懐かしの山手線
山手線の駅には日通があったところが多かった。学生時代やたら日通でバイトしたもんだ
池袋、板橋、目白、渋谷、目黒、私鉄だけど西武の練馬・・・ この頃の車で、営団ほどじゃないけどドアの窓がちょっと小さいのあったよな
東上線のドア窓は外が余裕で見れたのに、山手線は丁度窓の下縁と目の高さが一緒くらいで、下が見えなかった記憶がある 丸い緑は山手線 真ん中通るは中央線
新宿西口駅の前 カメラはヨドバシカメラ
黎明期からもヨドバシカメラ新宿西口店の電話番号は変わっていませんね。 まあ市内局番が桁増えてるから変わってるっちゃあ変わってるんだけどな 田端のライスカレエの店、この前のTBSのチュートリアル徳井司会の料理番組で
紹介されてたな 代ゼミ総本山のおひざ元、代々木駅
その代ゼミがもはや風前の灯・・・
大学全入時代ともなれば当然か 85年、205が登場して間もない頃、
モハ205-28の車号の隣にタバコの煤で「ク」って書いてあったの覚えてる?
よく見たら隣の204-28もクモハにされてた(笑) 大学入試が時事ニュースのトップに来る時代
予備校が文化の発信拠点なんて言われたな
代ゼミは別名代々木ゼニトール。月謝も決して安くないし、
浪人までして大学受験しようとは一度も考えなかった 田町駅東口(芝浦)の赤ちょうちん(居酒屋)のもつ煮込みは絶品だったな・・・懐かしい!! 84年1月開始のTBS金曜22時ドラマ「無邪気な関係」
タイトルで黄緑一色の山手線、バックにTHE ALFEEの「星空のディスタンス」
あれは田舎の子にはたまらなく憧れの映像でねえ(笑) 6chの金曜夜10時といえば一時期だけニュース番組になってた以外は70年代からずっとドラマ枠が続いてるのが凄い
フジの月9よりも歴史は長い 山手線205系が懐かしなんて狂ってるだろ?この前東海道線で試運転
やったばかりなんだよ。
高運の103だってさよならヘッドマークこの前やったばかりだ。
低運の103あたり少し懐かしいのは認める。併走する京浜東北は未だに
中間に低運クハ挟まったりしててプププだ。
本格的に懐かしい山手線、は総武線色の101だ。異論は認めない。 >>140 103系で試験的に冷房つけたのが1972年、前照灯をシールドビーム2個にした冷房車が73年、そして高運転台化したATC付きが74年に出たんだっけ。
73年と74年登場のは、いずれも池袋電車区に停まっているのを東上線の車内から見て新型車だと興奮しお袋から騒ぐなとたしなめられた。 >>139 並走する京浜東北線のブルーの101ってのは結構懐かしい部類か? うむ、ナウなヤングな自分には縁のなかった京浜東北101系は懐かしいと認めよう。
剥き出し2本のクハのジャンパ線がアバタのようでキモ格好いいではないか。
雰囲気的には低運103と大して変わらないから中間でしか見れなかったが
言え低運103でだいたいイメージは湧く。行き先方向幕が大磯とかなってて
乙な物よ。 まあなんというか通勤車両カーストみたいなのがあって、
モーストシティーボーイのための山手線はまだ新車の匂いのする103系2000番台
などが入っていて、ドアのゴムも真っ黒黒で柔らかくて、同じく高運103が入ってはいるものの、古臭い低運の交ざる京浜東北とは、一緒にしないでと言う
プライドが感じられる。 通勤車両カーストは即ちそれを利用する乗客のカーストでもあって、
最も容易な見分け方は、側面の窓の縁。ここが鉄板をはめ込んで四角く
なってるのが高いカースト。逆にここが丸くなってると低いカースト。
四角いのしかないのが最もカーストが高く、丸いのが交ざる程カーストが
低くなり、最後は丸いのしかなくなる。これは103系だけでなく、
113系あたりも同じ事が言える。このカーストによって低運出没率や
非冷房化率も上がる。 >>141
低運ブタ鼻新製冷房車は関東には無かったのでは?
