キハ04を語る©2ch.net
元キハ40000のダルマが近年まで南票に残ってたらしい てっぱくに展示されてるのしか実物を見れなかった世代だが
この時代の製品にしては採光性が良くて
明るい感じの車だったのね ガソリンカーは不思議と窓が大きめの車が多かった
田舎私鉄に納入されたのが意外とスタイル良かったり? 側壁よりも板ガラスのほうが軽いから、だろうね。
ペコペコの薄鋼板の幅を狭くしたかったのかも。 >>114
同時期に新製された電車が今一つ垢抜けないのに比べると意図して採用したかはさておいて軽快感はたしかに感じられる
現在の視点だからだろうか 筑波で見たのが最後
運転士さんは桟が目障りだったろうな 筑波は1987年廃止
資料を調べると地方私鉄に散らばった兄弟たちはでは1970年代に急に数を減らしたようだ
現車に触れられた自分はラッキー 電車化されてるものでも良ければ新潟交通(クハ37)・蒲原鉄道(クハ10)も 魔改造だけど鉾田も
あともうほとんど走らなかったけど御坊臨港 >>124
電車化されてても台車はそのまんまで
見るからに粗末な造りにまたそれが萌えるんだよなあ
GC改のクハばかり集めた写真集が出てくれないかなと妄想っす 気動車の絵 伊勢崎軌道
で検索すると、幸せになれるかも 最初に見て乗った41000は、関鉄筑波線
土浦→常陸北条で乗った時は、ドア不調でしまりが悪かったです
あと、初めて動いているバケットカーをみました
これらの価値が分かったのはある程度してからですね
あとは、別府の野口線
でも土山線のほうが強烈な印象のため、あまり撮っていなかったのは残念でした 関鉄は車種は豊富で、見たい・撮りたい・乗りたい車はたくさんあるのに
実際に稼働してるのはごく一部でいつ行っても同じものしか動いてなくて
ガッカリしたこと数知れず >>132
始発から午前9時ころまでがゴールデンタイムだったからね >>134
それは、今は亡き例の保存会のことかな? 使い勝手の悪さをぐっと堪えて二枚化改造を思い止まってくれたら…鹿島のキハ410 そりゃ2枚化した方が視野が広がり運転士にとっては楽
まずは安全第一だよ
マニアの懐古趣味に付き合う義務はない 4枚のうち運転台側(正面向かって右半分の2枚)だけを統合して、変則3枚窓にする手もあった 千代田線6000系以後これだけたくさん出てきているのに受容されてないわけがない(二重否定) キハ04の源流が江若に納品されたガソリンカーとは意外。
国鉄で実績作って、それから地方私鉄にセールス掛けたと思ってた。 湯口氏の本の受け売りだが戦前の江若は旺盛にメーカーに声をかけて新車の入札をやってたようだ
辺鄙なローカル線で本来は相手にされないはずなのに
沿線に軍施設を抱えていたのでその御威光で
新車でも手が出やすい値段で買えたという というより燃料統制下で他社が内燃動力を諦めはじめてる中でここだけが旺盛に調達をかけていたから何か事情があった、それが軍関係ってことじゃないの 筑波で狙いの04を撮れずに悔しい思いをしたのは一度や二度ではない 結構遅くまであちこちに散らばってたイメージだったが
戦後新製されたグループはどこも譲渡されず一両をのぞき15年未満の短い生涯だったんだね >>133
普通列車用の旧型の電車気動車や特定の客車は、朝の通勤通学時が一番動く時間
というより、その時間しか稼働しない場合が少なくないです
遠くの場合、夜行列車利用やそばの安宿を早めに出る、などですが、
ただ、近場が実は意外と難しい可能性(わかります)
関鉄常総線の旧型キハは、平日の朝900頃までしか動いていないです
(花火大会などの日は別です) >>142
戦前の江若はガソリンカーのトップランナーだった