必要な勾配にも思えませんでしたね はい、確かに。
蒸気牽引時代の名残って感じだったね。 1970年代、高校生の頃
立山砂防用軌道の撮影に行ったが
行きは撮影しながら全線歩いて
帰りは水谷から人車に便乗した。
最初は興奮したスイッチバックも
あれだけ数があると、最後は飽きてしまった思い出がw
いま思うとなんて贅沢! >>12>>23>>24ほか
よ〜く分かります
撮影旅行でスイッチバックや橋梁などの名所を経由する時に、
車両に拘る派と、風景に拘る派でくっきりとスタンスの違いが出るね
俺も大学鉄研時代にそれが原因で仲間割れしたので、以来一人で行動するようにしてます >>12
それは撮り鉄的な発想だろ。
俺は乗り鉄だから、乗ってなんぼ。列車が逆行する時ワクワクするよ。 弘前から乗った八戸逝きのシートが逆で客も好きな方向いてた微妙さ
函館青森はトンネルググる客車の機関車付け替えは便利でしたな 豊肥本線の立野駅どうなっちゃうかな。何年かかるかな。
何度も死んで復活する、キン肉マンで言えばウォーズマン
みたいな路線だな。
まだあそBOYがSLだったころ、一カ月前に指定席券を取ろうと
みどりの窓口に行ったら係員が「SLあそBOY」と機械入力すると
エラーになっちゃうので、「すいません!以前SLやまぐち号に
乗ったとき、『SLやまぐち号』じゃなくて『やまぐち号』で
指定席券が出てきたので、SLあそBOYも、『SLあそBOY』じゃ
なくて、『あそBOY』で機械入力してください!」と言って
なんとか指定席券を出してもらったことがある。
無事立野駅のスイッチバックも通れた。 中央東線東塩尻駅一両分のプラットフォームしかなかったよね?
現役時代は下車したことなかったな。
廃止されてから訪れた際、なんて急な坂道の上にあるんだと思った。
あの辺大きな家が多いね。
だが臭突がある家ばかり。 立野を見に行ったときは、みんな車窓の撮影してたね
「パスポートサイズ」という触れ込みのソニーハンディカム全盛の頃。 >>36
>機転を利かして
直前に>>34「客車の機関車付け替え」を読んでいたので、機転を「きまわし」と読んでしまったw 湯田中とか東赤谷とか、終点駅がスイッチバックの駅って他にもあったっけ? 上瀬野、滝山 今は使われなてないスイッチバックの謎を紐解きたくてググるたびにひっかかるこのサイト
優秀すぎる
I love SwitchBack
http://www5f.biglobe.ne.jp/~switchback/index.htm
しかしこのマニアを引き付けるスイッチバックの魅力って何なんでしょうね。
方向転換、切り替え、すれ違い、昇り降り
動きと立体感が織りなすワクワク感
これかな?
http://www5f.biglobe.ne.jp/~switchback/takiyama13.jpeg
http://www5f.biglobe.ne.jp/~switchback/takiyama12.jpeg
http://sky.geocities.jp/y_nagaoka0924/FNO8916_22_DC_890814_TAKIYAMA1.jpg >>9-10
草軽なら確か、映画「カルメン故郷に帰る」に出てこなかったっけ?
