思い出のレールバス [無断転載禁止]©2ch.net
南部縦貫鉄道のアレなら、俺的にはバスなんだよな。鉄道の範疇に入ってない。 国鉄キハ01か、南部縦貫か、
どちらかになっちゃうかな。
80年代に出て来たタイプは、バス然としてない。あれは気動車だ。 名鉄ローカルの2軸車は辛うじてレールバスの残滓が無いかな 一軸台車はあらゆる面で二軸台車よりも不利
だから名鉄は一軸をやめて二軸に替えた >>2と>>4は全く逆の感想を述べているのか
人それぞれだなあ >>6
名鉄キハ10は検査入場回送だけですが本線を走ったはずですが(内燃車は鳴海ではなく新川施工のはず)
自走なのかデキ牽引の無動かどっちだったのか気になります
ちなみに2軸車ではないキハ20と30は自走回送で新川まで自走晩年は舞木まで名古屋本線を自走で走ってました
一度回送の新名古屋通過のシーンを見ましたが違和感が凄かった印象です
もし2軸のキハ10が自走回送ならローカル線では有り得ない速度で走ったはずなのでさぞかし賑やかな走行音だったのかな? 2軸は乗り心地の改善にも限界がある。
今あんなのを普通に走らせたら乗客は逃げちゃうだろうな >>13 羽幌に富士重製で少しだけ(印象的には近似)南部縦貫に居た奴の兄貴が居たよ。
・・・元々は羽幌が客貨分離でキハ42000の成れの果ての客車を気動車として直すとき
一両では不足なので国鉄で持て余すレールバス キハ03?の払い下げを狙ったところ、却下され新造した(つまり安く増車したかったのだろう)
コチラは、やはりラッシュ時に収容力不足で早期にお役御免(恐らく路線廃止前に廃車) >>17 もしかしてら、羽幌でお役御免(国鉄キハ22タイプ等本格的車両増強後)になり南部縦貫が開業した頃には、雪国だし
絶命していたかとても、使えるような状態ではなかったのかも?
両車似かよった姿だが、生きた時代に微妙なズレがあったのかもしれない。 キハ01が重連するくらいなら初めから普通のディーゼル車買っておけば良い キハ01とキハ17の中間位のサイズの気動車が、最も使い勝手が良かったのでは?
断面はキハ17並みで車長17m、そんなサイズのものを旧国鉄が60年代に造ってたら >>20
かもね
もとより総括制御不可能だし多客時の輸送にコストだけかかるなんて
お笑い種にもならない 客が少なくてフル装備する程の投資価値が無いからこそレールバスを使うことにしたんじゃないの 実用化当初はメーカーからの積極的な売り込みもあって
鉄道事業者側が十分に検討しないままに購入を決めたケースもあるかも 実際に稼働させたのは国鉄以外では南部縦貫鉄道だけですよね?
メーカーの営業活動は効果が無かったということになるのかな。 羽幌炭鉱で使ってなかったか。
売り込みがまずいというよりも、私鉄でこの容積では経営が成り立たないからでしょ。
経営が成り立たない所が新車を頼むはずがない。
私鉄では最初から無理。
本家ドイツみたいにT車を二両牽けますとか、定員増にもっと配慮があれば。 あとは部品をバスと共通化することで調達コストを下げるとか 価格を引き下げるにしても限度があるよ
それよりもユーティリティーを高める方が食い付きは良くなる 北海道の簡易軌道で使ってたのはレールバスではないのかな >>29
鉄道部品とバス部品の寿命に顕著な違いが有り、保守に悩んだのが退潮の要因。
捨てるには惜しいし、使い続けるのは危険な場合も。 キハ54 500は台車と変速機を新調したけど、キハ31やキハ54 0はどうなることやら…おっと、その前にキハ32をどげんかせんと(ry いくら軽くても二軸では乗り心地もあったもんじゃないと
オールドファンの方から聞きました
おそらくキハ01アタりだと思います 母が高校時代木次線でレールバスに乗ったって言ってた現在79歳 気動車列車がキハ01やキハ03で運転されるような路線は並行する路線バスで
充分いけるだけの輸送量しかなく、とくにレールバスで充分見合う輸送量しかなかった
国鉄柚木線は水害で不通後、復旧させるほどの輸送量もないという理由でそのまま廃止となった >>39
そういう鉄ヲタ的な知識自慢なんてそこいらの書籍に載ってるからいらんわ
思い出を語ってくれ JR北海道のキハ130あたりが、安価軽量車の大きさ限度?
