懐かしの山手線
ウグイス色の103系やステンレス車体に黄緑帯の205系が走っていた時代の山手線を懐かしむスレです。
もちろんその前後の時代の話題も歓迎です。 >>56
顔写真に大学名と名前入りでな。
「たかだのばばー」の「ばばー」の部分が妙に元気よかった記憶がある。 >>59
「たかたのばば」と言う人もおらんようになった TBSラジオで東京コンタクトレンズのCM聴いてて、進学で上京した時に
高田馬場駅前の東京コンタクトレンズで作ってもらった。 >>59-60
肉声放送で平成初頭くらいまでは
車掌に居たね。
あと、前にもどっかに書いたが、
「しぶや」のアクセントが「し」の人もまだ居た。
江戸式ではヒ→シに転訛するから
「ひびや」と「しぶや」がややこしくならないために
アクセントで発音し分けていた名残。 実際1972年頃なんて「やまのてせんです」なんて訂正すれば
「こまかい人だなー」と言われるほど「やまてせん」で通用していた。
友達と論争になって真偽を確かめに立川駅へ行ったら
事務室に入れてくれて,正しくは「やまのてせん」で,
しかもその区間が品川〜田端で,実は東北本線の起点は
上野でなく東京で,高崎線は大宮で,京浜東北線なんて
ものは存在せず・・・などという講釈を受けて
次の小遣いではじめて「時刻表」なるものを購入し,
本格的な(?)マニアになっていったと思う。 >>64
そんなもんやまのてせんに名称統一されたのが前年だもん
そういう対応で普通
夏休みにでも立川まで行ったのかな 日本初と言われた大規模地下駐車場が今もあれば、都心での本格的P&Rになってたのにな >>49 >>56 >>58
83〜84年ごろかな?
渋谷駅の新宿方面のホームで
「お下がりください、電車がまいります」
「しぶぅ〜やぁ〜、しぶぅ〜やぁ〜です」と
アナウンスしてた髪の長いおねえさんがいた記憶がある。
もし当時の雑誌を持ってたら、
クレクレですまんがうpお願いします。 103系のつり革、最終モハユニットを除いてレール面と平行な部分は
オムスビ形状のモノしかなかったが、握り部分を90度捻ったタイプが存在していた。 昔103系トップナンバー編成乗ってて、車内も変色が進んでたのでボロイなぁと
高運車が出始めた頃に思ってたら、最近まで現役だった・・・・orz >>48
使ってないほうの線路はその時間帯遊ばせてたんですか? >>71
遊ばせてたり、この区間は深夜工事ができないので昼間にやってたって何かで読んだ。 >>70
電動車の901ユニットは川越に移っても鋼板ドアに木綿網棚だった。 >>70
両端高運はこんなだったからね
クハ103-738
モハ102-14
モハ103-14
サハ103-14
モハ102-1
モハ103-1
サハ103-13
モハ102-13
モハ103-13
クハ103-725 人それぞれだね。
オレは精悍な顔つきに見えて好感度大だったよ。
高運車が登場してからは他線で見る低運車の顔が締まりなく見えて仕方なかった。 何で高運転台車は正面の窓ガラスの下に直線の金属が入っていたのか? >>17
島田●助が東海道線で披露してた
出来る人は多い 正面窓の形状が通常車と高運車とではかなり違うから遠目でも判別できるね
むしろあの金属帯こそ細過ぎて遠目では分かり難い>>84 >>83
東海の須田さんの回顧録だったかに書いてあった。
高運転台化した103系のデザインを見てあまりのブサイク顔に愕然としたが、保安装置を搭載する以上仕方の無い事。
せめて何かしてやれないかと車両設計担当らと考えてあの金属飾りを入れたそうだ。
つまりデザイン上のアクセント。 好みの問題だと思う
湘南顔だってブサに感じる人もいたと言うし。 田端駅だったかなあ
売店の庇に「ホモ牛乳」という看板みたいなのが掲げられていた
まだ牛乳もジュースも瓶入りで普通に売られていた時代 >>94
すまん、所詮人間の記憶なので他線にもあったかも知れん >>93
新大久保駅だったらネタとして成立してたのにな
惜しいw 田端は駅前の「ライスカレエあります」の食堂だろ
お品書きには、カレエ、ハンバアグ、サンドイチW
店はいつ頃まであったのかなあ 昭和55年ごろまでなら駅前から少し脇道にそれると舗装されてない路地が
普通に見かけられたよね
これでも東京23区内なのかと。寧ろ郊外の方が駅周辺の整備が早く進んでいたのかも 田端は貨物駅の印象が強いな
それとあみ印の炒飯かなw スカパーのファミリー劇場でウルトラクイズの83年大会放送してるが、ガキ当時に見てた時に尿管結石でリタイアした参加者いたの強い印象あって、今でもこれだけ覚えてたんだが、国鉄マン山手線運転士金子さんだった
福留アナに、山手線の運転飽きるでしょう?っていじられたら、運転中京浜東北線見るとあっち運転したいなぁ、って言ってたなw >>103系
それは面白い
でも、国鉄職員がどうやってウルトラクイズに出るくらいの休み取ったんだろ? あのクイズに出てる人と言えば大学生か、公務員かのどっちかだったじゃん
