スイッチバックの思い出 [無断転載禁止]©2ch.net
>>2
だからさ、思い出がどんなものだか語ってくれよ。駅名の列記だけでなくて。
実体験がないならそれなりに「こんな感じだったのかなあ」とかの一言を >>2
もう50年以上も前に消えた駅の事など覚えてるわけがなかろう。
自分が見聞きした事実(ネットや書物からの収集ではだめ)に基づいた書き込みをしてくれよ。 この人何様だろ
「覚えてるわけない」って決めつけてるが、本当に記憶のある人が居るかもしれない
年齢的にはかなりの高齢にはなるが、ネットを自在に触れる御仁だっておられる。
あと、自分が体験してない話は語るなと言うのも傲慢極まる。
何事も自分基準で物事が進んでるとは勘違いしない方がいいね。
これは忠告です。義憤に駆られたのでね。 ID:qZp67l6f
コイツここにも書き込んでたのか
終始上から目線だな
>>5
どのように忠告しても、コイツには届かないかも知れないな 煽り目的の奴にはスルーが一番効果的
ムカツクだけ損だ >>2
草軽はあれほどウネウネした路線(急勾配を避けるためには仕方無い)だから
他にもスイッチバックは幾つかあったと思う。
列車交換もやってたのかな?
時代的にはまだスピードが要求されてなかったのでさぞかしのんびりした通過&交換も風景なんだろう。 >>8
wikipediaによれば駅では2カ所
二度上と東三原。
二度上は部分廃止の時に一足先に消滅。 ですよね。
私もググってみましたがヒットするのは新軽・旧軽・国境平・上州三原・草津温泉くらい。
また、個人が撮影した8ミリ動画がyoutubeにアップされているようです。
長編なので全部見切れていませんがその中にもしかするとスイッチバックの光景が
おさめられているかもしれません。 別スレにも書いたことがあるのだが
スイッチバックは実際に乗車してその区間を通過しても
それほど面白いものではない。
むしろ空撮で全景を俯瞰するとか、通過する車両を車外から眺めるとか、そんな楽しみ方になるかな。 だが>>2はただのガキ(精神的ガキも含む)であることは間違いない
本当に記憶があれば、こんな書き方する筈がない 中央東線のあの多数のスイッチバックの連続は確かに山岳線の苦労を物語っているね。
蒸機時代はさぞ苦労したことでしょう。そんな中、勝沼ぶどう郷(旧・勝沼)駅なんかは
ホーム跡を復元したり駅名標設置したり、また反対側はEF64などの保存や大日影トンネルの
遊歩道化など鉄道遺産を使った観光施設が充実してきた。初狩がどうなるか興味があるし、
他駅の跡地も敷地跡が残っている駅はなんとか活用してほしいね。
中央東線スレにも書いたけど、元スイッチバック駅だった長坂駅の精密なジオラマ模型や、
旧駅を発着する蒸気機関車の列車の映像などが北杜市の郷土資料館に展示してあるからぜひ訪問してみて下さい。 >>12
遠州鉄道の馬込駅は便数が多く、
複雑な電車の動きを追うだけでも面白かった。
一方で相当な時間のロスになっていたのもまた事実で、高架化で解消されたことは致し方ないと自分を納得させていた。 福井鉄道南越線の五分市駅も
スイッチバックに入るのかな? これも有名すぎるかも知れないが
栃尾電鉄の上見附。
島式だったか対向式だったか覚えてないがやたらと渡り線が多くゴチャゴチャしてたことだけは脳裏に残っている。 一畑電車の一畑口は一畑薬師まで路線があった名残でスイッチバック。
一畑薬師までの路線は戦時中には休止されたが路盤はかなりのちまで残り
廃線跡を辿るのは1980年代までは容易であったという。 >>17
スイッチバックである以上、島式でないと不便この上なくないかな? >>17
晩年(末端区間廃止前後)は配線を整理してスッキリさせたらしいです
でもレールを剥がしたあと更地のままになるので
それはそれで寂しさを感じさせるものにはなってたようです。
降雪期の除雪作業が大変だったという話を聞いたことがあります。
除雪の苦労はスイッチバック設備に限らないけどね。 >>12
富山地鉄上市駅も、そんな感じだ。
「だから何?」みたいな。 好き過ぎて一般的には無価値なものでも有難がる
ファン心理も解って欲しい 1970年ごろだったか直江津から妙高高原まで各駅停車に乗った時
関山の駅にバックして入ったのをかろうじて覚えている、当時小3くらい 和歌山線の北宇智がスイッチバックだった頃、103系の臨時列車に乗った。
103系がスイッチバックってかなりレアな感じだった。 北宇智はそれほど山深い場所でなく周囲は家が建てこんでいるなど、山岳型スイッチバックとして異例だったな 和歌山線のスイッチバックは存在した当時乗ったけど
スイッチバックが必要な勾配にも思えませんでしたね はい、確かに。
蒸気牽引時代の名残って感じだったね。 1970年代、高校生の頃
立山砂防用軌道の撮影に行ったが
