【岐阜】東濃鉄道・北恵那鉄道©2ch.net
岐阜県に路線を有していた名鉄系列の地方私鉄2社を語ろう くすんだ湘南色がローカル私鉄っぽくて
好きだったなw
ただ朝夕しか走ってなかったので
撮影の効率が無茶苦茶悪かった。
朝の運行が終わった後で
木曽川鉄橋を歩いて渡ったのが
忘れられない思い出。 両方10年以上前に行ったな北恵那は鉄橋がたくさん残っていたしホームもあった終点の下付知は駅舎が残っていた。東濃鉄道は自転車道になっていて全く残っていなくて徒労だった 間引き運転はじめたら危険信号
間引きは経費削減目的だが、これを実行して収支が好転した験しは無いね
逆に「うちは死亡フラグ立ちかけてます」アピールになっちまってる >>5 それでも記述には、「車両の近代化のため親会社の名鉄から5両投入された。」
縁も所縁もない系列外の琴電には 「性能は悪い」が、車体はずっと新しい3700形が、大量供与されていたのに
この差は、子供心にも名鉄の冷たさ、甲斐性の無さを感じたな。 規格が合わなかったんじゃないの?
名鉄HLは車長約17.8m、車幅約2.7m。
元瀬戸電は車長約14m、車幅約2.6m。
入線を阻むような急曲線や重量に耐えられない脆弱な橋梁があったかどうかは
把握してない。申し訳ない。 >>10
現実に日中に乗客が居なかったら間引きの決断も致し方あるまい
沿線にこれと言った集落が無ければ尚更 北恵那は今ならレールバス→結局廃止だろうな。
まぁでも岐阜県人って車無いと生活出来ないんでしょ?
鉄道要らないんじゃね? というか岐阜・愛知地方は元々が クルマ>鉄道 という考えだというし、
それでいうと名鉄もかなりの路線で撤退したがけっこう頑張ってる方なのかもね
地力が無いローカルはたとえ大手系列に入れてもらえたとしても苦しいだろうな >>16
> 名鉄本体と路線が繋がってれば
あまり意味の無い仮定のような気がする。
採算性ないと判断したから土岐津に進出しなかったわけで。 いえいえ、こちらこそゴメンなさい、
冒頭から北恵那の話題が続いていたのでそうだと思い込んでいました。
このスレは東濃と北恵那の両方を扱うことになってますね。
名鉄広見線の前身、初代東濃鉄道(→東美鉄道)が土岐まで伸ばす計画があったような
記事を何かで読んだことがあったもので。 あわわ…
間違えてしまいました
×冒頭から北恵那の話題が続いていたのでそうだと思い込んでいました。
○冒頭から北恵那の話題が続いていたのに東濃の話題だと思い込んでいました。 土岐延長の計画は初めて聞いた
土岐から名古屋までは国鉄の方が速いだろうし、もし岐阜ならば勝てるかもしれないが
そんなに需要があったのかな 初代東濃も含めて殆どの中小私鉄は域内交通を使命にしてる >>23続き
なので初めから名古屋、岐阜の都市を結ぶ目的は持ってなかった
あくまでも地域開発が主目的 多治見や土岐が名古屋圏に入ったのは
所謂瑞浪電化以降 御嵩から土岐津まで伸ばす目的が、土岐津側のニーズ(誘致があったかどうかも)なのかどうかは
分かりません。 御嵩から土岐に出ようと思えば山あり谷ありで工事が大変だから諦めた、それだけ。 >>27
初代東濃は軽便だからな
田舎の小資本が鉄道を手掛けられただけでも奇跡に近い 北恵那鉄道は電車の運行を朝と夕方以降のみとしたため、
「朝と夕方しか走らない電車」とも呼ばれていたな 北恵那って規模や本数の割りに車両多かったよな。
それだけ、通勤通学輸送は盛況だったの?
名鉄から多量の半端ガラクタの援軍が来る前は、
電車は創業期のラジアル台車改造車と鶴見臨港だけみたいだけど、
その頃は殆ど鶴見臨港の独り舞台で酷使されたのか?