国鉄職員も公務員みたいなもんだろ 休職願、だろうがそんな理由で通るかは知らん
夜のホテルのシーン流れて離脱の人ウテシだったか、折角のチャンス悔しいな 国鉄池袋駅はホームが2面4線しかなかったような気がする。
山手線がぐるぐる走ってた。
それから赤羽線が山手線外回りと同一ホームで乗り換えできた。 >>107
山手が2番・3番、赤羽線が4番、1番は始発ホームだった
で、隣の東上線は5番から始まってた。 今の3番線4番線が出来て(当時は1番線、2番線)から今のホームの使い方になるまで21年かかってんのね 東上線ユーザーだった子供のころは、黄色い103を見ると「わー池袋についたー」と実感していたものだった。
埼京線が開通してなんかがっかりした。 >>103
同じようなネタはアタック25でもあった
ただ自分の見たときは、今は亡き司会の児玉清さんから問いかけられたウテシさん、
「飽きません!」とキッパリ。
児玉さんは苦笑してたっけw 山手線の駅には日通があったところが多かった。学生時代やたら日通でバイトしたもんだ
池袋、板橋、目白、渋谷、目黒、私鉄だけど西武の練馬・・・ この頃の車で、営団ほどじゃないけどドアの窓がちょっと小さいのあったよな
東上線のドア窓は外が余裕で見れたのに、山手線は丁度窓の下縁と目の高さが一緒くらいで、下が見えなかった記憶がある 丸い緑は山手線 真ん中通るは中央線
新宿西口駅の前 カメラはヨドバシカメラ
黎明期からもヨドバシカメラ新宿西口店の電話番号は変わっていませんね。 まあ市内局番が桁増えてるから変わってるっちゃあ変わってるんだけどな 田端のライスカレエの店、この前のTBSのチュートリアル徳井司会の料理番組で
紹介されてたな 代ゼミ総本山のおひざ元、代々木駅
その代ゼミがもはや風前の灯・・・
大学全入時代ともなれば当然か 85年、205が登場して間もない頃、
モハ205-28の車号の隣にタバコの煤で「ク」って書いてあったの覚えてる?
よく見たら隣の204-28もクモハにされてた(笑) 大学入試が時事ニュースのトップに来る時代
予備校が文化の発信拠点なんて言われたな
代ゼミは別名代々木ゼニトール。月謝も決して安くないし、
浪人までして大学受験しようとは一度も考えなかった 田町駅東口(芝浦)の赤ちょうちん(居酒屋)のもつ煮込みは絶品だったな・・・懐かしい!! 84年1月開始のTBS金曜22時ドラマ「無邪気な関係」
タイトルで黄緑一色の山手線、バックにTHE ALFEEの「星空のディスタンス」
あれは田舎の子にはたまらなく憧れの映像でねえ(笑) 6chの金曜夜10時といえば一時期だけニュース番組になってた以外は70年代からずっとドラマ枠が続いてるのが凄い
フジの月9よりも歴史は長い 山手線205系が懐かしなんて狂ってるだろ?この前東海道線で試運転
やったばかりなんだよ。
高運の103だってさよならヘッドマークこの前やったばかりだ。
低運の103あたり少し懐かしいのは認める。併走する京浜東北は未だに
中間に低運クハ挟まったりしててプププだ。
本格的に懐かしい山手線、は総武線色の101だ。異論は認めない。 >>140 103系で試験的に冷房つけたのが1972年、前照灯をシールドビーム2個にした冷房車が73年、そして高運転台化したATC付きが74年に出たんだっけ。
73年と74年登場のは、いずれも池袋電車区に停まっているのを東上線の車内から見て新型車だと興奮しお袋から騒ぐなとたしなめられた。 >>139 並走する京浜東北線のブルーの101ってのは結構懐かしい部類か? うむ、ナウなヤングな自分には縁のなかった京浜東北101系は懐かしいと認めよう。
剥き出し2本のクハのジャンパ線がアバタのようでキモ格好いいではないか。
雰囲気的には低運103と大して変わらないから中間でしか見れなかったが
言え低運103でだいたいイメージは湧く。行き先方向幕が大磯とかなってて
乙な物よ。 まあなんというか通勤車両カーストみたいなのがあって、
モーストシティーボーイのための山手線はまだ新車の匂いのする103系2000番台
などが入っていて、ドアのゴムも真っ黒黒で柔らかくて、同じく高運103が入ってはいるものの、古臭い低運の交ざる京浜東北とは、一緒にしないでと言う
プライドが感じられる。 通勤車両カーストは即ちそれを利用する乗客のカーストでもあって、
最も容易な見分け方は、側面の窓の縁。ここが鉄板をはめ込んで四角く
なってるのが高いカースト。逆にここが丸くなってると低いカースト。
四角いのしかないのが最もカーストが高く、丸いのが交ざる程カーストが
低くなり、最後は丸いのしかなくなる。これは103系だけでなく、
113系あたりも同じ事が言える。このカーストによって低運出没率や
非冷房化率も上がる。 >>141
低運ブタ鼻新製冷房車は関東には無かったのでは?
