昔の静岡鉄道を語る
現存する静岡清水線や、廃止された清水市内線、駿遠線、静岡市内線、秋葉線の思い出を語ろう! >>175 いずれ静岡県東西分裂するんではないのか?
大学統合めぐっても静岡と浜松、仲悪そうだし。
駿遠線も残らなかったし。 仲が悪いかどうかは置いといて
藤相と中遠を結んで駿遠線にしようという構想したとき
収支見込や費用対効果を考えなかったのかな 収支予測添えなきゃ免許は下りない
大盛りなのは今も昔も同じだが 運動場前から大井川線ができていたら駿遠線も様子が違っただろうか。 地方中小私鉄で大晦日のオールナイトやってたのは静鉄ぐらい? 終夜運転時、自動車線の臨時浅間神社赤鳥居行きと連絡 百年史によると静岡清水線の電化開業当日は豪雨の中午前4時30頃にまずは来賓を乗せて次に一般客を乗せたとあるが
それにしても夏なら既に空は明るいとはいえ午前4時台に見物人も多くて来賓までいるとか100年前の人達は随分早起きなんだね
ちなみに電化以前の最初の約10年間所謂大日本軌道時代は絵に描いたようなまさに蒸気で牽く軽便鉄道だったというが
電化後の躍進ぶりをみると何で10年近くも現状維持のままで改善に務めようとしなかったんだ?と思わなくもない 軽便時代の10年間って将来の電化を予定した準備期間ということなんでは?
地方私鉄にとって最初から電化するには初期投資額が大きすぎた。
大日本軌道と静岡鉄道との考え方の違いがあったのかもしれない 当時はまだ電気が優秀だとの認識は薄かったからな
煙害を防ぐ、あるいは電力会社の販売先といった側面が強かった
それに雨宮は自ら蒸気機関車もつくってたし 電化時に用意した車両は玉電や美濃電からの中古の寄せ集めだったのな
wiki(に記載されてる情報元の『日本の市内電車 -1895-1945-』)によると
玉電出身の1-3と付随客車1-3は26年までに秋葉線へ転属
美濃電出身の番号不明5両は23年までに廃車
前歴不明の11-13は29年に散水車に改造又は廃車とあるが
社史に掲載されてる電化開業時の記事を見ると10から14号なる車両が登場してるようだが
もしかして10と14は美濃電出身の番号不明車が充てられてたのか? 通過駅の利用客から不満が出たんだね
拠点間の速達輸送はそれ自体は立派なサービスなのだが
なかなか一般的な合意形成ができないものだ 旧静岡市側しか通過してなかったからねえ。
入江丘は別として。 静鉄ほど駅が多かったら一駅二駅通過しても大して速達効果は得られまい
それより大手私鉄並みの高頻度運転の方がサービスとしては上策と思われ あまり駅間距離が短すぎるのもどうかと
鉄道の強みをみすみす消しているようにも思えるのだが 駅間距離の長い汽車
短い電車
それぞれの特性を生かしてるってことかな >>202
国鉄~JRの強みが長い駅間による速さだから
昨今全国で見られる新駅乱発こそ自分の首を絞めてることになる 競争相手のJR国鉄と同じことをやるばかりでは何のためにあるのかと存在意義を問われかねない 実際どういう棲み分けなの
静鉄の勝ち目は運転本数だけ? 1000系が東急7200系の兄弟車と気づくまで少し時間がかかった 側面の窓割りとかそっくりでも意外と気づかなかったりするよね >>216
一応通るけど駅がない。
元々各県1つは作るってことだった。
是非作りましょう。「奥静岡」を!! >>202-207
こう言う奴ら、
なんとか出来んのか? 何も意見を言わず他人を叩くだけのバカ
一番始末したいわ リニア完成後は静岡・浜松停車のひかりが一気に増えるはず
のぞみよりひかりが多くなる可能性もある
先が見えない知事を持つと大変だな やり方次第でリニアをカードに静岡空港新駅設置を有利に進めるとかもできるだろうになぁ 山梨にまで喧嘩売ってんな
つまらん意地張ったおかげで相当プレッシャー感じてるのかも 柚木駅改築のため一時仮駅になってたときのホームが頼りなさげでソロリソロリと歩いていた >>229
昔の柚木の構内踏み切りの音が変わっていて好きだった 駿遠線が全廃されてから半世紀以上になるが最近まで駅舎が当時のままで遺されていたとは知らなかった(藤枝本町)
一度見てみたかった >>229
駅の工事というと、1986年の美術館前駅新築は工事期間はどんな斬新な駅になるかワクワクしていた
テレビのニュース番組も取材するほど社会的に関心を集めていた 藤枝本町は画像で見るにふつうの民家みたいな状態だな >>233
とはいうものの今になってみればそんなに特徴のあるものでもない 路面電車でも親子編成といって非動力車を牽引して走ってたことはあった 全長30メートル以内ならそれほど問題ないんじゃないか