耐久性を持たすには、これ以上大きくしないと無理?
でもドイツのレールバスとかは、小さいだけで結して安い(バス部品流用では
ない?)造りではと訊いたが・・・。
性能面(牽引力とか)は、ともかく外板構造とかは? 実際に乗ったレールバスだと南縦に紀州、いすみ・わたらせ・真岡くらいか。
南縦は車体の大きさに見合わぬほど賑やかな走行音と揺れでしたな。今は鳥葬
状態の銚子の澪つくし号もあんな感じだったかもしれんね。チトスレ違いか。
初めて乗ったのは95年9月頭。たった一人で野辺地から七戸へ乗り通した。
車内放送など一切無いまま回送列車に便乗したような気分だった。まあ野辺地
駅で折り返しの間に唯一の客は七戸まで行くと伝えられてたでしょうし。
次は97年3月のこと、廃止発表のせいか座席がほぼ埋まる程度の客。相変わら
ずの揺れと音を感じながら往復。復路の終わりで下りコンテナ列車と併走する
もジリジリと引き離されたものです。
紀州も二軸だけど空気バネのせいか小舟のようなフワフワ感。保線は南縦より
良いのかも。あるいは温暖だから保線は南縦比でまだ楽なのかな。寒さや凍結
に晒されない分。南縦と違い運転本数は比較的多いから、沿線歩きもよいか。
いすみ・わたらせ・真岡は二軸より印象が薄いのでこれらの思い出は後日に。 >>41
一つのレスで何個も疑問出す前に自分で形式図なり文献調べて、
わかったことをここに書き込んでくれ 南部縦貫鉄道キハ101・102は病院の待合室みたいな黒ベンチが向かい合って並んでたな 南部縦貫は木の床だったがドア横に灰皿が有った
きっと喫煙マナーが良かったのだろう
客の命を考えたら消防が来て撤去指導も有り得た 当時は、ガソリンスタンドのような場所以外では禁煙って発想がないだろ。
分煙だってないわけだし。 ガソリンは気化して、そのガソリンが混じった空気が爆発しやすいんですよ。
重油は、そりゃタバコの火種を落とせば燃える可能性はあるだろうが、そういう状況を構造的に防ぐことは容易でしょう。 重油は火のついたタバコを落としても引火しないって聞いたことがあるような。
石油精製で一番底に沈むのがアスファルトでしょう?重油はそのすぐ上のカテゴリーの筈。 南部縦貫の車は軽すぎて、
例えば踏切でダンプとぶつかったら
先に吹っ飛ばされるのはレールバスだと聞いた
普通は車がヤられるよね 310 ◆Dq0510MAKI @無断転載は禁止 2017/04/03(月) 02:19:45.35 O
JKの時に下級生が一人暮らしのアパートに一人で泊まりに来た時に
部屋の蛍光灯を一番ちっこい電球にしておしゃべりしてた
その時私はすくっと立ち上がったのだ
あとずさりする(なんでかな?)後輩
でこっからがAVと違うんだけど
私<お腹すいてない?カップラーメンでも食べる?
と言って蛍光灯を全灯にした思い出
現実ってそんなもんよ
http://hanabi.2ch.net/test/read.cgi/morningcoffee/1489821920/177 >>54
レールの錆で踏切が反応しないのも軸重の軽さ故
だからレール踏面に針金溶接してあった 軽さは、レールバス導入のきっかけの一つだよ
踏切検知に引っ掛からないとか、衝突に弱いなどの課題は
運用の中で少しずつ改善されてゆくはずだったが、時代は待ってくれなかった クルマの便利さには100年かかっても勝てないだろうな 名鉄三河線刈谷駅でレールバスが来た時の、乗客の間に漂うコレジャナイ感は半端なかったw 記憶があいまいだが電化廃止のときに名鉄は
これでコストが節約できて鉄路の維持という
地元との約束が果たせる云々と言ってたと思うが
その舌の根も乾かない(といっても約20年経ってたが)一部廃止してしまった 20年も延命できたのに、責めるのはおかしくないか? 三河線の出入庫が出現したのはポンコツHLばかりの時代だから、
確実に冷房車に乗れるのはありがたかった キンテツも八日市〜貴生川の合理化で名鉄同様レールバス導入したけど
大年の国鉄同様、使い勝手の悪さに10年ほどで運用停止
結局、電車運用に戻ってしまった
この一連の設備投資って資金の出何処は? >>63
LEの出入庫は、2両のうち少なくとも1両は冷房車
アレが出た90年夏は猛暑だったから、有り難さが身にしみた キハ10で非冷房だったのは広見・八百津線のだけだったかな >>66
だから、1編成に「確実に」冷房車がつながってやってくる、ってことでしょ? LEcarではないが、LE-DCである、のと鉄道のNT100。99年の夏、猛暑時に乗ったとき、冷房が利いてなかった。容量が足りないのか?