クハの268だか269番以降がATC準備車として投入されたけど、中間車はレボ無しだらけだったくらいだし。 >>145
山手線も最初の投入路線の一つだよ。
程なくATC対応高運転台車と差し替えられて、関西に転出した。
名目は関西の新性能化というよくあるパターン。
先頭車のみ見た目冷房車というのは、過渡期に見られた。
中間車が非対応だと、冷房を稼働させようがないんだよね。 おしん!! 小さな頃のおしんが山形で育っていた頃は、百姓、とりわけ小作人のの生活はまだまだ江戸時代に毛の生えたような貧しく惨めなものだった。汽車だって徒歩や馬で何時間も歩いて乗りに行くような、滅多に見れない乗れないもの
だった。汽車の本数も1時間に一本あればいい方。そんな一方で山手線は既に数分ヘッドで環状運転していた!!周辺では銀座線丸ノ内線は開通していて、土人と都会人の身分格差、文化格差、娘実売の困窮民と富める都市生活者の経済格差は
凄まじかった。時刻表を見るとこの時代の農村は寂しすぎて生きていける気がしない。山手線のページを見ると本数が今とあまり変わらんのにほっとする。 おしん!! 小さな頃のおしんが山形で育っていた頃は、百姓、とりわけ小作人のの生活はまだまだ江戸時代に毛の生えたような貧しく惨めなものだった。汽車だって徒歩や馬で何時間も歩いて乗りに行くような、滅多に見れない乗れないもの
だった。汽車の本数も1時間に一本あればいい方。そんな一方で山手線は既に数分ヘッドで環状運転していた!!周辺では銀座線丸ノ内線は開通していて、土人と都会人の身分格差、文化格差、娘実売の困窮民と富める都市生活者の経済格差は
凄まじかった。時刻表を見るとこの時代の農村は寂しすぎて生きていける気がしない。山手線のページを見ると本数が今とあまり変わらんのにほっとする。 >>147
おしんは1901年(明治34年)生まれの設定
山手線の環状運転化は1925年(大正14年)
銀座線の前身東京地下鉄道浅草-上野間開業が1927年(昭和2年)
丸ノ内線池袋-御茶ノ水間開業が1954年(昭和29年) 電車で同じ女子高生に複数回わいせつか
6/24(水) 15:37配信日テレ
JR山手線の電車内で女子高校生にわいせつな行為をしたとして45歳の男が逮捕されました。
男は同じ女子高校生を狙って複数回犯行に及んでいたとみられます。
強制わいせつの疑いで逮捕されたのは、自動車メーカー関連会社社員の倉富昭敏容疑者です。
警視庁によりますと、倉富容疑者は去年10月、JR山手線内回りの電車内で当時高校1年の女子高校生にわいせつな行為をした疑いがもたれています。
倉富容疑者は、この日仕事が休みでしたが、わざわざ朝の混雑する時間帯の電車に乗って犯行に及んでいたということです。
女子高校生は「去年10月から9回くらいされた」と警視庁に説明していて、
調べに対し、倉富容疑者は「複数回やりました」「かわいかったからやった」などと容疑を認めているということです。
https://headlines.yahoo.co.jp/videonews/nnn?a=20200624-00000327-nnn-soci >>148 本数は今とあまり変わらないにしても、昭和初期の17m3、4両位の編成から20m11両と大きく変化しているわなあ。
昭和30年代初めイエローカナリアの101系が山手線に導入された頃は8両編成だったっけ?