行きは撮影しながら全線歩いて
帰りは水谷から人車に便乗した。
最初は興奮したスイッチバックも
あれだけ数があると、最後は飽きてしまった思い出がw
いま思うとなんて贅沢! >>12>>23>>24ほか
よ〜く分かります
撮影旅行でスイッチバックや橋梁などの名所を経由する時に、
車両に拘る派と、風景に拘る派でくっきりとスタンスの違いが出るね
俺も大学鉄研時代にそれが原因で仲間割れしたので、以来一人で行動するようにしてます >>12
それは撮り鉄的な発想だろ。
俺は乗り鉄だから、乗ってなんぼ。列車が逆行する時ワクワクするよ。 弘前から乗った八戸逝きのシートが逆で客も好きな方向いてた微妙さ
函館青森はトンネルググる客車の機関車付け替えは便利でしたな 豊肥本線の立野駅どうなっちゃうかな。何年かかるかな。
何度も死んで復活する、キン肉マンで言えばウォーズマン
みたいな路線だな。
まだあそBOYがSLだったころ、一カ月前に指定席券を取ろうと
みどりの窓口に行ったら係員が「SLあそBOY」と機械入力すると
エラーになっちゃうので、「すいません!以前SLやまぐち号に
乗ったとき、『SLやまぐち号』じゃなくて『やまぐち号』で
指定席券が出てきたので、SLあそBOYも、『SLあそBOY』じゃ
なくて、『あそBOY』で機械入力してください!」と言って
なんとか指定席券を出してもらったことがある。
無事立野駅のスイッチバックも通れた。 中央東線東塩尻駅一両分のプラットフォームしかなかったよね?
現役時代は下車したことなかったな。
廃止されてから訪れた際、なんて急な坂道の上にあるんだと思った。
あの辺大きな家が多いね。
だが臭突がある家ばかり。 立野を見に行ったときは、みんな車窓の撮影してたね
「パスポートサイズ」という触れ込みのソニーハンディカム全盛の頃。 >>36
>機転を利かして
直前に>>34「客車の機関車付け替え」を読んでいたので、機転を「きまわし」と読んでしまったw 湯田中とか東赤谷とか、終点駅がスイッチバックの駅って他にもあったっけ? 上瀬野、滝山 今は使われなてないスイッチバックの謎を紐解きたくてググるたびにひっかかるこのサイト
優秀すぎる
I love SwitchBack
http://www5f.biglobe.ne.jp/~switchback/index.htm
しかしこのマニアを引き付けるスイッチバックの魅力って何なんでしょうね。
方向転換、切り替え、すれ違い、昇り降り
動きと立体感が織りなすワクワク感
これかな?
http://www5f.biglobe.ne.jp/~switchback/takiyama13.jpeg
http://www5f.biglobe.ne.jp/~switchback/takiyama12.jpeg
http://sky.geocities.jp/y_nagaoka0924/FNO8916_22_DC_890814_TAKIYAMA1.jpg >>9-10
草軽なら確か、映画「カルメン故郷に帰る」に出てこなかったっけ?
あやふやモードで申し訳ないが・・・ 今、一番楽しいのは、やっぱり箱根登山だね♪
撮っても乗っても。 子供の頃に乗った磐越西線(駅不明)でのスイッチバックだけ覚えている。
少しづづ登っていくときれいな花壇が下に見えた >>15
元々は引き込み線とかがあったらしいが
自分が乗りに行った時には全部撤去された後で
だだっ広い荒野の真ん中にポツンとホームがあったのが印象深い 湯田中は子供の頃何度も見に行った
非鉄の家族にはいつも呆れられていたw 興味がなかったらただ列車が行ったり来たりしてるだけで
こんなの何が面白いのかと思っちゃうだろうな 趣味の世界は鉄道に限らずそういうもんだろ
盆栽なんて何が楽しいのか
俺にはサッパリ分かんねえ 奥羽線・板谷峠の4駅連続スイッチバックは楽しかった
福島〜米沢間を走る普通列車は全車EF71やED78が牽引する
旧型客車や50系客車でよくこの区間は何回も乗って降りたよ >>41
自分にとっては、線路に高低差が生まれ構内が複雑になるということかな
スイッチバックを解消した後の駅は例外なく平凡単純な中間駅になっている
>>44-45
俺も中山宿は人生初のスイッチバック体験だった。やっぱり小3くらいだったか
旧型客車の臨時急行に乗って、小駅で止まったので、はて?と思ったら、間もなく
向かいの山の中腹をキハ58系が颯爽と駆けて行ったのが鮮烈な思い出 >>51
かつてその先まで線路があった遺構があるので、
平地なのにスイッチバックになった理由が分かるね 木曽あずさ
諏訪しなの
などという特急が走り始めるが、塩尻での乗務員交代がたいへんそうだ。
交代前、交代後のどちらかが先頭から後尾まで歩くのだろうか? 東武柏、小田急藤沢、名鉄知立といった各社の主要駅は皆さんスルーですか?
