懐かしの臨海鉄道©2ch.net
>>87 成田空港への燃料輸送列車の見返りとして、地元自治体からの要望で旅客営業が行われた。
83年6月に東京湾岸からの燃料パイプラインが稼働し貨物輸送が終了した後は、大洗鹿島線の開通と引き換えに、この区間の旅客営業を終了したというわけで。
燃料輸送列車走ってた頃は、鹿島港から成田空港まで過激派の妨害阻止のため、警察が沿線を警戒していたんではないかな。
大赤字覚悟で旅客営業しなかったら、鹿島町などの自治体や沿線住民が過激派からの嫌がらせを恐れて、燃料輸送列車に反対していただろうし。 できたばかりの京成スカイライナー、初代AE車を相互車両基地で焼き討ちしたからな。
燃料輸送列車にしても、AEの二の舞になるような悪夢を沿線住民は感じていたというわけで。
燃料パイプラインににしてもお仲間通じて建設反対運動、千葉県の土地収用委員会の委員を襲撃して同委員会の機能を停止させる
千葉同労と結託して山猫スト、あれやこれやとやってたわけ。 >>88
何十両ものコキが連結されて整然と且つしずしずと走り抜ける姿に痺れるのさ >>93
青のDD13がどうもしっくり来なくてねえ
撮影スポットにタキ&コキを手兵に引き連れて登場し
いざシャッターチャンス到来でもボタンを押せずに見送ったこと数知れず 大阪にも臨港線があった
地下鉄と同名の「大阪港」駅もあった 1995年頃から空のコキが目立つようになって景気の悪化を身近に感じた >>96
地下鉄の方も海遊館ができるまではいかにも辺境の駅みたいな趣きで全然冴えなかったのよ >>97
確かに景気の悪化で物流の総ロットが小さくなったのはそうだが
トラック輸送が飛躍的に効率化してコストが下がったために
ニーズを奪われた方が原因としては大きい いくら効率化と言ってもトラック輸送に適さない物、公道を通って運ぶことがマズイ物は最後まで鉄道輸送として残る >>101
県が臨海鉄道にしたかっただけで実質は南海の四国連絡経路に過ぎない 臨海鉄道の定義が必要だ。
ひょっとしたら、東京臨海高速鉄道が一番大きな企業かもしれないw 臨海鉄道だからって塩害対策必須というわけでもなさそうだな。
東京湾岸の臨海線よりも、冬の季節風で海水が飛沫となって叩きつける東北、北海道の海岸沿いを走る路線、例えば日高線、の方が塩害厳しいからか。 >>103
県の開発で造った港湾施設にフェリーターミナルがあるんだよな
しかも一度移転までしてるし、少なくとも最盛期には旅客輸送のみ機能していた >>90
その輸送のためにだけにタキ40000を造ったんだよな
※タキ43000が新造不可となったフレームレス禁止の保安基準改定に伴う措置
成田の暫定輸送終了後は中途半端な大きさが仇となったし
派生形式タキ38000は、衰退期ゆえにタキ35000ほど普及しなかった
こちらは尺の問題で運用の制約があったし 全長が異なるいくつかのグループに分かれる。
タキ38は少数派の、淘汰されゆく荷扱い設備のほうの最終形式になった。 >>103
とうの昔に鉄道貨物が下火になってるのに造ってしもうた
一度走り始めると途中で止められない公共事業の弱点がもろに表れとる
この問題で県が誰か責任取ったか? >>111
下火になったとしても利用する荷主はいたはず
完全に悪ではないのだよ
とかく昨今は善悪二元論が幅を利かせ過ぎている 全然知らなかったけど秋田臨海会社解散しちまうのか・・・ コロナでもうなにもかも終わりよ
ヒトもモノも動かない いや動かせないもの! 1990年8月に水島臨海を一往復
まだ乗り鉄などという言葉はなかったが夏休みだけあって
明らかにそれと分かる同業者が何人もいた
カメラを提げてる人はいなかった >>126
ここ臨海鉄道のスレな
臨港鉄道のスレじゃないぞ 水島臨海はみずりん、らしい
ならば、鹿島臨海はかりん? 誰も乗らないのに
紛うことなき無駄遣いじゃないのか >>133
いつまでこだわってんだ
もうすぐ半世紀近くになるってのにw 水島臨海鉄道の起点から3番目までの駅はみな当初の位置より数百メートル起点側に移転している
また浦田駅は廃止された五軒屋駅が数百メートル終点側に移転して復活したようなもの
>>124
自分はその頃水島から倉敷に週一回通っていたが、既に白と青の水島色がメインだった >>135
こだわるってか、儲からないのに走らせる意義が興味深い。
ジェット燃料運搬の地元見返りに空気輸送路線の営業が定説だが
本当なん? TX乗れない鉄道に乗ってみた!★巨大製鉄所専用線!名古屋臨海鉄道 >>137
それは鹿島臨海じゃなくて鹿島鉄道(鉾田線)じゃないの?
くしくも、鹿島臨海も鉾田市を通っているが
早い段階で、両社が金出し合って、県や市を巻き込んで鉾田〜新鉾田を鉄道で接続してれば違う未来があったかもな >>141
ジェット燃料運搬の地元見返りに旅客営業していたのは鹿島臨海鉄道鹿島臨港線
鉾田全く関係ねえよ ともに港の街だから意外でも何でもないよ
札幌や旭川にあれば意外 河川にも港があったので海に面してなくても河川のある都市には臨港線が存在し得る >>139
その割にはあまり琵琶湖由来の売上はなかったらしい
せいぜい夏の水泳客臨時輸送で潤ったぐらい >>148
そもそも水泳場くらいしかないんだから仕方なくね? >>148
鮮魚輸送があったとは知らなかった
淡水魚は傷むのが速いから冷却対策など費用がかさみまったく採算が取れずに早々に撤退
他に沿線にこれといった特産品もなく
臨湖線ならではのエピソードもなし 川魚は調理法が少なくて人気低い
琵琶湖でよく獲れたのはワタカやモロコで、アユではない >>105
【臨海鉄道の定義】
主に臨海部(臨海工業地帯)にて国鉄※と連携した貨物輸送を目的として設立された地方鉄道
事業者(運営会社)は、国鉄※を筆頭株主とし沿線自治体や受益者の企業などが出資する第三セクター企業
※国鉄民営化後はJR貨物が継承
日本国有鉄道法施行令に基づく事業の一つで、国鉄の貨物輸送の一部を担うことが目的
国鉄線として建設するための煩雑な手続きを回避するためのスキーム
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%87%A8%E6%B5%B7%E9%89%84%E9%81%93 岡山県には2社あったが人気のあった岡山臨港があっさり消えてしまったのは意外
水島は今でこそ車両にも個性が出て来たがかつては国鉄キハのお下がりを色もそのまんま使っていて面白味がなかった 車両趣味としては水島より断然岡山
やはりグロ顔の流線型DCに尽きる