かつては山手線の一部だった赤羽線も101系6両だったが、埼京線となった今日とあまり本数は変わっていない。 駐留軍がいた占領時代に、
編成の先頭に車両半分の駐留軍専用車両。
白い帯が書かれていた。
占領が終わると白帯が青帯に塗り替えられて、
2等車に。
中央線でも。 >>153
その車両の車内はクロスシートだったの? >>154
ロングシートだったと思う。
座面が小柄な婆さまにも、
子供にも深かった記憶はある。 昔は座席に正座するばあちゃんを見かけたけど、最近見ないね 山手線にグリーン車を導入してくれ。
事前予約制でな。 >>157
それと反対向きに膝座りで窓の外を見る子供も >>159
愚図って拗ねてそんな後ろ向きに
座ってしまう幼児ならたまに見かける。
この前、JKが全開の窓を少し閉めようとして、
立ったままでは力が入らず、
窓に向かい膝で座席に座って手を伸ばし、
終わって窓枠の下に手をついた格好が、
「幼児が窓に向かって膝座りの姿」で、
両隣のクラスメートらしい女学生と顔を見合わせて、
「なんだか落ち着く・・・」・・・と笑っていた。
JKと幼児の姿が重なって微笑ましかった。 >>33
クーラーの箱があるだけで中身がないって電車があったよな
山手線じゃないかもだが >>161 冷房準備車ではないのか?屋根の大改造せずに簡単に冷房装置取り付けられるようにしたもの。 山手線の編成の中に、無蓋車を2、3台組み込んでくれ。
コロナに過敏な奴とか、観光要素とか、軽くなって加速が向上するとか
メリットあるだろう。
雨天時は傘でもさせ。 >>157
昭和55年頃から山手線ユーザーを続けてるが不運にも目撃体験無しです バブルの頃、車内放送でプロ野球の途中経過をアナウンスするサービスが山手線で始まったが思いの外不評ですぐ消えた記憶ある こんなサービス考えたヤツはクビになってもおかしくない >>161
山手線は記憶ないが東横線は屋根になんちゃってクーラー箱のある車が多かった
数年して実際に装着されたけど >>164
昭和40年代にはよくいたよ
大体上野〜池袋方面
渋谷〜東京方面は見たことない 山手線でクーラーといえば、
クハが冷房車でも、続くユニットが非冷房で、
冷房車であっても実は非冷房というのもあったなぁ
黄色の冷房車ステッカーを探して乗っていた記憶があるわ >>167
山手線周辺に球場あるからね
後楽園、神宮
少し離れれば、川崎、横浜か
川崎はパリーグで客数は…だったけど 地理的条件が良くても不評というなら
野球に関心無しか、嫌いな人が多かったということ? 当時の野球ファン人口がどの程度か知らんが明らかに場違い勘違いサービスだろ
なんかアベノマスクと同じ発想なんだよな >>171
ひどいのだと両端クハだけ冷房積んでいて、あとの8両が全部非冷房なんてのもあったな、山手線。
逆に中央線には、両端クハだけ非冷房で、あとの8両が全部冷房車(当然夏場には冷房も効く)なんてのもあった。
70年代〜80年代の首都圏の国電はいろいろカオスで面白かった。 >>177
中央線のやつは、おそらく冷房準備車だったのでは?
冷房の操作系機器が制御車にあるからね 提案だが、山手線に立食の食堂車を連結してはどうか。
忙しいビジネスマンにはウケるぞ。
あとラウンジカーな。サボリーマンにウケるぞ。
同様にグリーン車だ。昼寝に最高だ。 >>178
いや、冷房準備車ではなく、初期のクハ。
前照灯が白熱灯1灯のやつで、窓もユニット窓ではなかった。
車内もクーラーダクトはなく、普通の非冷房車の高い天井。
確か偶数側の先頭車がクハ103-140あたり。 >>180
それじゃ、どうやって冷房をコントロールしてたんだろう
配線だけやってたなんてことあるのかな? 山手線を相互乗り入れにする、山手線を一部地下化する
なんてことは夢のまた夢の話という感じで実現はしないだろうな。
ないだろうな、そういう話は。 山手線(電車線)は環状で完全に完結しているので、入り込む余地なし
山手貨物線を利用した相互乗り入れが実現している
山手線(電車線)の踏切は1箇所しかなく、それも数年後にはなくなる
ということで、夢というより、夢想だにしないでしょう >>180
それ、もしかして京浜東北線から転属した、
低運初期車冷房改造の3+7の編成じゃないの?
京浜東北線時代は、3両側が非冷房で、7両側が冷房車だった。 >>184
いや、10両固定で、東京方からTcMM'TMM'TMM'Tc'。
で、両端クハだけ非冷房で、中間8両が冷房車。
夏場は冷房車の冷房は稼働していた。
ちなみに、京浜東北線から中央線に転属してきた3+7連は10両すべて冷房車だった。 冷房の操作はどうするんだ?