あまり思い出がないですか? 南薩鉄道上日置駅
ローカル私鉄では珍しいスイッチバック駅だったが蒸機全廃もあって昭和40年代前半に使用終了
鉄道自体の廃止から約30年
おそらく唯一の線路未撤去であろう数m余りが樹木伐採により現出
測定した軌間は1067mm
間違いなく営業運転で使われていた遺構
最寄りバス停は「毘沙門」 >>57
碧南から猿投まで乗り換えなしで行けたら
取り上げる人がいるかもしれない。 大学受験は柏にある予備校に通ってたので
受験勉強の思い出しかない 少し早起きして森上→金山をSRで通学
座席はもちろん後ろ向き、すぐに寝込み目が覚めると前向きに
椅子取りゲームでワイドシートを争ったのも懐かしい
冬の5500は隙間風がひどかった
新一宮高架が出来るか出来ないかの頃の思い出 スイッチバックは列車に乗っていると後戻りをしているように感じる。
道路におけるスイッチバックはつづら折りとしている。
自動車をバックさせて登るようなスイッチバックの道路は極めて稀である。
このような道路で渋滞に見舞われると最悪。
下手をするとその場でクラッチがパンクする! ベットの上で、女の子とスイッチバックした方が気持ちいいぞw 阪急河原町〜桂〜嵐山という運転で、桂でスイッチバック 国鉄宮之城線薩摩永野駅のスイッチバック
同駅は元は中間駅だったが、宮之城線の薩摩大口方面への延伸に伴いスイッチバック式の駅となった スイッチバックといえば江差線・矢不来信号場のスイッチバック
臨時快速海峡86号が一定期間のみスイッチバックで矢不来信号場に入った事がある 磐越西線はスイッチバックと信号所を初めて体験した思い出のマーニーだ >>57
柏〜船橋間を野田線に分類するほうが不自然で、路線が出来たときの
船橋線って言い方が残っているくらいだし。
スイッチバックして直通する列車のほうが珍しくなっちゃってるからな。 そうだね
物心付いた頃には船橋から来た電車も大宮から来た電車も
どっちも柏行きで、同じ路線という感覚は無かった
野田線という括りは、コロタン文庫の私鉄大百科という本を詠んでからであった。 直通してこそのスイッチバックだよね
柏はほぼ乗り換え >>70
そんなマイナー事例を書かなくても
かつての「かげき号」の十三駅折り返しとて
あなたの言うスイッチバックになるでしょ 毎年ではないけど十三では折り返しやってるんですよね
そんなに珍しくない >>76-78
東武の柏は?
養老(元・近鉄)の大垣を大きくしたようなもの
養老は直通運転がないから、大垣は2番線(揖斐方面)への片渡りしかない
東武野田線(アーバンパークライン?)は、柏を境にして
船橋方面の船橋線に対して、大宮方面は大宮線って言うんだよね
もう野田線っていうこと自体が分からんな それ言ったら、西武池袋線は飯能まで、その先は秩父線で良いのでは?ということになる。
かつては、飯能で進行方向逆転して秩父まで直通する特急以外の系統が、一時間に一本位走ってたのだが 熊の平駅。
構内の線路有効長が足りないから、列車の先頭部を突っ込み線に入れてからバックして後退線にはいり、先頭部を本線に残さないようにしないとポイントが切り替えられない。
ED42の汽笛合図が賑やかだった。 >>42
日本初の総天然色映画。
DVDでも見られますよ。
あと、森繁主演の「山鳩」も。 蒲田は池上多摩川を乗り通す必要がほとんどないからなあ 飯田線は結構険しそう土地走ってるが
スイッチバックがあった時期はないんだっけ? ( ^ω^)あ〜〜〜、もう、夏が終わっちゃう〜〜〜〜〜〜お!
