昇圧・改軌の思い出
鉄道事業者における車両政策の転換点となる昇圧・改軌の思い出を語るスレです 大手でも特定線区限定の昇圧であれば
両数も限られているから一夜にして総入替もあるっちゃあるしね
京阪大津線系統でも
京津線は地下鉄東西線直通の都合上800に総入替だったから
600や700も昇圧後は石坂線専用となる
名鉄瀬戸線も昇圧後は
新造の6600の他、3730、3770、3780の転入で総入替
一方昇圧直前までいた600V車は
3700の5編成は昇圧時に本線系統へ転出(再度1500V化で復帰)
モ700/750、ク2320の一部は揖斐線へ転出
モ900は福鉄と北鉄へ譲渡 瀬戸電
昇圧後 34両
3770×2 3780×20 6600×12
昇圧前 28両
700×2 750×1 900×7 2300×3 2320×5 3700×10 南海、73年(昭和48)10月の1500v昇圧は貴志川線以外の旧型車の一掃や特急車両の整理で
車両の趣味的な面白さは半減した。クロスシートの旧11001系は電動機の昇圧改造が困難で半数近くが譲渡や解体の憂き目に。
まあ旧型に関しては前年までで新車の増備と入れ替えに殆ど廃車されてたけど。 南海の昇圧はもし堺筋線乗り入れを巡る阪急との綱引きに勝利していればもっと前倒しになってたと聞いた
そう? 堺筋乗り入れは阪急に先んじて話を持ち込んでいたのに袖にされ、
あまつさえ天下茶屋延伸時に天王寺支線を廃止させられ、
南海は大阪市に煮え湯を飲まされでばかりじゃね? でも、南海の狙いは梅田進出であり堺筋では梅田にかすりもしないからそんなにこだわり無かったのではとも、思う 昇圧で旧型が一掃されて面白みが無くなるのは各社共通の現象
大手ではラストになった京阪も寂しくなった いや、昇圧後も小刻みに新車を入れてるから大手ではかなり細分化が進んでしまっている
形式数の多さについて
保守コストの増加とネガティブに捉えるのか
輸送ニーズへの細やかな対応とポジティブに捉えるのかは
見解の分かれるところ ツリカケ車絶滅のきっかけにはなる罠
京阪はまさにそれ 昇圧によって永久直列になった中で最も過酷な使われ方をしたのはどんな車両? >>263
一両だけ残されてクハとして貴志川線で余生を送った