非冷房車のTcに冷房操作機器ないだろ? Tcが非冷房車の場合、中間車が冷房車でも、冷房機器を動かせない。
113系や165系のサロなら、独立した回路を持っているのでこの限りではないが。 鶯色の103系が走っていた頃、貨物線をEF15がのんびりと単機回送し、新宿駅には181(161)系がたむろしていた。
高田馬場のBIGBOXの食堂の窓から、新大久保新宿方面の3複線(西武新宿線を含む)を俯瞰できた。
まだその頃は、こんなに速く時間が進むとは思っていなかった。 >>188
細かいことだけど、
中央東線特急(あずさ)に161系の投入実績はないよ
ヌード噴水がまだあるような気がしてしまう >>190
あずさの運転開始は1966年12月12日だけどその時には保留車のサロ151-6とサロ150-2以外の151系/161系は181系に改造済み クーラー付いてるのは良いが効きが悪くて汗がジトーっと 音はガーガー鳴ってるのに全然涼しくないw
あるあるあるある 103系時代から今にかけてクーラーも進化してるのかな コンプレッサ用のモータが変わってるくらいだろうな
もちろん冷媒は今のやつが使われてる 高田馬場を見ると同名のお笑いコンビを思い出す
高田くんと馬場くんが組んだので読みは「たかだばば」というからややこしいw 冬は冬で妙に埃っぽくてイヤだった
マスクつけるかマフラーで鼻付近を覆っていた記憶 走るパビリオン企画
テックトレイン'90
期間限定の高床103系の力走も楽しかった
ジオラマもあったし
もう一度あのような日が帰ってきてくれたら… 車内でカレー販売し社内で食えた「レールランチ」号なんてのもあったな。 >>204
今の視点で過去をぶった切るのは止めたほうがいい。
当時はそれがベストと判断されたのだから。 民営化間もなくなんでも新しいことをやってみようという機運があった 103系といえば磨り硝子みたいな汚れた窓
皮脂曇りだらけのつかみ棒。
いやぁ、よくぞここまで掃除を手抜きできるものかと 山手線2時間特集
真新しいことはなくて、鉄ヲタ的にも物足りなかった >>215
おれもそれ見た。
たしかに目新しい話しはなかったっちゃなかったが・・・
まぁまぁ面白くは、あった。
ただ「の」の字運転のことも出るかなと思ってたら、出てこなかったのが不満
あれは中央線がかぶってくるからやらなかったのかな
あと、東京駅の話をあんな詳しくやるんだったら、呉服橋駅のこともふれてほしかったものだ 池袋は完全スルーだったからなぁ
極力市街地は避けたという話が多かったけど、
田端や目黒にトンネルがあったこととかもやればよかったのに 山手線には鶯谷とか目白とかいう駅があるので、山手線(というか鉄道)とは関係無いが言いたいことを言わせていただく。
鮮やかな黄緑(薄緑)の鳥はメジロであって鶯ではない。鶯カラーと言えば少々燻んだ黄緑である。鮮やかな黄緑を鶯カラーと宣伝するのは納得いかない。 ウグイスパンのあんこはどう考えても山手線よりの色だよね >>211
子供の頃カアチャンと電車に乗ったら吊り革とポールには絶対手を触れるな!とよく怒られたものだ
まあ背が低いから吊り革には触れようがなかったがね 林修のニッポンドリル★山手線完結
呉服橋仮駅のことはやらなかったわ フラれた女をバカにて〜
電車も遅れて来るのかよ〜
見知らぬどうしが振り返る〜
渋谷の時計が10時だよ〜♬
By日吉ミミ フラれた女をバカにて〜
電車も遅れて来るのかよ〜
見知らぬどうしが振り返る〜
渋谷の時計が10時だよ〜♬
By日吉ミミ >>225
ドアに手を触れちゃイカンというのはよく聞いたが、吊り革とポールは初耳だな
何が危険なんだ >>231
田窓の205系の時代
ポールにガムの食べかすが引っ付けてあったらしくそれに気付かずに触ってしまった中年サラリーマンらしき男性が独りで怒り狂っていたことを思い出した
だからむやみに手を触れてはいけないのよ 最近はガムを噛んでる人を見かけなくなったね
野球選手ぐらいかな笑 小林旭の「恋の山手線」を知っているヒトはもう○さんだろうなぁ
ちなみに「山手線」の読みは「やまてせん」 進駐軍がyamateと振ったことからローマ字表記ではこれが使われたが、
公式のひらがな表記は「やまのて」を使っていたのでは?
1972年におこなわれたのは、やまのて/yamanoteへの統一だったような >>242
> 公式のひらがな表記は「やまのて」を使っていたのでは?
