> 昭和54年の夏 列車は3〜4本/日しかなかった
> 乗り逃すと次の便は4時間後とか

あえて客が乗らない時間帯に列車を走らせて
利用度の低さをアピールして一刻も早く旅客営業撤退の根拠を作り上げたかった