懐かしの鉄道車両メーカー [無断転載禁止]©2ch.net
アフターサービスも大切だが
昔はそんは発想もなかったのかな 昔の鉄道雑誌に24系客車製造してますって
富士重工だかの広告よくあったよな。
直接宣伝効果はないけど、将来の技術者募集
の役にはなったかも >>210
古い私鉄車両めぐりとか読んでいると、小島栄次郎などのブローカーの
名前が出てくる。メーカーの体をなしてない個人商店状態 専業ではないけれど鉄道車両を手がけたメーカーとして、
最古参は創業元禄二年(1689年)の藤永田造船所になるのかな。
世界的に見ても古いと思うよ。スチーブンソンの蒸気機関車の125年前だ。 >>205
今の富士車両は産廃処理施設のプラントとかが主力らしいね
沿革見ると、滋賀に移転した頃には車両メーカーというよりは?
化工機(高圧タンク)メーカーや鋼材メーカーという感じだね
80年代半ばジャーナルの車両メーカー特集でも?
LPG高圧タンク関連が主力と紹介されてたし
以前、燃料業界やタクシー業界関連の出版物に富士車両の広告が掲載されてて
LPG充填所用やタンクローリー用のタンクが載ってた >>203
俺もそう思って法人検索サイトで見てみたがヒット無し
今この社名使ってる会社があったとしたら
先代がこんな潰れ方してるのを知るや否やすぐに改名したがるだろうなw 西鉄もメーカーを配下に置いてなかったっけ?
鉄道線500は新製こそ他社だが改造と廃車解体は西鉄産業の手で、とカラーブックスで読んだ 造船所が経営多角化のために電車受注に手を広げる…藤永田と川崎か >>221
九州車輌
1960年代に宮地岳線木造車の鋼体化や軌道線車両の製作とかを受注
新製車体は以下の通り
・300形(福岡市内線→北九州線)※準新車
・1000形(北九州線)
・331形(北方線)
親会社のコスト削減策で一部の車体を回されてた感じ
車両一式丸ごと大手メーカーへ発注するよりも割安だったとか なかなか豪華な顔ぶれね
路面電車車体専門メーカーとして生きる道もあったのでは 九州拠点だから何かと都合良かった
軌道線多かったし >>223
藤永田の名前は古い鉄道解説書(たとえば慶應鉄研のガイドブック)でよく見かけた
記憶に残る文字面 藤永田造船所の最終鉄道車両は、昭和8年製の近鉄東信貴鋼索線コ9形らしい。
今でも静態保存されているね。
軍縮期に海軍艦艇の受注が減って鉄道車両に手を広げ、
軍拡期の到来で忙しくなって本来の造船業に戻ったけれど、
当時の社長が信貴山を信仰していたので製造した車両と聞いている。
廃線まで使用されたから、何度か乗車した。
クロスロングが千鳥式のシート配置で、ニス塗りの車内には趣きがあった。 藤永田の話を聞くと、受注が見込めなければ撤退するのは企業としては当然で、今でも起こり得る事態とは思う
やがて国内ではどこも受注能力がなくなってしまうかも >>230
そこはロリ...もといロータリー専門やろが? 個人商店から立ち上げて大企業に成長させるなんて並大抵の苦労ではできない 大発明するか、大ヒット作を手掛けるか
どっちも針の穴を通すほど難しいな 大鉄車両工業 名前は大きいが零細企業 跡地は分譲住宅 江若オハ1957〜1960,キハ12の鋼体化や更新を手がけたのだ大鉄車輌だ。
国鉄型の亜流ではない、個性的で忘れられないスタイルだけど、アクが強すぎて一般受けしなかった。
自分は好きだったけどね。