加悦鉄道
丹後ちりめんの里をのんびりと走っていた加悦(かや)鉄道。
営業当時から加悦駅構内のSL広場が有名でしたが、
車両陣もデカ顔のキハ08、荷台付キハ101など個性派揃いで
全線5キロ余りの小私鉄でありながら独特の存在感を醸し出していました。
昭和60年(1985年)5月1日廃止。 加悦鉄道は古くから多角化経営を始めてた
鉄道だけだと先細りになるのが分かっていたから。 >>10
一概には言えないと思うなあ
非常識なファンが増えたことも
鉄道会社側がガードを固くする一因になったと思うよ
車両や駅風景の撮影だってどんなトラブルの種になるかも分からないし
加悦鉄道や別府鉄道が終焉を迎えた80年代中葉までは、まだファンと会社との間で
摩擦が起きてない幸せな時代だったのかもよ 加悦とか北丹ってなぜ、客貨分離が進んだ筈の昭和30-40年代
東急3100(一見華奢だけど初期の鋼製車だからソコソコ重いような・・・)や南海のタマゴ電車の抜け殻を客車用に購入したのかな?
後年 保存で南海1201がいったのも、この地域と南海の奇妙な因縁を感じる。
津軽に西武の川造形151(コレはモロ重そう!)を買ったのも西武の面倒見が良くても少し不可解。
あと 羽後交通も西武仲介で都電を客車にして入れたなあ・・・
国鉄の旧型客車の出物が無かったの(津軽)?
そもそもこれ等が、入線出来ないくらい 国鉄中古に大型車以外出物枯渇?
されとて財政的に中古気動車も条件に見合うクルマが見つからなかったとか? 客車も意外に重いんでしょ
国鉄キハ08が試作で終わってしまったのも
重いボディを動かすにはかなり馬力のあるエンジンを積む必要に迫られたからで
そんなことなら初めから軽いDCを造った方がいいや、となったとか。
そんなキハ08もこの会社で働いていたね 動いてるキハ08形に乗ってみたかったなと思う今日この頃 乗ったけど当時はキハ51やキハ101も現役だったから
さほど有難みは感じなかった。
当たり前だが旧客に乗ってるのと変わらないw うらやましい。
>>3と同じでキハ10に乗っただけで終わってしまった。
翌年廃線(ToT) 旧客よりも揺れが激しかったという話を鉄研の先輩から聞いたことがある。 中学から大学生時代まで夏休みに今でいう「乗り鉄」としてローカル私鉄をあちこち旅行してたのだが
有名な車両がちょうど検査入りで営業に出てないとか、過疎ダイヤのために時間が合わないなどの理由で
逢えないままに諦めて次回の訪問までお預けと自分を納得させていたケースに限って次の訪問までに廃車とか
最悪の場合会社自体が廃止で消滅してしまうことが多かった。
>>3>>7>>17俺の場合は加悦鉄道と下津井電鉄でやらかしたw 荷台付と旧客改造なら俺は前者を取るけどな。
後者は晩年、予備車的な扱いになってたよ。 >>20
じゃあデッキ付きのハフ7と
ガソリンカー改造のハフ5では
どっちを取る?
あっ、別府鉄道でスレチでした 機械式気動車好きの変態な俺はハフ5!!
機関を塞いだ跡や車軸にギヤが残っていないか?等 検証・捜索して楽しむ。 >>23
この世界では変態じゃなくて
至ってノーマルですw
現役当時はハフ7の方が圧倒的に人気があったが
俺も23と同じくハフ5が好きだった。
あの元気動車独特の丸みを帯びた車体と
窓の十字の桟に萌えた 十字桟懐かしいね
汚れがこびりついて黒くなってしまってるのが気になって仕方なかった >>20
晩年に乗る機会はなかったが俺が訪問した時には専らキハ08が往復してたけどね >>20
キハ08の晩年は冬期専用みたいな扱いだったよ。 加悦は何故に 遥々北海道から異端のキハ08を調達したの かな?当時 国鉄の出物はレールバスかコレしかない訳だが・・・
重たいけど、車重的に問題なかったのかな?
貫通だが、北海道同様雪国なので耐寒性重視したのか?