故に 銚子等他所ではソコソコ丈夫で長持ちした元鶴見臨港100形はココでは早死? >>31
鶴見臨港車は唯一の塗油器付きで重宝していたがモーターが焼けてしまい泣く泣く廃車にしたらしいですね
塗油器のみモ560形に移植した模様
http://shinano7gou.at.webry.info/
ここの北恵那記事からの情報(北恵那沿線出身者の元国鉄OBのブログ) >>33 好いモノ教えてくれて有難う!
此のヒトの話面白いね。
そういえば、北恵那 木造のマッチ箱の末裔や横荘の貨車を化けさせた小型木造客車以外に
鶴臨の小型電車を去勢した(電装を外した)客車を三岐から買っていたんだよな。
木造よりスチールの方が物持ちしそうなのに、こちらの車体を詰め所や物置に転用しなかったのは、
自社で起したハコ(車体)に対するナカのヒト達の思い入れかな? >>35
>>33のブログ情報では落雷でモーターが焼けたと書き込まれてました >>28
初代も二代目も地域開発が目的だろ
名岐間のような都市間連絡ではないのだから地形が険しいから諦めます、
では鉄道経営の意義がない
地形が険しいからこそ鉄道を通して輸送需要を独占しようと考えるはずだよ >>38 大井線をリアルで知るヒトはもう殆ど居ないだろ。
・・・此処で書き込み出来る能力のあるヒトは事実上皆無かと・・・
処で大井線の単端式ガソリンカーって車両整備(恐らく本格的な定期検査なんか時代から察するに皆無かと)
や廃業後も中津川に回送して北恵那本線?に入線させた事とか無いのかな?
本線は、電車だし・・・
ガソリンカーを走らせる為にワザワザ職員に当時まだ珍しかった(筈)の自動車免許を取らせて運転させたのだろうか?
それとも本線とは完全に人員的も無関係に職員採用・調達? 東濃駄知線は水害がなければもうすこし生き延びられていたかな
豪雨による河川増水時の橋脚って本当に危険に晒されているんだね
72年豪雨の土岐川橋梁も上流の倒木が水流に乗って物凄い勢いで橋脚を
薙ぎ倒したらしい もし電車の通行中に激突したら大惨事になってるところだった。
上流で森林保全が疎かにされると下流が大迷惑することになる。 私が生まれた年が北恵那鉄道廃線の年でした実家は栗本駅のそばでレールがあったのは覚えています、走った姿を見たかったです、夜明けの森に展示されたデ2は見た記憶があります、貴重品は福岡町のある方が受け継いで保管してるそうです。 琴電に移ったモハ100は本当に小さかった
手入れは悪くなかったと思うがとても戦後製とは思えない古さがあった >>41
同じ天災でも地震とは違って風水害は到来の予測が可能な場合もある
あの日、次第に水嵩と水勢を増す土岐川を見て、当時の保線担当の胸中は如何許りかと。 当時の技術ではどうしようもない
人命が失われることだけは絶対に避けようという思いではなかったか 今でもどうしょうもない
どんなに強固なインフラを造ってもそれを上回る自然の力でいとも簡単に壊されるのは
東日本大震災の津波で崩落した三陸の防波堤が物語ってくれてる 渡河せずに済むルートを選択すべきだった
短絡しようとすると自ずと架橋は長くなり、倒壊のリスクは高まる 駄知と土岐を川を渡らずして結ぶルートがあったら教えて欲しい 珍説を唱えてる御仁にお目にかかれると聞いて馳せ参じました 中央線が瀬戸経由だったらよかったんじゃね?w
そもそも建設されないし、頭を悩ませることもなかった! 多治見 東濃鉄道笠原線
土岐 東濃鉄道駄知線
中津川 北恵那鉄道
中津川線(未成線) 笠原と駄知が合併するメリットはなかったね
お上に押し付けられたんだよね >>8
あんな長い橋よく渡ったな
いまなら通報されてるかもしれん
>>39
バスでも無理そうな所に
なんの意味があって引いたのか実に謎深い路線だよ
>>56
中津川線って飯田寄りの方じゃなかったか?