( ^ω^)お山のオカルト置いとく。
( ^ω^)ちょっと気色悪いけど・・・
★山霧の巻くとき(山岳ホラー)★
http://slib.net/71604
上松煌 作
(プロフィール) http://slib.net/a/21610/
最後のほう、グロ注意?! 中央本線・初狩駅のスイッチバックがよかった!
国鉄・東京西鉄道管理局が企画した「EF15重連スイッチバックの旅号」が
1983年11月23日に走るので鉄サークル友達と乗りに行った事がある。 あったな、懐かしい。EF15は最後、3重連もやったよな
パンタ6基と砂箱がズラズラと36個並んだ3重連は壮観でした 東赤谷駅は廃止1週間ほど前に一度だけ折り返しで行ったけど惜しいことをした
この町は少なくとも1日は探索するべきだったな
ひじょうに興味深い wwwのない時代に沿線情報なんて集まるわけがない。 ネットがない頃は駅員や沿線の撮影者や乗り鉄、商店・旅館・飲食店等の人と直接やりとりして情報を入手したけど 鳥取駅の手前(東側)にスイッチバックの信号場があったように思う。何度も通ったけど
当時はそれほど意識をしていなかった。ただ1コマ乗っていた待避中の普通列車から、
信号場を通過する、キハ58の急行を撮った写真が残っているわ
肥薩線大畑付近のスイッチバックも、客車時代に通ったけど「スイッチバックだらけだな」
というのを感じた記憶が残っている
常紋は、撮り鉄で行った、2月に単独で金華から歩いていったのだが、今から思えば
よくそんなことができたものだ。 湯田中のスイッチバックは乗ったことも外から見たこともある
姨捨は一度だけ乗った 飯能市在住だが秩父方面に行く用事がないので飯能駅のスイッチバックを経験してない >>104
そもそも飯能駅利用者だと秩父方面に行く場合もスイッチバックを経験できないわな 東飯能から池袋行きとか。
長瀞や三峰口から直通する電車。
今はそれくらいか。 >>108
じゃあ休日上り2本だけ急行あるからそれ乗れ
秩父まで行くことはない
東飯能からでおk >>109
ありがと、東飯能駅も近いから東飯能駅から乗って元加治駅で降りて帰ってくるわ もしかしてあの白地に赤と緑だかのラインが入ったボックス席の車両の事?
車両はよく見るが乗ったことはない
小手指で待ちあわせてから抜かれるけど乗り換えないし >>111
それ
朝快速急行で秩父鉄道線内に行った奴が夕方急行で戻ってくる >>112
どうもありがとう
スカイライナーとかいうやつだね 専門板にど素人が紛れ込んでしまってすまん
そろそろ消えます
親切にありがとう
大変お世話になりました なんかホッコリした
最近の懐鉄板はギスギスし始めてたからなあ >>101
スイッチバックが撤去された駅でも、駅前にある売店や食堂に古い時代の写真が飾られいたりするものだ その写真を撮影させてもらってます
いわば、写真の写真。 既出だが富山地鉄上市
駅に近づくと電車の向きが逆になりますみたいな案内放送があったと記憶
今もあるのかな? 信越本線は高崎〜直江津で、
松井田・(熊の平)・御代田・関山・二本木、
夏も冬も乗ったけど、
準急しか無い時代は各駅停車は時間が掛かったね。
その代わりホームで駅ソバが食べられた。 旧式の客車列車の時代は
推進運転で駅に入線する時は、
開け放たれた貫通口に立って見ていると、
自分が運転している感じで思い出してもワクワクする。
その頃は構内踏切に遮断機なんかは無くて、
歩行者や自転車は手慣れた風情で
平然と列車の直前を横断していた。
それと先頭になる客車は「オ?ハフ(緩急車)」だった記憶は
間違いだろうか? 岩手開発鉄道の岩手石橋。
旅客末期に行ったなあ。
キハ202に乗車したが、スイッチバックでも運転士は運転台移動しないんだな。
逆転機操作、後ろ振り向きバックオーライ(車掌がどこにいたかは知らん) 中山宿
高低差がスゲー
浦佐〜急行奥只見。小出で構内入れ替えあり
一応sb. 土讃線坪尻駅、新改駅よりも停車させられる時間が長い。 関山を通ったのだが、旧駅のホームや架線柱が残ってるようだね。雪が溶けたら見に行きたいなあ。 二本木は駅前にある日曹二本木工場の労働者で朝夕混んでたな
今もそうなんだろうけど >>50
中在家や相谷、北宇智駅が撤去されてもなお残り続ける滝山は凄い。別に鳥取福部1閉塞でもダイヤ上何ら問題ないから。 >>129
相谷(信)はスイッチバックじゃないよ。 ごめん。忘れてた。
坪尻なんかはいみじくも箸蔵の2線化で首が繋がってるね。
所要時間から考えたら讃岐財田〜箸蔵と讃岐財田〜坪尻に大差ないし。
箸蔵が2面3線のまま1000が入ったら間違いなく棒線化されてた。(閉塞としては残ったろうけど)