そもそも運炭私鉄を初めとする廃止地方私鉄から放出される出物獲得に必要数や価格面で負けたのか?
・・・ディーゼル機関車は、廃止の見えてきた南部からDC?351を射止めることに成功したが・・・ >>31 確かに結果論として購入価格自体は安かった(安く済んだ)と思うが、
当時の国鉄が盛んに中古セールスをしていたとは思えない!
車重が嵩み他の非電化私鉄は見向きのしない此のクルマが自社の規格に合い破格で買えると踏んだ
加悦の購入担当が優れ者だったのかな? >>33
キハ08購入当時って地方鉄道なんてかなりマニアックなジャンルだから効果無いんじゃないかな、コロタン文庫でキハ08の存在を知って乗りに行った中坊だった俺が言うのもなんだけど。 加悦鉄道が今も鉄道存続していたら、JRや3セク鉄道などで用途廃止となった
キハ58系や富士重工製のレールバスなどが譲渡されて活躍しているか、
京都丹後鉄道に買収されて、同鉄道の路線になっているかも >>34
だな。
俺もそのコロタンの本を見て鉄のみちにはいったが
脚光を浴びる要素があのDCには微塵もない >>34 >>36
「私鉄全(オール)百科」かな?
だとするとキハ08は丹後山田駅に停車中のサイドビューしか写ってないから
最大の特徴である食パン大顔面が全く分からない。
あの写真をチョイスした編集者は大チョンボだ。 >>35 加悦のことだ、一筋縄ではいかない車両を購入していると思う(期待していた。)
岩手開発のキハ201(食パン)や紀州が使いこなせなかった 常盤炭鉱出身のキハ3001とか・・・ >>37
私鉄全百科だよその前に「鉄道ファン」200 号でそのお顔を見て一目惚れ、だからキハ08ってだけで反応した。廃止から30年経ってるのに現存って奇跡だよな。 >>37
私鉄全百科だよその前に「鉄道ファン」200 号でそのお顔を見て一目惚れ、だからキハ08ってだけで反応した。廃止から30年経ってるのに現存って奇跡だよな。 二十年位前に廃線跡を野田川(旧丹後山田)〜加悦まで歩いたけど
線路跡はその頃でもかなりはっきりと残っていたのに途中の駅に関しては
見事に痕跡すら残っていなかった、というかまったくわからなかった。 加悦にあれだけ立派な施設があるから良しとしましょうよ。 >>42
もうちょっと便利なところにあれば頻繁に行きたい施設なんだが その昔ガキだった頃。
夏休み親父の実家(久美浜)に里帰りして、親父の兄貴に懇願して車で加悦に連れて行ってもらった。
「あんなもんもう動いとらんぞ」と言われたが。
夏の昼下がり、駅舎に人影は無く窓口も閉まっている。
ちょっと離れたお隣にある事務所?本社?に行って「SL広場に入りたい」
と言うとおっちゃんが入場券ほかパンフレットなんか集めて渡してくれた。
一緒に来た叔父、母親、妹を残して人っ子一人いない広場構内をうろうろ。
一応トラロープ張ってあったがどこまで広場でよう分からんw
さよなら運転やってた時にはキハ08+キハ10。加悦から鉱山駅までと丹後山田から
工場手前まで廃線歩き。 >>37
横レスさせてもらうが、キハ08の特徴はむしろ客車特有の広窓が分かるサイドビューじゃないのかな >>46 まあ旧客好き(旧客列車も好き!)には、そうなのだろうが、
戦前タイプの旧型気動車好きとしては、あの余裕あり過ぎなサイドビューより短い二段窓が沢山並んだ檻みたいな側面と薄暗い車内にシビれるワケで・・・。 >>42
鉄道車両の展示がメインで集客施設としてこれだけ長生きできるものだね SLがあったから救われた
もし客車やガソリンカーだけなら人気が出なかっただろう 加悦の鉄道保存施設、京都駅からだとどう行くのが良いんだろ?
4月にできる京都鉄道博物館と合わせて行きたい >>51
与謝野か福知山からバス
但し福知山からは平日でないと困難
せっかくだから天橋立や伊根、篠山あたりも観光してったら 鉄博を見た後に加悦の広場へ行くと何かと厳しいかも・・ 天橋立っていいよな、例のケーブルカーと日本冶金の船とか回転橋とかなにかと面白い、あさりうどんが旨い、寂れた観光地とSL 広場で楽しむべき。 初めてカキコさせていただきます。
加悦鉄道SL広場では今もデモ走行はあるのでしょうか?
