昇圧・改軌の思い出
鉄道事業者における車両政策の転換点となる昇圧・改軌の思い出を語るスレです そりゃあ、自社で前例のない工事だから他社を見に行ったりするんじゃないの?
京成や近鉄の改軌工事の状況も調べたりとか
古い話だと当時の担当者がいないとか、社内に満足な記録が残ってないだろうが >>124
当時三線区間って箱根登山と京急だけじゃなかったっけ? >>127
大師線にもあったからね
だけど京急のは線路閉鎖とか夜間終電後とかで視察してもあまり意味なかったかも >>123
箱根登山の小田原−箱根湯本間は、実質「輸送の小田急への譲渡」が主要因ではないか?
箱根湯本から先は80/1000急勾配で600V饋電、標準軌の登山路線だが、
手前側はほんの短区間に40/1000の小丘が有るだけの平坦線。
そこに小田急が1500V狭軌長大編成で乗り入れてきて3線化し、箱根登山車両は複電圧化したけど、
輸送量をみたら湯本までが圧倒的で、2連の登山電車ではなく4連以上ロマンスカー11連を走らせたい。
山用車両は山だけにという整理で現状狭軌だけとなる。車庫から湯本までだけ3線軌として残した。
登山への乗換を、小田原は止めてしまい湯本だけに一本化したってことだ。
結果、通勤交通などを含めて便利になっているようだが。 >>125
近鉄の改軌の記録映画を見たことがあるが、
数々の制約の中で無事故で成し遂げた事には敬服する
やはり昔のヒトは偉かった 昔のヒトの作業員の服装について少し触れているけど、
先輩から聞いた話では、昭和49年(つまり40年代末位までは)戦前から働いていた人が現役第一線で
沢山働いていたので、軍足や安全靴じゃなくてゲートル巻きで作業していたらしいよ。
昔と今じゃ 社会環境が違うので一概に昔が過酷で今が楽とか云う訳でもない。
京急と京成で都営一号線の軌間を決めるにあたり攻防とかなかったの?
京急の方が改軌に関しては戦前2回経験している(知識はある)
京成の方は子会社の新京成で 数年前に狭軌を馬鉄軌に変えたが、いかんせん車両数は微々たる数なのでそういう面では難儀しなかったような。
(まあ 急曲線が多く工務は相当難儀したような)
東京都は都電が馬鉄軌なので車両面でも直接的なメリットはともかく(大阪市が堺筋線で架線集電ながら既存線との
機材互換性の都合で標軌を推し南海が負けたみたいな経緯もあるのだが・・・)馬鉄軌に傾かなかったの? >>132
ゲートルは標準。
陸軍兵は皆ゲートル巻きだし、「線路工夫」、「○○方」と呼んでた時代の正装。
「方」は役人の役職名だ。京成改軌工事もゲートルで頑張ってる。
京成と京浜急行じゃ改軌作業量の大差で京成改軌だろう。
6〜8連と2〜4連でも工事の難易度が違った。
1372mmを選択の事業者は東京市電乗り入れを指向しての選択だった。
それが都営地下鉄乗り入れで1435mm改軌ってのも皮肉だねぇ。
都営地下鉄自体は相互乗り入れ相手に合わせて1435mm浅草線、1067mm三田線、1372mm新宿線四路線ありどれでも関係ない。 もし京王が都の改軌要請に応じてたら、車両も18m3ドアのままになってたのかねぇ >>134
都は改軌要請などしたことはないよ。
相互乗り入れ前提だから都営で7種類もの形態が出来てしまった。
都営新宿線は相互乗り入れ先の京王に合わせて最初から1372mmゲージ。 京王への改軌要請のことならググればいっぱい出てくるけど?ガセなの? そりゃ国が答申作っている訳だからさ、都と京王が接触する機会はないだろうな。
都は結果を受け入れるだけか、あるいは国と折衝するかだろう。
京王は当時の運輸省となんども話を重ねている事だろうさ。
京王は都から要請は受けていない。 アメトで鉄芸人特集やってるが、軌間についての一般人の感覚が
見て取れるやりとりが面白かった
関心のない人にとっては新幹線も三岐北勢線も同じにしか感じられないとはな さすがにそれはオーバーじゃね?