お陰様で臨時(千年ものがたり)突っ込めるんだけど。 スイッチバックは上りが一番なんか興奮する。
(坂の上り下りで有って、列車自体の上り下りと異なる。)
姨捨、二本木を115で通過するとき、
一旦引き込み線に突っ込んで、しばしの無音状態。
ガタンと音がして列車がバックし始め所定位置に止まってドア開放。
バック運転でも所定位置に綺麗に止めるそれにびっくり。
半自動時期は「カチャ」と外れる音以外は無音
誰も開ける人いなければ「カチャ」の音でドア閉め、
連続する勾配に向けで力強く走りだす。 長崎本線の本河内にもスイッチバックがあった。
廃止されたのは10年ほど前。
海岸周りの旧線にあって、
以前から気動車化されていて、
それでも存続していて風情があった。
新線はもう電化されていたから、
大村方面に行く気動車に乗ると体験できた。 >>93
池多摩直通、一回乗ったなあ。
横浜から来て多摩川で乗り換えて沼部で降りて家に帰ろうと思ったんだが、
本来の最寄りは御嶽山だし、沼部からだと少し歩く距離が延びる。
疲れていたし急がないしってことで乗ってみた。
ただ眠ってしまっていたので乗り過ごして戸越銀座で目が覚めたw >>133
今月のピクトリアルにポイント撤去のニュースが スイッチバックというと奥羽線・板谷峠の4駅連続スイッチバックを旧型客車の
定期鈍行列車で本線から待避線、そして駅線へと(逆の場合あり)行きつ戻りつ
したのが懐かしかった。
https://www.youtube.com/watch?v=eJ7D30NxGl4 京阪三条から宇治行きの中書島でのスイッチバックも懐かしいわ。後続の淀屋橋行きの普通に中書島で追い付かれて三条から乗ってる身としてはモヤモヤする運用だったけど。 >>139
宇治線系統にはその昔、丹波橋経由
奈良電(→近鉄京都線)乗入の京都発着もあったね
その逆(奈良電・近鉄所属車)は
京阪三条〜丹波橋〜大和西大寺〜近鉄奈良・橿原神宮前 ふと気がついたんだが、リアスシーライナーって、盛でスイッチバックだったんだよな。
自分は残念ながら八戸から宮古まで乗って、浄土ヶ浜の船に乗って、
ぐるっとさんりくトレインで花巻行ったんで、盛のスイッチバックは経験してないんだが。 >>140
近鉄は当時の新鋭820等が入ることもあったのに京阪は初代800みたいな木屑紛いのおんぼろしか寄越さないと
近鉄ユーザーが憤慨してたとか 京津線の三条・石山寺直通の浜大津スイッチバック。
80形が単行の頃は結構あったみたいね。 八十年代、まだ岩手開発鉄道が旅客営業もやってた頃に乗りに行った。
結構有名だが、終点の岩手石橋駅に到着する寸前でスイッチバック。
貨物列車用の線路から外れた場所に小さな駅舎があって、そこに入るためだったかと。 箱根登山電車は、はたして復旧してくれるのかな
わざと端っこの車両の端っこの席に座って、運転手さん気分になってたな
あの路線は、絶対にスイッチバック廃止できないよな 新潟駅のスイッチバックも懐かしい、乗ったのは回転クロスの古い485系だった。青森から大阪まで完乗の筈が若いとは言え体力的に限界で最寄り駅の京都で下車した。 鶴見から大川に直通列車が走ったころ、武蔵白石でスイッチバックしていた。 客の流動とマッチしてるなら意味あるね
以前のように柏の求心力がなくなって、柏で客がゴソッと入れ替わらなくなったということ? 京阪浜大津が東口と分離してた時代
京津線と石山坂本線との直通列車が
京阪浜大津でスイッチバック スイッチバックが解消されて今の駅舎になった開業セレモニーは覚えている
たしかびわこ国体開催に合わせたんだな
地元にはちょっとした特需が起きた 国体バブル
日本の産業構造転換が10年いや20年遅れた元凶 時間がかかって仕方ないが、当時はこれが当たり前だった 今や新幹線の始発駅にもなってる新函館北斗駅の隣接駅でもある
仁山駅は仁山信号所時代はスイッチバックだった 俺様的には北宇智
103系がスイッチバックするというアンマッチ感が良かった。 実際に見た事や通った事があるのは和歌山線の北宇智と磐越西線の中山宿くらいしかないな まだ旧型客車が走っていた頃の磐越西線・中山宿駅
あと今はなき赤谷線の東赤谷駅、終着駅がスイッチバックの駅で有名 坪尻はともかく、新改はよく棒線化されないよな。棒線化してホームを本線上に移設しても問題なかろうに。繁藤と土佐山田で泣いてもらえば。 最近までバラスト用のホキの工臨が入ってた。けどやめちゃったみたいだからどうするんだろうね 山岳スイッチバックで貨物扱い日常的に行ってたのは
二本木、板谷、初狩くらい?
