懐かしの臨海鉄道©2ch.net
貨物営業主体であるがゆえに知名度はいま一つですが全国に散在する臨海鉄道の思い出スレです 鹿島臨海鉄道は大洗線でなしに鹿島臨港線の方がこのスレの対象だね? それでいうと紀州鉄道ではなく御坊臨港鉄道時代の話題がこのスレの対象だね? >>2
元々人が住んでない荒野につくった線だから客が少なくて
旅客営業に限れば大赤字ですぐに撤退した。
あの線は黒歴史と言えるかも。 あれはジェット燃料運搬の地元見返りだからね。
利益なんか端っから見込んでない、経費のようなものだ。 >>2
>>4
>>5
当時でも既に珍しくなっていたキハ10が走ってたんでしたっけ? >>6
そうだね。
色が塗り替えられて濃い赤に白帯を締めていた。 >>6
この時代、国鉄キハ10は南部縦貫、加悦、島原に買われてる。 >>3
スポンサーが変わった事情があるとはいえ、ローカルテイスト溢れる社名が変えられたのは残念だった。
紀州では範囲が広すぎて御坊の街にマッチしない。 >>5
田舎ではこういう話を方々で聞くね
ちょっと嫌な気持ちになる >>9
しかしあの会社が買い取ってくれなかったら
とっくの昔に消え去っててもおかしくなかったよね 金屋口にボロボロになった07形が放置されてたな。
紀鉄みたいな短小路線で使いこなせていたのかなと思う。 金屋口のキハ07??
有田鉄道と勘違いしてるんじゃないかな 三河線の新川港臨港線は、まさにマイナーな例だろう。
意外と遅くまで営業を続け、廃線跡となってからも線路は長く残っていた。
今では想像する事も難しい。 >>13
紀州鉄道には常磐炭鉱から来た機械式DCがあったが
これも張り上げ屋根でなかなかのイケメン。 >>14
有鉄つながりで言うと、先に廃止された藤並から海岸に至るまでの区間も海べりを走る区間があり
湯浅港までミカンや醤油を運ぶ貨物列車が走る臨海線の趣きがあったとのこと。
地元でお話を伺いました。 そんなのまでスレの範疇に含めたら趣旨がボヤけないか? 旅客営業してたから知名度ゼロってことでもなかろうに 福島臨海はその先にある小さな私鉄線が気になるw
別会社になったという事は採算立たずと思われてもいたんだろう。
あのような例は珍しいのではないか。
どうでもいいが福島臨界で変換すると臨界になるのは学習能力が賢すぎるせいか? >>19
んだな
単に海べりを走ってて貨物営業やってたら全部臨海線になっちまう >>8
鹿島だけは破格の安さで払い下げられた
政治的な配慮がここにも‥ 日本化成や太平洋セメントの取り扱いが有ったころの福島臨海
が懐かしいよ >>20
子供向け入門書(たとえばコロタン文庫「私鉄全百科」など)で貨物専用線は完全にスルーされていたのは
影響として大きいと思う。秋田臨海や福島臨海などはかなり後になってから存在を知った。 でも機関車大全集(みたいなタイトルだったと思う)にはちゃんと載ってたよ >>26
あれに出ていたのは鹿島、岡山、水島だけだった 朝夕しか走らなかったもので
地元でも知られてないという話を聞いた>岡山臨港 国際埠頭→昭和電工のトラ70000
突き当たりに完全防護服の人が立って居て、背の高いダンプから 漂白剤漬けの乾燥桜海老 臭のするゴミを棄てる度に、物凄い勢いで水を撒いて居た。
※塩素化合物の取り扱い規制により輸送そのものが廃止 >>30
利用者が減る一方だったので、ちょうど岡山市内の道路混雑が深刻化してきたのに乗じて
朝に増発して通勤通学客の新規開拓を図ったことはあったらしい。
1980年前後。 >>6
側面に「K.R.T.」のロゴがあった
キハ10に赤色は似合ってなかったがこのロゴだけは洗練性を感じた >>26
ケイブンシャの私鉄全線大百科には全国の臨海鉄道が紹介されていた。
勿論、貨物専用線や貨物専業となっていた越後交通も紹介されていたよ 臨海鉄道のDLといえばなぜか青地に白帯という出で立ちが多いね >>39