クハの268だか269番以降がATC準備車として投入されたけど、中間車はレボ無しだらけだったくらいだし。 >>145
山手線も最初の投入路線の一つだよ。
程なくATC対応高運転台車と差し替えられて、関西に転出した。
名目は関西の新性能化というよくあるパターン。
先頭車のみ見た目冷房車というのは、過渡期に見られた。
中間車が非対応だと、冷房を稼働させようがないんだよね。 おしん!! 小さな頃のおしんが山形で育っていた頃は、百姓、とりわけ小作人のの生活はまだまだ江戸時代に毛の生えたような貧しく惨めなものだった。汽車だって徒歩や馬で何時間も歩いて乗りに行くような、滅多に見れない乗れないもの
だった。汽車の本数も1時間に一本あればいい方。そんな一方で山手線は既に数分ヘッドで環状運転していた!!周辺では銀座線丸ノ内線は開通していて、土人と都会人の身分格差、文化格差、娘実売の困窮民と富める都市生活者の経済格差は
凄まじかった。時刻表を見るとこの時代の農村は寂しすぎて生きていける気がしない。山手線のページを見ると本数が今とあまり変わらんのにほっとする。 おしん!! 小さな頃のおしんが山形で育っていた頃は、百姓、とりわけ小作人のの生活はまだまだ江戸時代に毛の生えたような貧しく惨めなものだった。汽車だって徒歩や馬で何時間も歩いて乗りに行くような、滅多に見れない乗れないもの
だった。汽車の本数も1時間に一本あればいい方。そんな一方で山手線は既に数分ヘッドで環状運転していた!!周辺では銀座線丸ノ内線は開通していて、土人と都会人の身分格差、文化格差、娘実売の困窮民と富める都市生活者の経済格差は
凄まじかった。時刻表を見るとこの時代の農村は寂しすぎて生きていける気がしない。山手線のページを見ると本数が今とあまり変わらんのにほっとする。 >>147
おしんは1901年(明治34年)生まれの設定
山手線の環状運転化は1925年(大正14年)
銀座線の前身東京地下鉄道浅草-上野間開業が1927年(昭和2年)
丸ノ内線池袋-御茶ノ水間開業が1954年(昭和29年) 電車で同じ女子高生に複数回わいせつか
6/24(水) 15:37配信日テレ
JR山手線の電車内で女子高校生にわいせつな行為をしたとして45歳の男が逮捕されました。
男は同じ女子高校生を狙って複数回犯行に及んでいたとみられます。
強制わいせつの疑いで逮捕されたのは、自動車メーカー関連会社社員の倉富昭敏容疑者です。
警視庁によりますと、倉富容疑者は去年10月、JR山手線内回りの電車内で当時高校1年の女子高校生にわいせつな行為をした疑いがもたれています。
倉富容疑者は、この日仕事が休みでしたが、わざわざ朝の混雑する時間帯の電車に乗って犯行に及んでいたということです。
女子高校生は「去年10月から9回くらいされた」と警視庁に説明していて、
調べに対し、倉富容疑者は「複数回やりました」「かわいかったからやった」などと容疑を認めているということです。
https://headlines.yahoo.co.jp/videonews/nnn?a=20200624-00000327-nnn-soci