東塩尻も貨物側線あったらしいけど 昭和33年
国鉄スイッチバック一覧
勾配や側線、標高も判ります
https://i.imgur.com/VUyybWH.jpg すげー!
私の好きな箇所が全て網羅されてるw
もはやみんな廃線だけど >>182
すばらしい資料ありがとう。
大畑に"L"がはさまって、隣の真幸は似た配線なのに"L"がない。
大畑は開通当初から存在し、距離標がホームのあたりで折り返してる。
真幸はしばらくたってからの設置で距離標が折り返してない(と思う)。
このあたりの事情が関係していると思われる。
吉松駅以南では現地の距離標と八代からの営業キロ数に乖離があり、大畑まではない。
また、現時点では真幸の人吉からの線はもうちょっと先で合流してるはず。
これは駅設置のための変更前はこのあたりを通り抜けていたためかと。
真幸駅も折り返して、更正点を作ってるはずだけど列車内からは確認できなかった。
https://www.kajima.co.jp/gallery/kiseki/kiseki50/index-j.html
の図面参照。長くなってしまった御免。 大畑、真幸は復旧の目があるなら、
どちらかは棒線化して双方の入線出発(=折返しも含めて)対応にしてもいいと思う
通過不能形だと棒線化してもスイッチバックは残るし。 土讃線特急毎時1本をやめる覚悟さえあれば、新改はすぐにでも閉塞信号だけにして本線上にホーム移設する方向で片が付くんだよね 東武野田線は >>> ちゅーぷるへ
Tobu Urban Park Line
TUPL:ちゅーぷる
★「三経ロンドングループ」のCMのメロディで
♪ちゅーぷる、ちゅーぷる、ちゅーぷる
♪楽しい ちゅーぷる
♪愉快な ちゅーぷる
♪ちゅーぷる、ちゅーぷる
武蔵野線は >>> むーぐるへ
Musashino Gamble Line
MGL:むーぐる
20.jan.2022 板谷峠で思い出に残っているのは、板谷駅への同時到着だな。
自分は下り列車に乗っていたのだが、引き込み線に入った後にバック
でホームに入っていくタイミングで、上り列車が上り本線から入って
きて並走しながら同時に到着。
上り列車に乗っていたおっさんと目を合わせながらの並走だったw
本来ならどっちかの列車が先着してたはずなのに、遅れたのでそう
なったのだが、どっちが遅れたのか今となっては思い出せない。 金と暇に余裕があるならそうだね
ローカル線で3時間に一本しかなかったりすると
涙をのんでどちらかを諦めざるを得ない 越後交通長岡線の末端寺泊付近にもスイッチバックがあったの? 目の前が砂浜で駅名に偽り無しね
こんな所でもスイッチバックがあったとは‥ わざわざスイッチバックしてまで乗り入れなくても
寺泊駅と寺泊温泉駅は海水浴場駅に行く途中に作ればよかった気もするが あと勾配以外の理由で一つの路線で2度もスイッチバックする路線なんて他にあったろうか? 長岡線は単に線型的にV字にするしか市街地に侵入出来ないからな
駅自体は海岸線の平たん地で勾配を緩和する必要がない >>203
はぁ?
広見線のスイッチバックは新可児だけやぞ?