規格が全く違う
でも標準軌(京急京成等)と馬車軌間(京王)の違いになると
一般人にはピンとこないだろうな でも1067mmと1435mmの違いは見た目で分かる 鉄に興味のない一般人は、レール間隔なんて意識してないから
そもそもその規格が多様であること自体知らない人も多かろうて >>140-143
その点で改軌のアピールが上手かったのは京成電鉄。
改軌車両から塗色を変え、緑電から、朱色+肌色?に帯を巻いた華やかな塗色の3050を走らせたので、
最初の改軌区間の千葉線幕張先は100%新型新塗色に換わって見た目で改軌をアピールした。
あれは鮮やかだった。
そのうち台車を履き替えた改軌改造車が走り出して全線に均等化され次第に目立たなくなったが、
地下鉄仕様でデビューした旧3000は新塗色に塗り替えている。 >>144
3000形も緑色系 肌色に赤 赤一色と3回変えてるが、さらに旧式車の210形も3回変えてる内のひとつ。
このグループは200形シリーズを昭和48年に吊掛けからカルダンに再び更新したグループで1988年まで残った。 地下鉄乗り入れに合わせて京成は全社挙げて成し遂げたが
時代が下って京王は無理と判断したのは致し方なかった 考えてみれば京成と京王つなぐ地下鉄作れば改軌要らなかったんだよな 京成は早いうちにツリカケを新京成に押し付けたから高性能化100%は最も早かったけど、
自社でカルダン化した210は新京成にはやらなかったんだよな(笑) >>146
あと20年早く改軌を検討していればどうにかなったかも >>149
当時、京成にも木造車があったんじゃないの?
全鋼製車700+2200なんて出てきたのはs30台と思うが。 >>146
工事の間、雨の日が多くて作業が難航したらしい
本社の重役室にてるてる坊主を吊るして神頼みしてたという逸話もある >>146
玉南に合わせて京王の方改軌してればねえ >>153
そこまでして改軌を成し遂げたものの
乗り入れ先が浅草線では物足りないぞな
新型車に閑古鳥が鳴いてるようでは社長も泣くに泣けなかっただろう しかし改軌ネタというと京王が一番妄想を働かせられるのだがなw 戦前に京王、京成、玉電、京浜急行が都電への乗り入れで都心進出を果たしていたら、1372oの区間がもっと拡大していたかも。
成田空港から品川経由羽田空港、橋本、そして中央林間まで1372oで結ばれ、直通特急が走る。当然、地下鉄の路線も大きく変わる。
都営浅草線は馬喰横山付近で新宿線に連絡、そして九段下で半蔵門線に連絡。曳舟からの東武乗入れ半蔵門線ルートは九段下から先、新宿方面に伸ばすか? 妄想だけど。 各社が考想していた都電乗入れが進まなかったから、1372oに固執する必要がなくなったということかな。
京王は新宿付近の併用軌道地下化など改良工事が多すぎて、改軌するチャンスを逃したわけだが。 京成乗ると、この乗り心地でブルートレインに
乗りたかったなと悔やまれるよね >>163 都電の1372oは鉄道馬車時代の名残だろ。比較的、路線網が大きく省線との連絡輸送する必要がなかったし、標準軌の私鉄もほとんどなかったから狭軌ないし標準軌間に改軌する必要性がなかったということなんでは。
昭和30年代前半までは都電の輸送需要が非常に多かったし、改軌作業するとしたら大変なことになっていただろうな。 >>160
そうなれば軌道系発祥の私鉄は関東は1372、関西は1435で定着してただろうな。 >>166 実際は都電が私鉄の乗り入れに消極的だった。京王、京成、京浜、玉電が希望していたが、京浜が短期間行っただけか。
仕様の異なる車両を走らせるのに抵抗があったからかも。そこで、今の荒川線こと旧王子電軌のように吸収合併する方を選んだ。 そうか 都電乗り入れとかトンデモに思うけど、
昭和初期まで私鉄なぞは単行都電に毛の生えたようなもんだったんだもんな。倍賞千恵子の父ちゃんなめんなよってなもんだ。
ってか今の都電が、昭和初期までの私鉄とか明治時代の山手線の面影持ってるともいうか。
で600Vから1500Vに昇圧すると車両の調子悪くなるとも言うがそんなに絶縁抵抗低いもんなのかね? 実現していたとしたら箱根登山鉄道に小田急車が乗り入れてる雰囲気か >>169
