思い出の富士急行を語る [無断転載禁止]©2ch.net
中央線の夜行鈍行で大月で乗換え、深夜臨時の元17m国電で富士吉田。
そこから吉田口五合にバスで行き、富士登頂して下りは吉田口砂走り経由。
それで吉田口五合夕方発の新宿行きバスに間に合った。山小屋泊まる必要がなかった
。ここの砂走り閉鎖の少し前のこと。 客車時代から国鉄が入れる規格だったけど、規格改修は何時行ったの?
それも数回繰り返していそうな気もするのだが・・・。 朝日新聞の投書欄に、富士急は日本一運賃が高い癖によく遅れるという苦情が載ってたな。
40年位前のこと。 レス7だけど、3100形の脱線転覆事故が起きて数年後、昭和48、49年頃だったと思う。
当時は、吊り掛けの旧型車がほとんどだったし。電車もぼろいと言ってたような。 >>9 車両の経年だけで考えたら当時も今も然程変わらんよ。
相対的に車両のレベル、技術革新が鈍り大都市、大手私鉄と変わらんようになっただけ、
それと毎日ゲタ電が東京から乗り入れて来るし・・・。 >>6
昭和4年に開通して9年には直通してるんだから
最初から国鉄規格なんじゃね? 富士急3100が転覆している事故現場の写真が新聞の一面に大きく載っていたのを、見た覚えがある。横倒しになっていた。
その半年位後の近鉄特急青山トンネル事故の方は、覚えがない。家では朝日新聞の東京版取っていたけど。 3600は古い電車の車体を延長したものだったんだっけ? フジサン特急走らせるようになったのは、中央高速経由のバスの営業成績が伸びなくなってきたからかね?
それまで、高速バスがドル箱で、鉄道は手を抜いても構わないという考え方だったのかも。 富士急の沿線に、小田急の「ネコ」は何台か残ってるけど、所謂「小田急顔」はもう残ってないんだよね >>14
少し認識が違うよ。
最初からフジサン特急だったんじゃなくて当初は特急ふじやま号。
これは京王5000系の譲渡を受けた1000形のクロスシート車を用いて誕生した。
7000・3600・3100の時代はクロス車が主力だったが旧小田急の5700形で置き換えた事でクロス車は生え抜きの5000形だけになっていた富士急に久々のクロス車が生まれ、これを活用した形。
あまり高速バス事業とは関係なく、単に僅かな特急料金ででも日銭を稼ぎ少しでも業績アップに結び付ようと考えた苦肉の策。
1206〜1208Fの3本が特急用として整備されたが多客期の増結や検査入場時の代車として一般車が用いられる事もあり、今と違って少ない投資で最大の効力が得られるよう合理的に考えられていた。
しかも特急ふじやま時代が富士急行線の最速時代で以後は改正の度にスピードダウンしていくという体たらく。
フジサン特急になったのはJRで用途廃止となったJTのパノラマエクスプレスアルプスを譲り受けて投入してから。
この時、車両のグレードアップを名目に特急料金の値上げも行われた。
今でも代走特急が走る時の料金が安く設定されてるのは特急ふじやま時代の名残。 痛ましい事故だったね ›暴走事故
後ろの車両の方が衝突の衝撃が少ないだろうという想定のもとに乗客を避難させたのが
裏目に出たというのも不運
どんなに踏切の遮断機能を上げてもクルマが突っ込んできたらどうしようもないよな
究極の防止策は全区間立体化だろうが 3604号だったかなぁ?
3600形で唯一の3扉車で、やったら窓が大きかったの
走ると大きな窓が逆に災いしてガタピシ喧しかったけど明るくて好きだった ブレーキは最低でも複数系統装備、
まず出来ることはこの程度から。
立体化など都市部でないと費用対効果が無さ過ぎるからなあ。 鉄道の連続立体化は大変だから、道路側が単独立体化してくれればいいのに 車体更新を受けた上に電動車のモハ3600や3630は比較的スタイルに統一感があったけど、3630がペアとして組んでたクハ3660は前歴も含め怪しい形体のが多かったな。
特にクハニから荷物室と荷室用ドアだけ撤去してクハになったのなんかは扉配置がメチャクチャだったし、モハと違って鋼板屋根に埋め込みヘッドライトだから編成の前後で印象まで変わるというカオスっぷりw
中には恐ろしく腰板が高くて隣のモハと窓の高さが合ってないなんちゅう垢抜けないスタイルのクハもいたし。 今考えると よく1M1Tで40‰の坂登ってたなあ
釣りかけ車両はトルクが強いのかな >>23
あまり軽量化も考慮されてなかった時代の旧型車は車重(軸重)も大きかったし
そもそもの釣り掛け駆動が車軸に電動機の重量を負担させるという線路には優しくない代物
山陽本線のセノハチなんかでも80系とか旧型電車は自力登攀してたけど初期の平坦線用高性能車は補機を必要としていた
電動機出力こそ大きいものの富士急に縁のある201系やE233だって4連で2MだからMT比なら1M1T 小田急1900のドンガラだけ貰って来てデッチ上げた富士急5200
小田急がモーターやら旧4000系に流用して回してくれなかったから3600のを使い回し
おかげで故障頻発と大して活躍もしないまま同じ小田急出身の5700に僅か5年で駆逐される
5200って富士急の中で最も影の薄い存在じゃね? 20年位前 田野倉駅のホームに
ロープウェイの搬器が待合室として置いてあった記憶があるんだが
あれってカチカチ山のやつ? 買って暫くもしないうちに消えてしまったのはそんな事情があったのか
乗る機会もないままでろくに撮影もできず自分の中でも影の薄い電車です。 実車じゃないけど模型で影が薄いというか幻みたいな存在の話
・GMが出したレジン製の富士急5000
富士急の製品化許諾を取らずに売り出しちゃったから即効で販売禁止
ほとんど市場に出回らなかったレア商品だけど後に鉄コレが出したから更に影が薄くなった
・モデモの富士急8000フジサン特急
模型ショーのモデモブースで3連に短縮されたRSEを見たとういう報告
リリースは時間の問題と憶測を呼んだが以後は音信不通に
・謎の富士登山電車
少し毛色が違うけど鉄コレの富士登山電車が発売前に都内の中古屋に放出された
試供品を渡された関係者が流したんだろうと噂に もう一本
知り合いから聞いた話の聞きかじり
けっこう昔の話らしいけど時間によって葭池温泉前や上大月を通過する普通電車があったらしい