大丈夫かwおいww >>204
> 単に線型的にV字にするしか市街地に侵入出来ないからな
それって勾配があるからだろ なんかスイッチバックを数えらない人とか
平地なのに勾配のスイッチバックだと言い張ったり
急に頭の沸いてる人達で賑わって来たなぁw >>207
平地じゃないよ
寺泊新道と寺泊だとかなりの高低差があった スイッチバックのある場所は海岸線沿い平地なんだろう?
じゃあ勾配は関係ないじゃんw スイッチバック自体に勾配がついてないといけないのか?
違うだろ 「勾配による」から「勾配なきゃいけないのか」に変わったな 勾配以外の理由って言うから違うよって話
寺泊新道から寺泊まで下りるためにああ言う線形になったわけでな ずっとスイッチバックと関係ない話してるただのアホがおるね 仁山は現役と聞いたけど、実際に引きあげの実績は最近はいつまでさかのぼるのかな?
イベントでもよいから、実施してほしいですが、相当高額? >>212
おまえってホントバカだよね
>>215
客レがなくなったからもう用済みなんだよな >>217
> おまえってホントバカだよね
まともな反論できないのかよw 一度レスしたけどまだ続いてるんで少し詳しく
現場の地図や画像みればわかるが、海抜0メートル付近の海水浴場駅の話
つまり終点の寺泊側とは標高差がない
これを勾配によるスイッチバックと言って譲らない粘着主は
@スイッチバックを知らないただのうましか
A構って欲しくてわざと違うことを言ってるだけのいけぬま
なのでどちらにせよ説得しても無意味だと思う >>219
寺泊新道と寺泊の高低差を克服するためにああ言う線形になったんだよ
海水浴場駅だけ見てちゃ駄目 なるほど、この人には通じないだろうな
同じ越後交通だと西長岡や上見附と同じタイプだね
都市部以外でこれだけスイッチバックのある鉄道はなかなかレア 通じないのはお前のほうだろ
停車ホームの勾配緩和だけが勾配のためのスイッチバックじゃないんだぞ
あの線形自体が寺泊新道から寺泊に下りるためのものだって理解できないのか? >勾配緩和だけが勾配のためのスイッチバックじゃない
意味不明 狭小部でRがきつい場合も
スイッチバックになるね
都市部のターミナル駅なんかはそう 海辺の平地が狭いからスイッチバックが必要というだけだからね >>227
だからそれは勾配のためのスイッチバックだろ 寺泊はなかなか面白そうな場所にあるが、現存するのは都市型ばかり
地方の類例は十和田南とか限られるもんな
かつては他にもあったんだろうけど >>229
高低の勾配と曲線内径の勾配
どちらも文字は一緒だが
勘違いしていないか? 現在の立野もスイッチバックといえばスイッチバックになる
これも立野までフラットなのは寺泊海岸駅と同じ これだけ説明して貰って理解できない>>229って
どんだけ頭が悪いいんだよ?w >>231
たまには一畑口や富士山(富士吉田)なんかのスイッチバックも思い出して下さい 出雲坂根、暫く運休してたけど無事に開通できたかな? 今年のおろちって4/1からだったのか。出遅れたw
てっきり4月の下旬(20番台の日付け)からかと思ってた >>238
富士山は市街地過ぎるから会津若松みたいな都市型だろう
一畑口は路線廃止の結果だから遠軽みたいなパターンだね 以前俺が別スレに貼ったが一応こっちにも貼る
出雲坂根駅とスイッチバック C56107貨物
昭和46年 カラー映像(何かの番組から抜粋)
https://www.youtube.com/watch?v=DC2Y5skl3vc&t=167s
(02:47〜06:10ラスト) >>249
湖畔のスイッチバックの例が思いつかない
245のはどれも湖畔じゃないし
宍道湖なんて両側から湖畔を走ってきて突如湖畔から離れてスイッチバックだし 十和田南と富士山はだいぶ離れてた
一畑口は分岐駅だったからしょうがない
湖畔ではないが、どれも大きな湖に近いといえば近い >>250
そりゃ廃止されたどんづまりの薬師駅開設→廃止との関連でああなったわけだから
最初から無意味に唐突にああ敷設したわけではない >>252
湖畔にないと事実を指摘しただけで
それがおかしいと指摘したわけじゃないぞ スイッチバックではないが北海道にあった湖畔駅も全然湖畔じゃなかった
一畑口なんて湖畔でぜんぜん問題ない
あくまで周辺という意味 >>253
突如とか書いてるじゃん
そう書く人は通常なら歴史を知らない人に読み取れるわけよ。
