昇圧・改軌の思い出
鉄道事業者における車両政策の転換点となる昇圧・改軌の思い出を語るスレです 本当に京王はもったいないことをした。昭和50年ちょい前に改軌していれば>< 京王は改軌しないことを条件に都営新宿線乗入を行ったわけだが、京成や東武伊勢崎線と違いターミナルが決して不便ではなかったからな。
都営新宿線のルートが都心中央部から外れており利便性の高い路線でなかった、ということもあるけど。 京王、京成、京急の三京 が 浅草線、新宿線とつながりまくっていれば・・・・・
京成八幡なんかもったいなさすぎる 通勤用(100km/h)に耐えられるFGTを実現する
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改軌(メカマシーンで短期間に達成を開発)
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こうやって日本全体をできればいいのだけどな!!! >>40
近鉄は改軌工事の下準備してたから、
伊勢湾台風からの復旧に乗じることが出来た。
結果予定より3ヶ月早まった。 木の枕木でなくなった今、機械の威力があると思う。
サハリンの改軌だったと記憶するが、たとえば10m単位で前もって別の場所でレールと枕木を固定。
現場に運んであとはMDTでガガガと仕上げればいい。
1067というチンケなゲージは鉄道更新国に他ならないと思う。 >>207 サハリンでは老朽化していた路線を根本的に改良するついでに改軌したもの。旧ソ連崩壊後の経済悪化で路線保守が行われず、1日数本しか走らない状態に落ち込んでいた。京成や近鉄名古屋線などのケースとは全然事情が異なる。 >>215
おいおい
マジで知らないのかよw
1,067mmから1,372mmに改軌しただろ >>216
いや、マジで知らない。京王は最初から1372じゃなかったの?(井の頭線を除く) >>218
とん。当時の写真ないんだろうなあ。
わいが見たかったのは、当然、1980年ちょい前の1372→1435。都電懐古派がそれをはばんだとも言われているね。
当然後は、当時の沿線人口増→ダイヤ密だけど 結局千葉県営鉄道が頓挫したから改軌に意味はないけどね 当時はまだ木の枕木が多かったから、やろうと思えばできただろう
また、複数の駅ごとに工区をぶったぎってそこで乗り換えにすればやれたはず
市川八幡の現構造がつくづくもったいない 都営新宿線を強引に標準軌で敷設し、
「やーい、京急京成浅草新宿と一大ネットワーク完成。超便利。それでも固持するの?それとも固辞するのお?」
と締め付けてやれば良かったのに まあ次のチャンスは、FGTを使いながらの改軌だと信じている >>222 そうしたら京王は都営乗入れ諦めるから都営新宿線は閑散化して大赤字だな。
新線新宿で新宿線に乗り換えることになる。京王と都営のホームが隣接する、2面4線が「必要となるが用地確保できるか?あるいは都営の駅をまた別の所に造ってもっと接続悪くさせるか?
京成押上と違い京王は新宿のターミナルが便利な所にあるから、無理やり地下鉄乗入れする必要が無いんだよ。 ゴリゴリやってしまえば、京王もしぶしぶ折れただろう、という話。
大切なことは快気したであろう1975年くらいにえらい不便が生じたであろうが、
「のど元過ぎれば」というやつで、
2021年のコンニチ、調布から成田直通とか市川八幡から都心直通。
至便きわまりない。
長い目で見るということができない近視眼はだめだということ おまけで
標準軌の中古車体は、台車含めて琴電などに売れていた。
カーブの関係で必然で木に18m車体も引く手あまたになっていたであろうし 無理が通れば道理が引っ込むってね
田舎路線京成ならともかく成熟状態にあったあの頃の京王で大工事なんてどだい無理な話 おそくとも昭和40年頃に新宿線の話が出ていれば、可能だったのかもだなあ ごめ。これはもう、FGTしかないね。時速100くらいまでならば耐えられる奴 元近鉄のナローも名古屋線改軌に合わせりゃ良かったに 京阪線は開催民鉄では唯一首都圏民鉄の中に食い込む輸送量を持っていたが、1500V化は
遅く1980年代だった。電流の関係かやたら架線が太かった。
また遅くまで古い車両が本線を走っていて、内装木目の半鋼車が昇圧時まで残った。 昇圧で消えたのは2000、1700、1300、600ぐらい? >>233
養老線は貨物列車があったのでできなかった >>219
京王沿線自治体所蔵の玉南時代の写真は一応ある
ttps://blog.goo.ne.jp/ogasakoki8823-51719-613283/e/09ccc62584fd4a2c7732e1f9c22b6427
ttps://www.hi-know.tokyo/detail/writer_report.php?id=000511 1978年の京都市電全廃時までに京阪との平面交差が無くなってたのに、京阪昇圧が83年12月まで実現しなかったのは何故?