あやふやモードで申し訳ないが・・・ 今、一番楽しいのは、やっぱり箱根登山だね♪
撮っても乗っても。 子供の頃に乗った磐越西線(駅不明)でのスイッチバックだけ覚えている。
少しづづ登っていくときれいな花壇が下に見えた >>15
元々は引き込み線とかがあったらしいが
自分が乗りに行った時には全部撤去された後で
だだっ広い荒野の真ん中にポツンとホームがあったのが印象深い 湯田中は子供の頃何度も見に行った
非鉄の家族にはいつも呆れられていたw 興味がなかったらただ列車が行ったり来たりしてるだけで
こんなの何が面白いのかと思っちゃうだろうな 趣味の世界は鉄道に限らずそういうもんだろ
盆栽なんて何が楽しいのか
俺にはサッパリ分かんねえ 奥羽線・板谷峠の4駅連続スイッチバックは楽しかった
福島〜米沢間を走る普通列車は全車EF71やED78が牽引する
旧型客車や50系客車でよくこの区間は何回も乗って降りたよ >>41
自分にとっては、線路に高低差が生まれ構内が複雑になるということかな
スイッチバックを解消した後の駅は例外なく平凡単純な中間駅になっている
>>44-45
俺も中山宿は人生初のスイッチバック体験だった。やっぱり小3くらいだったか
旧型客車の臨時急行に乗って、小駅で止まったので、はて?と思ったら、間もなく
向かいの山の中腹をキハ58系が颯爽と駆けて行ったのが鮮烈な思い出 >>51
かつてその先まで線路があった遺構があるので、
平地なのにスイッチバックになった理由が分かるね 木曽あずさ
諏訪しなの
などという特急が走り始めるが、塩尻での乗務員交代がたいへんそうだ。
交代前、交代後のどちらかが先頭から後尾まで歩くのだろうか? 東武柏、小田急藤沢、名鉄知立といった各社の主要駅は皆さんスルーですか?
あまり思い出がないですか? 南薩鉄道上日置駅
ローカル私鉄では珍しいスイッチバック駅だったが蒸機全廃もあって昭和40年代前半に使用終了
鉄道自体の廃止から約30年
おそらく唯一の線路未撤去であろう数m余りが樹木伐採により現出
測定した軌間は1067mm
間違いなく営業運転で使われていた遺構
最寄りバス停は「毘沙門」 >>57
碧南から猿投まで乗り換えなしで行けたら
取り上げる人がいるかもしれない。 大学受験は柏にある予備校に通ってたので
受験勉強の思い出しかない 少し早起きして森上→金山をSRで通学
座席はもちろん後ろ向き、すぐに寝込み目が覚めると前向きに
椅子取りゲームでワイドシートを争ったのも懐かしい
冬の5500は隙間風がひどかった
新一宮高架が出来るか出来ないかの頃の思い出 スイッチバックは列車に乗っていると後戻りをしているように感じる。
道路におけるスイッチバックはつづら折りとしている。
自動車をバックさせて登るようなスイッチバックの道路は極めて稀である。
このような道路で渋滞に見舞われると最悪。
下手をするとその場でクラッチがパンクする! ベットの上で、女の子とスイッチバックした方が気持ちいいぞw 阪急河原町〜桂〜嵐山という運転で、桂でスイッチバック 国鉄宮之城線薩摩永野駅のスイッチバック
同駅は元は中間駅だったが、宮之城線の薩摩大口方面への延伸に伴いスイッチバック式の駅となった スイッチバックといえば江差線・矢不来信号場のスイッチバック
臨時快速海峡86号が一定期間のみスイッチバックで矢不来信号場に入った事がある 磐越西線はスイッチバックと信号所を初めて体験した思い出のマーニーだ >>57
柏〜船橋間を野田線に分類するほうが不自然で、路線が出来たときの
船橋線って言い方が残っているくらいだし。
スイッチバックして直通する列車のほうが珍しくなっちゃってるからな。 そうだね
物心付いた頃には船橋から来た電車も大宮から来た電車も
どっちも柏行きで、同じ路線という感覚は無かった
野田線という括りは、コロタン文庫の私鉄大百科という本を詠んでからであった。 直通してこそのスイッチバックだよね
柏はほぼ乗り換え >>70
そんなマイナー事例を書かなくても
かつての「かげき号」の十三駅折り返しとて
あなたの言うスイッチバックになるでしょ 毎年ではないけど十三では折り返しやってるんですよね
そんなに珍しくない >>76-78
東武の柏は?