ではって妄想で言うなw 公式の読みはかつて一度も変更されたことはないということだよ >>244
だからそれがお前の妄想だろ
何を根拠に言ってんだよ? 変更されていないことの証明は悪魔の証明ですな
国鉄職員の間で使われていた通称などではなく、
公式に「やまて」に変更されていたという根拠をあなたが提示してください >>246
当時の口頭でのやり取りは全部「やまてせん」だったよ
駅の放送とか、駅員の案内とかもな そもそもひらがなとローマ字で読みが違うってとんでも論理あるわけねえだろ そもそも誰も証明しろなんて言ってない
何を根拠に言ってんだよと言ってるだけだ >>247
それは公式に「やまてせん」だった証拠になるの? 電車幕が「YAMATE」表記だった頃の
音声付きフィルム映像で
読みを確認すれば解決するのではと。
あと、こういうことは
ちがうと煽ってる側が検証するものだよ
論文を出した側が追試しないだろ?
それと同じ >>252
> ちがうと煽ってる側が検証するものだよ
つまり242が検証すべきなんだよ >>252
> 論文を出した側が追試しないだろ?
その論文には根拠の明示が必要ないとでも? まーるい緑の山手線 内回りが女性で、外回りが男性?
正しい読みは『やま……』 意外に大きな標高差
NIKKEI STYLE
https://www.nikkei.com/article/DGXMZO16566410Y7A510C1000000/ 「ある人生 新宿駅長」(1967/1/28放送)
https://www.youtube.com/watch?v=6L9DX9E6ie0
いくつかの場面にて職務中の現業員が
「山手」の語を発してるが
その全て「ヤマテ」と発音している。
この状況下において、旅客案内放送だけ
「ヤマノテ」とは考えにくいと思う。
ただ、肝心の旅客案内放送は聞き取れないため
そういう意味ではこの映像をもっても
まだ万全でない >>253-254
難癖すぎw
ともかく、発火しすぎてアンタは勘違いしてるようだが
俺はアンタ側なんだけど。よく読め >>257
難癖でも何でも無いだろ
お前が言ったとおりの指摘をそのまま具体的に当てはめただけだw もともと、下町に対する山手(やまのて)にちなんで「やまのてせん」が正式な読み方だったが、
國有鐵道線路名稱には読み方が明記されなかった。
終戦直後のローマ字併記のさいに、
内々で使われていた略称「ヤマテ」に影響されたか、図らずも「YAMATE」と誤記され、
このために、国鉄職員はもちろん、一般の利用者にも「やまてせん」を使用する人が増えた。
「他人事」を「ひとごと」ではなく「たにんごと」と読む人が多くなったのと同様に、
漢字をそのまま読んだ呼び方が普及するのは道理でやむを得ない部分はある。
ただ、正式名称「やまのてせん」が公式に変更されたわけではない。
後日、日本国有鉄道公示による線路名称変更に際し、根岸線の山手(やまて)駅との混同を避けるために、
読みの併記にあたって本来の正しい読みである「やまのてせん」が改めて確認され、「やまて」読みが排除された。
こんな感じだな。
ちなみに、戦後に全通した環状6号線「山手通り」は、
誤った読みの「やまてせん」の外側ということで、「やまてどおり」が正式名称。 >>259
> ただ、正式名称「やまのてせん」が公式に変更されたわけではない。
まだ言ってるよw >>240
自動車唱歌ならそらで歌えるが、その歌は題名知ってる程度 >>261
今時YouTubeでフツーに観られるよ
上のオフィスの可愛いコ(上野)
声はウグイス 谷渡り(鶯谷)
ニッポリ(ニッコリ)笑ったあのエクボ(日暮里)
タバタない(たまらない)なァ 好きだなぁ(田端)
「西日暮里」が無い、ってツッコミはナシね
…元は柳亭痴楽の「痴楽綴方教室」らしいがね 小学生の頃(1980年代初め)、駅ホームの時刻表に発車時刻ではなく時間帯を枠で囲んで
「2〜3分おき」(朝ラッシュ時)、「5〜8分おき」(日中)などと書かれていたのが大袈裟だけど衝撃的だった。
初電、終電近くは発車時刻が書かれていたと記憶しているが定かではない。
1990年代には詳細に時刻が記されていたが、
朝ラッシュ時は3〜4分程度の遅れだったなあ。
新宿駅でしばしば
「到着の外回り◯◯列車は3分の延発、発車37分10、通告は事務室より」みたいな業務放送を耳にした。
それは今でもなのかな。