LEcarも冷房の利きは今一つだったのか? >>69
軽気動車はクーラーが機関直結式なのが影響してるのかな? >>67
初めて西中金に行った時、暖房車12+冷房車21だった
猿投と新可児の車両が入れ替わることもあったが、検査の都合か?
そういえば、その頃まで瀬戸電も半分冷房だったなぁ
当然乗車率が偏ったが、着席より冷房を選んだ
冷房のあるなしで一喜一憂したのも、もはや昔話か 冷暖房にはそんなにこだわらなかったが走行音には興味津々で
何度かラジカセを持ち込んでアナログ録音にチャレンジしたこともあったなあ 録り鉄ね
ボギー車は平凡過ぎてパス
単車ならではのサウンドを求めて西へ東へ・・ >>67
八百津線で記念乗車したが八百津から明智まで一切途中乗降なしで
図らずも一人貸切状態を楽しむことができた
良い思い出だが半面この路線の行く末を暗示してるようで不安も抱いた
そして十数年後不安は現実のものに・・ 鉄道趣味的には大手私鉄の支線よりも転換三セク線にDCが入った方が
価値があると思われたのでは? >>75
十数年もよく持ち堪えたとみるべき
さすが大手だ 名鉄でいうと最初のキハ10は一軸ボギーなのでバスと言えなくないが
後継車は二軸ボギーとなったが、もはやバスでない >>79
悪口のつもりではないが初代レールバスは外板がうすっぺらくて風の強い日にはベコベコしてる音をたてていた >>80
一軸のボギー台車装備の車両ってことだけど
これって説明必要か? >>81
それはいくらなんでも大袈裟よ
話を盛らないでね 南部縦貫のような60年代のやつか、三セク私鉄が相次いで採り入れた80年代のやつか
どちらが人気? ハイモ180はもとからクロスシートだったのですか。 南部縦貫が人気なのはやはり見た目がバスだからだろうな 南部縦貫はもっと人気出てたはず
宣伝が上手くなかった
惜しい >>98 東京から遠い。沿線人口も少ないし。
銚子は東京から日帰りでも行けるし、漁港や灯台など観光ポイントもある。そのついでに電車乗る。
南部の方は沿線に観光ポイントが少ない。 そうだな
レールバスだけでは観光客を引っ張って来れないな
鉄道に馴染んで高単価が期待できるアトラクションって何があるんだろ >>94
三セクが80年代に買ったレールバスは見た目が電車っぽくて人気がでなかった 阿佐海岸鉄道のDMVは運行が延び延びになっている。
耐久性に乏しいし海に近い路線だから傷みも激しそう。
走り出す前にケチをつけるのは心苦しいが、
レールバスの芳しくなかった原因をクリアしているとは思えない。
しかし今どき単端が誕生したことは結果がどうであれ応援したい。 >>105
見た目が電車ぽいから人気出ないなんて説は初めて聞いた >>106
10年後には普通のバスに置き換えられてBRTになってるかもしれない コストカットとはいえ前後1軸ずつというのは行き過ぎ 現役の国鉄キハ01に乗ってみたかった
南部縦貫は辛うじて間に合った世代 >>92
樽見のハイモ180は、1両がセミクロス、2両が全ロング
新製から廃車まで変わらず 樽見鉄道にはクロス車が1両だけ有るけれど
それに途中駅から乗ったとき、クロス部分には誰も座っていないという謎の現象を見た。
そして堂々とクロス席に着席 飛び跳ねたレールバス
飛び跳ねる現行の電車
近江鉄道 >>118
元西武の電車で飛び跳ねるって相当線路がぐにゃぐにゃなんだな 直線主体で線形は良いが、軌道の状態がアレなのが近江
まぁ、存続させるのが第一で、それ以上は構ってられないしな