なんか理由でもあるのかね。塗料がやすいとか。 >>33
岡山芳泉高校の開校前後だからもう少し前、1975年頃じゃないかな >>40 国鉄のものと区別しやすいようにするためでは? >>11
Wikipediaの磐梯急行電鉄の項目読むとその考え変わるかも 紀州鉄道は東京の不動産会社が
鉄道の冠を利用して信用力をアップさせるために
買収したそうだ。
つまり御坊の田舎の赤字路線でも
広告費代わりと考えれば安いものっていうことらしい。 今はホテルも兼業してるね>紀鉄
大阪駅からは少し離れてるが安いので関西へ出かけた時はよく利用してる >>43
あのあと鶴屋産業が買い取らなかったらバブルで吹っ飛んだんだろうな。臨港鉄道とは名ばかりで港の埠頭や市場まで直結してないし。 >>45
少しどころか電車で一駅(地下鉄中津)離れてるよ >>46
そうそう。
御坊“臨港”鉄道とはいいながら、港とは離れていたんだね
大分交通から来た湘南型DCが走ってた時代に記念乗車して紀伊御坊近くの売店で
店番してたおじいちゃんと喋った時、この鉄道の使命は臨港輸送ではなくて
国鉄駅と市街地とを結ぶためと聞いて、そういうことだったのかと得心したのを思い出した 地方に行くと駅の近くのお店でその鉄道に関する思いがけない話を聞けたりする
旅の楽しみのひとつ 御坊臨海の自社線が湯浅港まであったのを知らん連中がドヤ顔で語っていて草 >>48
臨港の「港」って表現は
今の人が連想する狭義の「海に面した漁港」じゃないよ。
阪和貨物線(竜華-杉本町)も別名で臨港線だったし、
似たようなところで「浜」ってのも
海の浜辺だけじゃない
堂島浜という地名にもあるように川辺のことも浜と称する。
言語学的な歴史経緯も知らなければズレた解釈になってしまう >>45
紀鉄ホテル 俺もよく泊まった
すぐ近くに「黄色い壁の白壁美容外科」があった
関西ではテレビCMで有名だったらしい 鉄道趣味的には岡山臨港が一番面白かったかな
逆に面白みに欠けたのがお隣の水島臨海 昔、門司港から外浜に行く臨港線。
セメントクリンカー輸送貨物列車がほとんどであった。
DD51に牽引された。
セメント会社は、三菱マテリアル、三井鉱山セメントです。
九州の玄関口、門司港の港町を走る貨物列車は風情があった。 >>56
でも結局岡山の方で印象に残るのは江若から買った流線形DCだけだろ
元夕張の湘南顔は影薄かったもん >>62
もちろん江若がスターだったが、
俺は岡南元町の車庫で昼寝していた
元常磐炭鉱のDC(→その後紀州鉄道だっけ?)も
渋くて好きだったな。 臨港線は、福岡市内にもあった。
福岡貨物ターミナル駅から、博多港、福岡港、福岡市場の貨物駅に行った。
那珂川橋梁は、福岡ボートレース場に行くバカが橋梁をツカツカ歩いた。 >>62
元々旅客輸送は付録みたいなものだったが
1980年前後に一度だけ大増発したことが
あったと記憶
これ以上深入りすると岡山臨港単独スレの
テリトリーを侵すからやめとく Wikipediaによれば昭和50年に
それまでの4往復を12往復に増やしたって。
なんとか経営を安定させたいがために
県や岡山市が躍起になってテコ入れ策を考えてたらしい
(岡山駅乗り入れ、施設整備費用助成など)
臨海鉄道はたとえ純民間資本で出発しても、
最終的に役所の関与ができてしまう宿命なのかな。。 >>66
そう、4往復みたいに申し訳程度に客扱いしてるのが臨海線じみてる
荒涼とした終着駅に降り立って待合室に貼られてるスカスカの発車時刻表を見ると
臨海線という実感が湧く 8時だよ全員集合を思い出した
一の宮はじめともども 鹿島臨海が国鉄キハ10のお下がりを使ってたころ、車内中吊りで求人広告が出てたのを覚えてる
ローカル線で中吊りは珍しかった
昭和54年の夏 列車は3〜4本/日しかなかった
乗り逃すと次の便は4時間後とか