ラッシュアワーの思い出©2ch.net
俺の父ちゃんは総武線の激混みの中で毎日揺られていたせいでカバンが変形したと言ってた。
父ちゃんみたいになりたくないから進学も就職も実家の近所に決めたぞ。 もろオネーサンのお尻に俺の股間が密着して逃げられなくて固くなってしまったあの時に戻りたい 連休かなんか知らんが新規にスレ立てすぎ
過疎板なんだから自重しろ フレックス制度採り入れればラッシュも緩和されるのにね
会社員から始めても良いし、学生から始めても良い。
一日の内のたった2時間のために車両の増備や複複線化なんて投資にしても割りに合わなさすぎる。 >>5
企業でフレックス制やってるところあるけど少数派だし、学校だともっと少ない。
こういうのはサマータイムなどと同じで、社会全体で取り組まないと効果が出ないんだよね。
しかも取り組みの恩恵を受けるのが私企業である鉄道会社となると、
行政がやる気にならないのも当然と言えば当然。 役所が手掛けて定着したのはクールビズだけだな
冬のウォームビズも世間に浸透したら着ぶくれラッシュが幾分は緩和されると思うがねー >>5
時差出勤はずっと前からPRされてましたが何か? オフィスを各地に分散させれば、ラッシュアワー緩和されるのでは?
立川やさいたま新都心といった業務中核都市や大学の郊外移転は、このような発想。 親戚が足立区に住んでいて一度ラッシュ時の光景を見物するために京都から出かけたっけね
梅田駅の改札制限どころの話じゃなかった。
これは莫大な工事費用かけてでもホーム改造する必要はあったと思う。 埼京線新宿開業後でも、新宿駅の山手線内回りでは、南口通路からホームに降りた所で綱を張って入場制限をしていたな。 >>13
ホームに人が溢れて線路に落ちかけるというから半端じゃないよね ラッシュ時は混雑だけでなく、時間が余計にかかるのが嫌だった。
20年あまり前、西武新宿線使ってたが、急行、準急も野方から中井付近までノロノロ運転
今、この区間の地下化が進められているが。 >>17
昔と比べ西武新宿線も空いてはきたな。
地下鉄乗り入れないのと、田無から先はほぼ各停だからかな? 頭端式ホームであれば先頭車が激混みで最後尾がガラガラていうのはままあること。
駅でちゃんと誘導すれば混雑は多少改善されるかも。 サテライトオフィスとか新都心に本社機能移転とかあったけど
経費節減で支店が閉鎖されて結局東京都心に集約されちゃった 時差定期の話はどこへ行った?
抵抗が大きかったし、混雑もマシになったが 激混みが当たり前だった時代には通勤客にも作法があったらしい
扉付近の客は開閉時には必ず一旦はホームに降りて通路を開く、
目的地が終点の客は極力扉間の空きスペースまで進入する、など
今は扉が開いても自分の立ち位置を微動だにせず流動を思いっきり妨げても
平然としてるヒトを見かけますね お姉さんのお尻に股間密着あったなあ…お姉さんも分かってただろうな。 車内に乗客を押し込む、いわゆる「押し屋」のバイトの経験ある方
いらっしゃいますか? あんな割に合わん仕事などバイトとは呼べないな
酷すぎる 阪神とか相鉄みたいに短い線区なら有り難みがないねw 割に合わないというのは労働時間が短いからだろ?>>29 今じゃ通対のバイトは就活の一環
助役の覚えめでたきゃ推薦状を書いて貰える >>35
そうだったのか
学生時代関東某大手で駅務のバイトしてたが
噂に過ぎないと思って信じてなかった 鉄道会社に入社しても鉄道に関われるかどうか分からんぞ
大企業なら色々なセクションがあるからな
最悪、一切本業に関われないままに
定年を迎えてしまう不運もあるかも知れない でもあのバイトって客に殴られたり蹴られたりすることもあったらしいぞ
満員で乗り切れずに押し屋に引き剥がされてホームでお見送りさせられた客が
ブチ切れてしまって腹いせにボカン!と一発お見舞いするって話。 女性客の場合は気を遣うこともあるのかな
ひとつ間違えたら痴漢扱いされかねない
女性専用車の設定は時代の要請だったかもしれない 殴られるとはあんまりな
バイトだったら辞めてもいいけど、社員だったら辞めるわけにいかんし、
配転願い出すしかないのかな >>42
昔バイト情報誌のCMにそんなのあったな
どさくさにまぎれておっ●い触る押し屋ってのw まだ冷房車が普及してなかった時代の夏のラッシュアワーは
不快この上ない環境だったのだろうなあ JR発足直後、自分が高校生の頃は都内の地下鉄は全て非冷房、
E電wも103系は編成中央が非冷房、私鉄も各駅停車は非冷房車が
多かった。京急に乗入れる都営浅草線の車両は急行運用なのに
非冷房、特急や快特より空いていたのがせめてもの救いだった。 >>43
駅員への暴力は、社会問題化してるようですね
「これも仕事だから」と個人がガマンして済むような話ではないと思います。 池袋で学生班やってた頃、
乗降で車高が15cmくらい変わるのがすげーと思った103系の思い出 古い書き込みにレスするのもアレだが
>>28>>29
やってたよ。掃除のバイトと時給は同じくらいだった。
>>30>>31
正職員や家族と違って乗り放題(管区内の縛りはあったらしい)は無かったけど、
仲の良い乗務員とスジ内の同乗はできた。でもたぶん、頼めば職員間の計らいで出入札できたのかも。
>>34>>36
登下校に合わせてくれて一日4〜6時間程度だったね。
基本は大学生がホーム、高校生は改札なんだけど、俺と友達は特例でホーム立ちだった。
>>35>>38
学校の教育実習と同じようなもんで、
希望すれば(勤務態度が良ければ)推薦状ももらえたみたいだし、
合格後の配属も縁故で優先的に引っ張ってくれたらしい。
>>40>>42>>43
あれは押すというより、腰の少し上を支えて乗車を補助するのがコツ。と、教えられた。
とはいっても女性はやはり気を使ったな。
童顔のガキに当たるほどの価値もないと思ったのか、励まされた事はあっても(笑)殴られた事無い。
>>46
そういや夏場は窓の上段を上げるのも降車待ち行事の一つだった。
まあ今じゃ問題になりそうな事も多々あったけど、国鉄時代ならではの話し。 >>50
15センチ?!
レールにはどれ程の重さがのし掛かってるか想像を絶するなあ 〉〉52
103系で体重60キロ300人詰め込んだとしても、60トン弱
D51は炭水車含めて125トン
後者で路盤持つのなら、超満員の電車はそれほどでもない >>50
まだ埼京線がなかった頃、
朝、赤羽線から山手線内回りへ乗換えるのは大変だったなあ。 TBSで15年くらい前に放送してたここがヘンだよ日本人で
朝ラッシュの押し屋の件がテーマになった時、
イタリアかスペインか南欧出身の留学生サンが、
混んでるのが分かってるのにどうしてわざわざ激混み電車に乗るのかと訝しがってた。
時間の概念が日本と違うから話が噛み合わん、とたけしがまとめてたのを思い出した