実現していたら北恵那の軌道敷を使用したのかな?
まあ下呂〜中津川〜飯田乗ってみたかったな >>57
寄らば大樹の陰ではないが、
どうせなら名鉄にくっつきたかったのではなかろうか >>58
>なんの意味があって引いたのか実に謎深い路線だよ
ダム工事用だわさ 改めて調べてみると奥戸にはうどん屋が一軒と派出所もあったようだ
もちろん工事中限定のことだろうけど 温泉たってピンキリだよ
どうせ一軒宿みたいな温泉だろう
恵那駅から歩けない距離じゃないし 5年ほどで旅客営業をやめてしまうというのは国内最短記録ではないかな??
車両の減価償却も出来ないし、完全赤字だな >>57
当時の鉄道経営にそんな発想があったのかな
よく分からない誰か教えて偉い人 下着窃盗未遂 小学校講師逮捕 住居侵入容疑も /岐阜
毎日新聞2019年2月20日 地方版
恵那署は18日、民家の敷地内に侵入し、女性用下着を盗もうとしたとして、
恵那市長島町中野、市立大井小学校講師、田口慎吾容疑者(31)
を住居侵入と窃盗未遂容疑で逮捕した。田口容疑者は「敷地内に入ったが、下着を盗むつもりじゃなかった」と供述しているという。
https://mainichi.jp/articles/20190220/ddl/k21/040/204000c 北恵那鉄道の廃線跡、消えた所が本当に増えたな。
谷間が浅く広くて廃線敷の利用価値があるんだろうね。
木曽川橋梁は死守してほしいが、すぐそばをリニアが通るんですよね・・・。 遺跡は見れなくなるが記録写真は多く残ってるのがせめてもの救い
駄知線よりも笠原線の方が心なしか多い気がする
より長生きしたためか? 変化に乏しい貨物主体の非電化路線の方が多いと何故思う ボディの色合いがくすんでるから、名鉄みたいに赤に塗り替えようとしたことあったっけ? 北恵那は廃線のニュースを見た記憶が辛うじてあるのみ
乗り鉄してみたかった テレビが特集企画を組んでくれたおかげで映像が残ってる
東濃は急だったから… 天災には勝てない
でも、悔しかっただろうな
収支は苦しいがまだ何とかなる見通しあったし、
地元の支持も根強かった 小谷と昭和農園前のバス停、まとめてバローの交差点付近で1つにできたら、あそこらの住民が多治見駅前〜名古屋市まで通勤や通学するとき、定期なら便利なのに。 夕方から夜にかけて下沢で降りる中年〜初老のジジイ、降りるときに運ちゃんにダラダラ文句言って降りるんじゃねぇ!しまいにゃ他の客から、さっさと降りろと言われても言い返して口喧嘩する始末だし… ネットで調べたら最終日の記事はいくつも出てくるがそれなりに盛況だったようだ
それでも怒号が飛び交う様なことはなく、みんなが普通に最期を見送る雰囲気であった
葬式鉄なんてこの十数年に出現したんじゃないか 記念乗車する客も葬式鉄に含まれるだろ
当時からいたに決まってる
そのように呼ばれなかっただけの事 葬式鉄にネガティブなイメージを世間にすり込んだのはテレ朝のニュースステーション 何時も思うんだけどさ
まだ運行してるってことはその時点では死んでないじゃん
死に際に集まってんのが何で葬式なんだ? お別れ運転のヘッドマークに鉄道友の会のロゴが大きく出てたのが物議を醸したとの記事が、
鉄道ファンか、鉄道ピクトリアルか忘れたが何かの鉄道雑誌で見た あと5年ぐらい延命してたら名鉄からALでも譲ってもらっていくぶんは垢抜けられてただろうか 長さで3m、幅で0.4m、重さで10t違うから無理か スマン
>>100は旧瀬戸電のモ760との比較を書いた
言葉足らず申し訳ない >>98
モ700形のことですか
(実際には北陸へ行きました)