既に補助金ズブズブ、ココに限った話ではないが
>>119の代わり?にびわこ京阪奈線構想がありフリーきっぷも売ってるが、
完全に妄想の領域 >>118
LE(ライトエコノミー)カーが軽量すぎて遮断機が降りず
踏切に突っ込んだ車がアレしたからな
一時停止せず踏切に入った車が悪いって事で近鉄の責任事故じゃないようだが
死人に口なしで真相はわからん 何のために一旦停止して窓を開けて左右確認しなきゃならんのかということ 教習所ではそう習うね、
諸外国では遮断機付きの踏み切りはそのまま通過がデフォだけど。
日本の踏み切り用信号機があるところと同じ。 別にご本家争いする気はないが
やっぱりレールバスの呼称は、南部縦貫しかないのではないかな >>125
元祖はアメリカだし
国内でも国鉄が先
南部縦貫のキハ101、102の同型車が羽幌炭礦鉄道にもいてそっちの方が少し古い >>129
大発展したのはドイツだね
アメリカはこの手のが活躍しそうな路線は早期に廃線になっちゃったから 阿佐東線、普通のレールバスという選択肢をあえて捨てた路線 >>127
南部縦貫と羽幌炭鉱は同系の車を使ったがレールバスとして定着したのは南部。
やはり長生きした方が得ね 字が違います。羽幌炭礦 天塩炭礦(石ヘンが正しい) 羽幌は石炭が駄目になったから仕方ない
南部縦貫もむつ製鉄事業を当てにしていたというから危ういといえば危うかったが
よく1990年代末まで持ちこたえた 羽幌はむしろレールバス入れたけど客多すぎてキハ22入れたからな 南部縦貫が増備に国鉄キハ10を入れたのはキャパを懸念したから?
それとももうレールバスを買えなかったから? キハ10が来たときのガッカリ感たるや筆舌に尽くしがたい >>134-135
羽幌炭礦は収支係数が50台の時期もあったという程の盛況 南部縦貫、国鉄キハ10であるキハ104が来る前に居たキハ103が
まともな気動車なんだけど長さはレールバス程度で可愛らしい ミャンマー行けば日本で走ってたバス型レールバスが現存するらしい
(稼働はしてないらしい) 調子が良かったのはキハ101で
キハ102はミッションがイカレてたな 今一番レールバスっぽいのは阿佐海岸鉄道のDMVかな? ここまで大阪市営バスを改造した山鹿温泉鉄道なし
北海道の簡易軌道にも自走客車より前に同様のモノがあったらしい 大正時代に磐城炭礦軌道が東京の円太郎バスを改造した気動車を五両走らせているけど、
世界的に見ても相当古いと思うよ。
都電で戦時中にバスの後ろ半分を二両繋げた車両を親子電車の付随車として、
試作したらしいけど不具合で使われなかったみたいだ。
改造方法は山鹿キハ102に似ているね。 山鹿は聞くも涙、語るも涙
なぜ災いが何度も降り掛かるのか
昭和20年代の仙台鉄道にも言える 買ったのは良いが使える代物じゃなかったのか
使おうと思った矢先に災害に遭って不通期間が長かったのか
いずれにせよ売られた車両は不運だな 被災する前は立派な新車を発注までしていたから
有田に引き取られたやつ 路線バス用では大して運べなかったでしょ
キャパが小さいと波動輸送に耐えられない レールバスの利点を考えたら客をたくさん運ぶという発想は出て来ないはずなんだが
どこでボタンを掛け違えたのか ボタンを掛け違える時は一つ目から違ってる
とじっちゃが言ってた いま本物の路線バスで車齢30年越えがあちこちに出てきて、苦境の地方バスとはいえ以前じゃとても考えられな
かった。 そう言えば第一世代?LE-CarⅡ(最初に樽見とかに入ったやつ)って何年くらい稼働してたんだろう?