俺が書いて初めて知ったのに強がってるのか?それならごくろうさんw >>257
そう日本語の問題
>>259
突如
これだけからそんな妄想なれてもなあ 何だか荒れてるスレが多いけど
ここも同じ流れのようで怖いな 勾配でないのに勾配厨に続いて
今度は湖畔なのに湖畔でないぞ厨かよw >>265
荒らしに関しては他人事だよ
荒らしに占拠されたらたまらんなあ >>268
まずくはないけど
実際湖畔かと言うとそうではないと思うんだよなあ >>271
> 湖畔にない事実
「湖畔にないと事実を指摘した」だよ
改変禁止w そいつが言ってる事実が事実とは限らないのはココ見てるとよくわかる
全体に勝手にそう言ってるだけな感じの話し方だし だな
当て推量と思い込みが激しいタイプ
そしてそういう強がりな奴ほど
それまで知らなかったことでも知ってた扱いにしたがるまでがセット ところで日本で一番最初に出来たスイッチバック
今残っている中で最古のスイッチバック
最も新しく出来たスイッチバックってどこだろう? 結局、ただ事実というだけで
湖畔でない事実が何なのかという説明はなかった
トーンダウンしたり別の話にズレて行ったのも自信がなくなって行ったんだろうな
これまで湖畔とはこういうものという思い込みだけで事実と断じ譲らないから、他の奴らと揉め事になる >>279
明治18年かあ
もうこの頃山岳路線に挑んでたってのは凄い話だ
中山道幹線作ろうとしてたんだから当たり前といえば当たり前な事実だが
改めて考えると凄いもんだ ただ湖畔でスイッチバックしてるだけの話で
なんでこんなに荒れるんだか >>284
どうも黒部峡谷鉄道の鐘釣駅が怪しい
http://www5f.biglobe.ne.jp/~switchback/kanetsuri.htm
詳細分かる人よろしく >>250 >>253の国語力の低さに草
湖畔駅の湖畔度比較(距離)
河口湖畔駅>>猪苗代湖畔駅>>(一畑口駅)>>北浦湖畔駅>>湖畔駅 >>286
これはわかりやすいね
スイッチバックだからどうかなんて、ただの屁理屈だからね
逆にスイッチバック駅では一畑電鉄が日本で唯一の例ではないのか 1957年新保駅
DD50+DD50+D51+D51
4重連
https://i.imgur.com/ZNQvmHJ.jpg 上市駅乗ってきました
自分は楽しかったが、他の客は車内で気にしてるようではなかった >>291
埠頭の引込み線は仮面ライダーや刑事物の撮影でよく出てきたね >>294
ほかの客とは地元の人じゃないか
当たり前すぎてな 鉄道旅行で現地に来てはじめてスイッチバックだと知ったのが、長崎本線の本川内駅 豊肥本線の立野駅は、ブルーガイドの地図でスイッチバックだと知り、いつか乗りに行きたいと思ってた
鉄道に興味を持つきっかけとなった駅 書物で得た知識しかないが花巻電鉄西花巻駅も西鉛温泉から来た電車はここでスイッチバックして花巻駅へ向かう >>286
「湖畔駅の湖畔度比較(駅名)」は深名線湖畔駅がトップだな。笑 中在家信号場
キハ58、28で二度スイッチバックを経験 立野 SLあそBOYの50系客車 キハ58の2回
出雲坂根 キハ120 >>144
懐かしいな。
30分に1本に石山寺発三条行きがあって、石坂線の浜大津駅に止まった後、京津線の浜大津駅に止まってそこでスイッチバック。
もう1つの30分に1本は坂本行きで、それは石坂線の浜大津で降りて走って京津線の浜大津へ乗り換え。
さすがに三条行くのに後者はハズレでしたな。 スイッチバック式時代の北宇智。
運転手が運転台を移動せずにそのまま列車を後退させ、
その後本線に戻していくのがおもろかった。 >>306
103系の臨時快速に乗って北宇智を通った。
103系とスイッチバックはレアな組み合わせだった。 京津線は京都府から滋賀県へ向かう際に結構な勾配を越えるのにそこにスイッチバックはなくて、
平坦な琵琶湖畔の浜大津をスイッチバック方式にしていたのが謎だ
そういや三条から宇治へ行く京阪電車も中書島でスイッチバックしていたな
交野線はともかく宇治線は三条に行き易い分岐にした方が良かったのでは? 宇治電気軌道は宇治と大阪を結ぶ目的で設立されたのでは? >>309
長い間中書島でスイッチバックしていたから、京都が目的だったように思うけど・・・ 宇治電気軌道という社名で営業していたことはない
計画時点で京阪に合併されたのだ