GWのまつりがもう終わってしまったようですが・・・ご存知の方いらっしゃるならご教示お願いします。 加悦のSL保存館行きたいが、京都駅からは遠いんだよね? >>56
遠いよ。鉄道やバス一本で行ける所ではないよ。
駅からレンタカーが最速(2h位)の手段かな? 今回、2軸客車じゃなかったんで、やめた。
片軸内燃の101も貴重だけどやっぱり2軸客車に乗りたい
あと、今度からハフ11以外も使ってほしい 道の駅に隣接してるから食うものに困らずに日がな一日ノンビリしてられるのが良い 確かに、あそこは滞在時間を長めに見積もった方がよいな。
他に見るべきところもなし。 >>34>>36>>37>>46>>47>>48
興味深い議論だ
俺は食パン顔の方に軍配をあげたい 「フハ2」について疑問なんだが、
加悦鉄当時の内部資料(車体簿など)で「フハ」になってることが間違いなく確認されてますか?
車体表記からだけで「フハ」と認識しているだけですか? >>64をなぜ書類で確認したいかというまと、
フハ
2
って表記ですよね。
俗にいう、戦前に多い「右書き」ってのは
本当は「縦書き1字改行」なんですが、
(現在と同じ「左書き」も戦前から存在している、
つまり右書き→左書きに改めたというわけではなく、
縦書きと左書きという別個のものであり、
戦後は前者の縦書き(1字改行)を用いなくなったというだけ)。
だから、ひょっとしたら「ハフ2」かもしれないので。
縦書きで記された車体書類を確認すれば
間違いなくハフかフハかが判明すると思ってさ。 >>64
一週間以上も他人からのレスを待っているのであればあなた自身で調べてみるのもよいかと >>64 >>66
ttp://sts.kahaku.go.jp/sts/detail.php?no=100910131360&c=&y1=&y2=&id=&pref=&city=&org=&word=&p=250
公共機関のサイトに掲載されているので並の個人サイトよりは信憑性のありそうな資料だけど、これだけじゃ不満かな
国立公文書館デジタルアーカイブ
ttps://www.digital.archives.go.jp/
を「加悦鉄道」で検索すると、
「伊賀電気鉄道、加悦鉄道に客車譲渡の件」と言う昭和02年07月09日の
文書があり、また「免許・加悦鉄道・(大14〜昭2年)」の項目を開くと
中には「伊賀電気鉄道所属客車譲受使用の件」と言う同日付の文書の存在も確認出来る
この他にも「客車設計変更の件」、「客車竣功の件」、「車両竣功図訂正の件」などと
興味深い文書があるようだが、何にせよ文書そのものの内容は東京の国立公文書館に
行かなければ読めないので今の俺に言えるのはここまでだ 鉄道ピクトリアル1960年12月増刊号私鉄車両めぐりには1960年撮影の写真はハブ2となっていて私鉄紀行 丹波の煙伊勢の径―昭和30年代近畿・三重のローカル私鉄をたずねて〈下〉 (レイル)掲載の1967年の写真にはフハ2となっている 戦後を走った木造車〈2〉に1959年撮影があるがこれもハブ2 >>67
待ってたわけではないよ。
64を読み返したら意味がわからないだろうと思ってセルフ補足したんです 世界の鉄道68年度版掲載の私鉄諸元表のフハ2の注記に現車標記ハブ2とあるな ここも社名は一見さんではなかなか読めないかも
「かえつ鉄道」って大真面目に読んでる奴いたもんなあ
それは富山県だったつうのw 冬に訪問したことがあって、すごい雪で出発が少し遅れてるとかで
待合室で寒さに震えていた数人の客に
ここでは寒かろうと事務室で暖を採らせてもらえたことを思い出した
もう末期で経営は苦しかったはずで社員さんは先行き不安だったろうが
親切な対応に感謝すること頻りだった 今鉄道公園に居る 元東急3100と元南海1201よもや架線の無い山陰地方の地方私鉄の