養老(元・近鉄)の大垣を大きくしたようなもの
養老は直通運転がないから、大垣は2番線(揖斐方面)への片渡りしかない
東武野田線(アーバンパークライン?)は、柏を境にして
船橋方面の船橋線に対して、大宮方面は大宮線って言うんだよね
もう野田線っていうこと自体が分からんな それ言ったら、西武池袋線は飯能まで、その先は秩父線で良いのでは?ということになる。
かつては、飯能で進行方向逆転して秩父まで直通する特急以外の系統が、一時間に一本位走ってたのだが 熊の平駅。
構内の線路有効長が足りないから、列車の先頭部を突っ込み線に入れてからバックして後退線にはいり、先頭部を本線に残さないようにしないとポイントが切り替えられない。
ED42の汽笛合図が賑やかだった。 >>42
日本初の総天然色映画。
DVDでも見られますよ。
あと、森繁主演の「山鳩」も。 蒲田は池上多摩川を乗り通す必要がほとんどないからなあ 飯田線は結構険しそう土地走ってるが
スイッチバックがあった時期はないんだっけ? ( ^ω^)あ〜〜〜、もう、夏が終わっちゃう〜〜〜〜〜〜お!
( ^ω^)お山のオカルト置いとく。
( ^ω^)ちょっと気色悪いけど・・・
★山霧の巻くとき(山岳ホラー)★
http://slib.net/71604
上松煌 作
(プロフィール) http://slib.net/a/21610/
最後のほう、グロ注意?! 中央本線・初狩駅のスイッチバックがよかった!
国鉄・東京西鉄道管理局が企画した「EF15重連スイッチバックの旅号」が
1983年11月23日に走るので鉄サークル友達と乗りに行った事がある。 あったな、懐かしい。EF15は最後、3重連もやったよな
パンタ6基と砂箱がズラズラと36個並んだ3重連は壮観でした 東赤谷駅は廃止1週間ほど前に一度だけ折り返しで行ったけど惜しいことをした
この町は少なくとも1日は探索するべきだったな
ひじょうに興味深い wwwのない時代に沿線情報なんて集まるわけがない。 ネットがない頃は駅員や沿線の撮影者や乗り鉄、商店・旅館・飲食店等の人と直接やりとりして情報を入手したけど 鳥取駅の手前(東側)にスイッチバックの信号場があったように思う。何度も通ったけど
当時はそれほど意識をしていなかった。ただ1コマ乗っていた待避中の普通列車から、
信号場を通過する、キハ58の急行を撮った写真が残っているわ
肥薩線大畑付近のスイッチバックも、客車時代に通ったけど「スイッチバックだらけだな」
というのを感じた記憶が残っている
常紋は、撮り鉄で行った、2月に単独で金華から歩いていったのだが、今から思えば
よくそんなことができたものだ。 湯田中のスイッチバックは乗ったことも外から見たこともある
姨捨は一度だけ乗った 飯能市在住だが秩父方面に行く用事がないので飯能駅のスイッチバックを経験してない >>104
そもそも飯能駅利用者だと秩父方面に行く場合もスイッチバックを経験できないわな 東飯能から池袋行きとか。
長瀞や三峰口から直通する電車。
今はそれくらいか。 >>108
じゃあ休日上り2本だけ急行あるからそれ乗れ
秩父まで行くことはない
東飯能からでおk >>109
ありがと、東飯能駅も近いから東飯能駅から乗って元加治駅で降りて帰ってくるわ もしかしてあの白地に赤と緑だかのラインが入ったボックス席の車両の事?
車両はよく見るが乗ったことはない
小手指で待ちあわせてから抜かれるけど乗り換えないし >>111
それ
朝快速急行で秩父鉄道線内に行った奴が夕方急行で戻ってくる >>112
どうもありがとう
スカイライナーとかいうやつだね 専門板にど素人が紛れ込んでしまってすまん
そろそろ消えます
親切にありがとう
大変お世話になりました なんかホッコリした
最近の懐鉄板はギスギスし始めてたからなあ >>101
スイッチバックが撤去された駅でも、駅前にある売店や食堂に古い時代の写真が飾られいたりするものだ その写真を撮影させてもらってます
いわば、写真の写真。