思い出のレールバス [無断転載禁止]©2ch.net
会社や時代を問わず、思い出のレールバスを語るスレだぜ。 羽幌はむしろレールバス入れたけど客多すぎてキハ22入れたからな 南部縦貫が増備に国鉄キハ10を入れたのはキャパを懸念したから?
それとももうレールバスを買えなかったから? キハ10が来たときのガッカリ感たるや筆舌に尽くしがたい >>134-135
羽幌炭礦は収支係数が50台の時期もあったという程の盛況 南部縦貫、国鉄キハ10であるキハ104が来る前に居たキハ103が
まともな気動車なんだけど長さはレールバス程度で可愛らしい ミャンマー行けば日本で走ってたバス型レールバスが現存するらしい
(稼働はしてないらしい) 調子が良かったのはキハ101で
キハ102はミッションがイカレてたな 今一番レールバスっぽいのは阿佐海岸鉄道のDMVかな? ここまで大阪市営バスを改造した山鹿温泉鉄道なし
北海道の簡易軌道にも自走客車より前に同様のモノがあったらしい 大正時代に磐城炭礦軌道が東京の円太郎バスを改造した気動車を五両走らせているけど、
世界的に見ても相当古いと思うよ。
都電で戦時中にバスの後ろ半分を二両繋げた車両を親子電車の付随車として、
試作したらしいけど不具合で使われなかったみたいだ。
改造方法は山鹿キハ102に似ているね。 山鹿は聞くも涙、語るも涙
なぜ災いが何度も降り掛かるのか
昭和20年代の仙台鉄道にも言える 買ったのは良いが使える代物じゃなかったのか
使おうと思った矢先に災害に遭って不通期間が長かったのか
いずれにせよ売られた車両は不運だな 被災する前は立派な新車を発注までしていたから
有田に引き取られたやつ 路線バス用では大して運べなかったでしょ
キャパが小さいと波動輸送に耐えられない レールバスの利点を考えたら客をたくさん運ぶという発想は出て来ないはずなんだが
どこでボタンを掛け違えたのか ボタンを掛け違える時は一つ目から違ってる
とじっちゃが言ってた いま本物の路線バスで車齢30年越えがあちこちに出てきて、苦境の地方バスとはいえ以前じゃとても考えられな
かった。 そう言えば第一世代?LE-CarⅡ(最初に樽見とかに入ったやつ)って何年くらい稼働してたんだろう? 樽見は3〜4年後に大型が入り、2軸車は早々と予備車に
名鉄は約10年で除籍 キハ01の第一陣は早くも昭和35年に旧車、その他も38年頃までに使わなくなったものが多く
最後は松浦線とか特殊な所で細々使うだけ。
第二世代のレールバスも、安物短寿命を繰り返してしまったな >>160
二軸車のジョイント音、今となっては懐かしいね アメリカ名物のこれ、動態保存されてるのか
レールバスというにはかなり大型だ(ゲージは914mm)
https://www.youtube.com/watch?v=4BQv8ZOfM7M >>163根室拓殖鉄道キハ3はこれをモデルにしたのか