1500V昇圧の支障となる原因が解消された時点で早急に昇圧を行った方が合理的であるように思えるのだが。
複々線区間の延長や京都市内地下化の工事で、昇圧を早期に実行する金が無かったからか? あの頃のおけいはんは何かと物要りだったね
鴨東線、昇圧、高架複々線化、流通業界への投資等など
置き石脱線は被害者ではあるが負傷者への補償や損壊した設備・車両の修理も
想像を絶する額になったのではないか >>流通への多角化
京阪百貨店は失敗だったかも
守口にデパートは要らぬ 昇圧即応車を事前に投入して少しずつ入れ替えてゆくのと、
一気に新旧入れ替えするのと、
どっちがコスト書けずに済むだろか 一気に入れ替えた事業者なんか今までにあったっけ?
大体は数年、長ければ10年ほどかけて
下準備(即応車新製と昇圧対象外車の廃車)するんじゃないの まぁ、大手と中小じゃ規模も違うしな
それぞれ、東急や名鉄というバックもあったワケだし
京阪の場合、準備期間は約15年だったか
当時の車両数が550両程度、変電所はいくつあったっけ? 京阪で600Vから1500Vといえば京津線&石坂線もありましたね
80型、260型、350型といった名車が廃止後、九条山駅付近に
並べられたのが悲しかった・・・ >>247
本線昇圧前は、京津線で余った電気を本線に融通してた。
その位80形が作る回生電力がすさまじかった。
今はページが無くなったけど、keihan-2.comの記載内容で、20km/h位までは回生失効しなかったとか。
だから空制も余り使わなくてよく、鋳鉄製輪子の減りが方が異常に遅かったそう。 >>244
中小の場合は保有両数的に昇圧で総とっかえも珍しくない
上田交通別所線と同時期には松電上高地線も同様に東急5000に
その少し後の福島交通飯坂線では東急7000だったし
北鉄浅野川線も緊急予備車以外は京王3000だったから
昇圧後の通常運用上は総入替したも同然だったり 大手でも特定線区限定の昇圧であれば
両数も限られているから一夜にして総入替もあるっちゃあるしね
京阪大津線系統でも
京津線は地下鉄東西線直通の都合上800に総入替だったから
600や700も昇圧後は石坂線専用となる
名鉄瀬戸線も昇圧後は
新造の6600の他、3730、3770、3780の転入で総入替
一方昇圧直前までいた600V車は
3700の5編成は昇圧時に本線系統へ転出(再度1500V化で復帰)
モ700/750、ク2320の一部は揖斐線へ転出
モ900は福鉄と北鉄へ譲渡 瀬戸電
昇圧後 34両
3770×2 3780×20 6600×12
昇圧前 28両
700×2 750×1 900×7 2300×3 2320×5 3700×10 南海、73年(昭和48)10月の1500v昇圧は貴志川線以外の旧型車の一掃や特急車両の整理で
車両の趣味的な面白さは半減した。クロスシートの旧11001系は電動機の昇圧改造が困難で半数近くが譲渡や解体の憂き目に。
まあ旧型に関しては前年までで新車の増備と入れ替えに殆ど廃車されてたけど。 南海の昇圧はもし堺筋線乗り入れを巡る阪急との綱引きに勝利していればもっと前倒しになってたと聞いた
そう? 堺筋乗り入れは阪急に先んじて話を持ち込んでいたのに袖にされ、
あまつさえ天下茶屋延伸時に天王寺支線を廃止させられ、
南海は大阪市に煮え湯を飲まされでばかりじゃね? でも、南海の狙いは梅田進出であり堺筋では梅田にかすりもしないからそんなにこだわり無かったのではとも、思う 昇圧で旧型が一掃されて面白みが無くなるのは各社共通の現象
大手ではラストになった京阪も寂しくなった いや、昇圧後も小刻みに新車を入れてるから大手ではかなり細分化が進んでしまっている
形式数の多さについて
保守コストの増加とネガティブに捉えるのか
輸送ニーズへの細やかな対応とポジティブに捉えるのかは
見解の分かれるところ ツリカケ車絶滅のきっかけにはなる罠
京阪はまさにそれ 昇圧によって永久直列になった中で最も過酷な使われ方をしたのはどんな車両? >>263
一両だけ残されてクハとして貴志川線で余生を送った