キハ04を語る©2ch.net
戦前国鉄が閑散線区用に製造したガソリンカーをルーツに持ち、
多くの海賊版或いは天下りが各私鉄へ送り込まれた気動車一党の思い出を語ろう。
姉妹車キハ05・キハ06も一緒に。 キハって片上、小湊双方で偶然か腰下ライトに改造されたけど、
何故に? 旧型(国電)電車と違い艤装(電車と較べ外板が薄いのは解かる! 腰下スペースに穴開け易かった)の?
また 旧型電車より前照灯の照度が低かったの? >>4
スレ立てたのは実車どころか国鉄しら知らない餓鬼だから仕方がない 俺が鉄に興味持ち始めた頃には現役で動いてるやつと言えば筑波や鹿島にしか無かったはずだが
簡単に彼の地へ行けるはずもなく親に頼み込んで紀州鉄道の元有鉄車(更に元を糺せば一畑電鉄とのこと)を
拝みに行ったのが唯一の経験かな。
でももう動いていないどころか塗装は剥げ落ち窓ガラスは割られるなど荒れ放題で
せっかくだからとカメラを構えたものの哀しくてシャッターを押せず、帰途の特急列車の中で涙を流していたことを覚えてる
親にしてみればせっかくお目当ての車が見られたのに満足どころか泣き出すなんて意味不明だっただろうなw 関西かな?
別府鉄道にも04一派は在籍してたよ。
廃線後も長い間近くの公園に保存されてたが
10年ほど前に解体されてしまったようだ。 スマン、ちょっと分かり難いレスになっちゃった
別府鉄道の車は最後まで現役で、
84年まで動いてる姿を見ることができたという意味ね。
勿論、入念整備のお陰で古さを全く感じさせなかった。 >>6
別府鉄道、当時は気づかなかったんだな(気づきようもない)
ネットなんかなくて、唯一の情報ソースである趣味雑誌も
当時の少ない小遣いではそんなに頻繁に買えるものでなかった
兵庫県なら和歌山県よりも簡単に行けていたし、現役で動いてるやつを見るのが願いだったので
惜しい事をしたと思ってます。 アンカーミス
>>9は>>6ではなく>>7>>8。 しかし朽ち果てているキハも
そんなに簡単にはお目にかかれるものではないし、
ある意味紀鉄で目撃できたのはラッキーだったかもしれないよ。 >>11
今から思えばそうなんだけどね。
せっかく遠出して和歌山まで来たのに、証しを残さずにスゴスゴと引き返したことが
なんでそんな判断をしたのか、みたいな葛藤が湧きはじめ、それが帰り道での号泣に繋がったと
いうわけですわw。 気になったのでググってみたら、別府鉄道のやつは前照灯が改造されていて
見た目の印象がオリジナルとちょっと違うみたい。
また、同和片上には1991年まで現役だった(これも知らなかった)
やっぱり惜しい事をしたw >>9>>15
水を差すようだがそれはただの情弱じゃないのかな
80年代後半になるとレールバスとか04あたりは希少価値が出てきて
その動静は様々なメディアで取り上げられるようになってたと思うよ あと、懐古モードで語られる記事の対象は圧倒的にSLが多かったのも事実 >>15
片上の2灯化は社是ともいえる。
07も同じようにされてたのは有名。 うらやましい。
>>3と同じでキハ10に乗っただけで終わってしまった。
翌年廃線(ToT) 紀州でキハ16 が現役の頃、
留置線に308 202 これは動かない。
以上のべ3両の04系
あとカゴ付き買収車キハニ40801
いい体験したよ
同和片上の保存車は状態もよく、いい香りだしていて、昔の紀州鉄道を思い出せました 国鉄戦前型気動車をデッドコピーした私鉄ガソリンカーを電車の制御車・付随車へ流用したのが平成5年まで某大手私鉄に残ってた >>20 別府のクルマも国鉄から片上を経由(片上時代に改造)して入線。
>>19 近代化と云うより(んなら、厳つい4枚窓を2枚したほうが、余程視界も見栄えも良くなる)隧道があるからじゃね?
後年 花岡から来た800形が、いじられなかったのは、照度(ダイナモの発電量とか)の違いがあったのかも知れない。 >>25 知っていて言わない まわりクドイ言い方だな。
西鉄の200形のぶら下がり60形のコトだろ。 >>23
やっぱりそうだよな
キハ202が放置されてた時代でもキハ16は動いてたので
気長に待ってればどこかでキャッチできたんだろうな 一日数本しか走らないのに悠長に待ってられるかな?
俺は無理だな。
さっさと見切りつけて次のポイントを探す。