形見になった構内で手を繋ぎ余生を送るとは、現役時代はよもや予想も出来なかっただろうな。 >>74
無粋な質問で恐縮だが、車内の暖房は効いていなかったのかな? 古典客車なら期待薄
車内にはストーブなどあったのだろうか >>78
末期の冬季なら08だろう、恐らく折り返しが遅れたんじゃないかな。最終の加悦着が昼過ぎだから恐らく朝の通学時間帯の話だな。 >>81
当時出物のDCが他にあったか?って話なんだけど関東鉄道が全国的にめぼしい車両買い漁ってたからな、 政治家と暴力団の絡む仕手筋に乗っ取られ、
「天橋立急行電鉄」とか無駄に壮大な社名に改称され
勿論電化もされず急行運転もないまま、
詐欺まがいの出資金集めと株式分割によるマネーゲームの餌食になり
いつの間にか路線ごと消滅してたりなんかしたら……嫌だ。 上手いw
沼尻が磐梯急行を名乗ったのなら
加悦が天橋立急行を名乗っても、いいかなw 信用度ゼロのツアーバス屋になった時点でJRは思いっきり距離を置き始めたね。 >>85 それでも加悦や 末期に記念券乱発の 有田 は、鉄道を愛していた事業者だと思うぞ。 関鉄がかっ浚いをしてたとしても
国鉄からお古を買うことはままならなかったのかな >>90
俺は加悦鉄道の決断を支持!
おかげで関西在住の俺でも
キハ08を撮影して乗車も出来たw
加悦が買わなかったら北海道限定気動車だろ? >>91
俺も関西人で廃止前に08目当てで乗りに行った一人だが、
その発想は無かった
関西から北海道となると気軽に出掛けられる距離ではないからさ >>93
しかも北海道では昭和40年代に廃車だから
時間的にも間に合わなかった。
まさに加悦のキセキのようなキハ08。
もっとも他の2両のDCもキセキのような存在だったがw >>84
仮にも磐梯急行は、国鉄連絡駅の川桁を出て裏磐梯地方に向かってたが、
「天橋立急行」の場合は、丹後山田が線内で一番天橋立に近く
乗れば乗るほど天橋立から遠ざかる罠w
まあ、詐欺師集団なら
「大江山を越えて福知山まで延伸し、大阪・天橋立を最短距離で結ぶ」
(宮福線計画は無視)
構想をぶち上げてカネ集めするぐらいはやるだろうけど。 なんか>>95氏の投稿見てたら金名鉄道を連想してしまった >>13
不幸な事故だった
信楽事故のあとだっただけに、
テレビのニュース番組やワイドショーで鉄道の安全性云々と講釈垂れる評論家が
うざかったわ キハ08は乗り鉄と撮り鉄が可能
一粒で二度楽しめる >>96
大社宮島鉄道もなw
それはともかく、加悦でキハ08に乗ることができた幸運には感謝しとります
乗務員さんにも親切にしていただいた
加悦には個人的に良い思い出が詰まってますハイ。 てゆうか昔のローカル私鉄はどこでも余程失礼のない限りはしっかり対応してくれたよ
国鉄は別な
昭和50年代は
加悦鉄道、別府鉄道、尾小屋鉄道など
神話のような非電化私鉄が最後の輝きを放っていた。
片上や岡山臨港、水島、有田、紀州を含め西日本に偏在していて、
関西在住の俺なんかは
日帰りで堪能できた幸せ者だったわ。 >>102
>片上や岡山臨港、水島、有田、紀州
偶然だろうが、全部、内陸部と港を結ぶために建設された路線だな。 >>101
それに甘えすぎたツケが今返ってきてるのだよ ちょっと極論すぎるよ
ファンも世代交代があるし、会社側も当然人は入れ替わってゆく マナー。
言わんでも判る人には判る。
判らない、判ろうとしない、低レベルな奴によって趣味の豊かさも失われる。
これも理解しようとしない奴相手に繰り返してもダメ。
結局、「民度」とやらの限界に頭を押さえつけられて、民度にお似合いの貧相な世の中になる。
まぁどうでもいいや。 一つ忘れた
言葉にしなくても分かり合える、理解してもらえると考えるのは
子供か引きこもりの特徴な