少し前の福井鉄道とかそんな感じじゃね? 思い出した。昔は東武にモニ1473とかの荷電君が単行で走ってたは。
もう8000系とかのダイヤに負けないように必死に走ってるもんだから
凄まじい吊り掛けの爆音響かせてた。あやつが浅草とか千住とかから
都電に乗り入れて余裕かましてのんびり走るってならイメージ湧く。
逆にイチョウのマークつけた都電君達が東武本線上を80キロで爆走
して来たら、、怖くて泣く。 >>163
鉄道専門家不在の中でアメリカより馬車鉄道資材一式を購入したことが原因。
当時アメリカでは路上を線路が走るストリートラン問題が深刻化。
西部劇の時代からさらに都市化過密化するとは思ってなかったらしい。
で、路面に1435mmの線路を新設することに拒否反応があった。
んなもん敷かれたが最後、巨大な貨車がゴロゴロ走り始めるのは目に見えてる。
当時開業が相次いだ鉄道馬車と路面電車は非1435mmである事例が圧倒的に多くなった。
そうしないと反対運動が起きてしまう。
アメリカの都市交通調べてみて。ニューオリンズの古い路面電車とか1435mmじゃないから。 直流から交流への変更も昇圧と見なしていいなら、板谷峠とか仙山線とか。 第三軌条集電式は1500Vには昇圧できないの?
銀座線丸ノ内線名市交東山線はみな600V >>178
鉄道に関する技術上の基準を定める省令の解釈基準に
第三軌条方式の標準電圧は600V、750Vと書いてある 大阪や横浜は750
架線式で750を採用してるのもあった(今もある?) 道路走ってるクレーン車のブームのロックが外れてくるリンとしては架線に触れたら750Vは
セーフで1500Vはアウトなんだろうか?
昔EF57のパンタを棒であげようとして感電して人が吹っ飛んだという話があるが >>182
車内の人が感電することはない模様
保証は出来ないが
以前東上線で実際にあったけど
ショートして荷台の荷物が炎上したけど乗ってた人は逃げて人的被害はなかった >>184
松本電鉄は1986年に1500Vに昇圧済み
伊予鉄は横河原線と郡中線だけ750Vでそれ以外は600V
750V架空線式はあとは
箱根登山鉄道の箱根湯本-強羅間
遠州鉄道
四日市あすなろう鉄道内部線・八王子線
三岐鉄道北勢線
くらいかな? >>11
あのとき、がむしゃらにやっておけば、、、、京成八幡から京成本線に・・・いけたのに >>11
京王は改軌に備えて5000系台車をいじれるようにしておいたんだったよね 1372→1435
ほんの僅かな拡幅は結構難しいと素人ながらに思う
京成はよくやれたもんだ 京成は「改軌したくないから直通しない」と東京都に対し突っぱねる事はできなかったのかな 近鉄はぜひするべき案件。FGTなんかよりもよほど投資コスパよし 1日に100mは楽勝だな。京成の時のように工区を細分化してやればよろし >>193
京急羽田と京成成田をどうしても結びたかった。どちらかが折れるしかなかった >>198 1959年、京成が改軌した当時、まだ羽田に代わる新国際空港の場所の検討が行われる前なんですが。
成田に決まったのは1966年。 >>193 京成は東武同様、都内のターミナルの立地が良くなかったからな。都心直通ルートは社の悲願。
といって自力で建設する余裕がないから営団か都営の地下鉄乗入れに参加するしかなかった。 本当に京王はもったいないことをした。昭和50年ちょい前に改軌していれば>< 京王は改軌しないことを条件に都営新宿線乗入を行ったわけだが、京成や東武伊勢崎線と違いターミナルが決して不便ではなかったからな。
都営新宿線のルートが都心中央部から外れており利便性の高い路線でなかった、ということもあるけど。 京王、京成、京急の三京 が 浅草線、新宿線とつながりまくっていれば・・・・・
京成八幡なんかもったいなさすぎる 通勤用(100km/h)に耐えられるFGTを実現する
↓
改軌(メカマシーンで短期間に達成を開発)
↓
こうやって日本全体をできればいいのだけどな!!! >>40
近鉄は改軌工事の下準備してたから、
伊勢湾台風からの復旧に乗じることが出来た。
結果予定より3ヶ月早まった。 木の枕木でなくなった今、機械の威力があると思う。
サハリンの改軌だったと記憶するが、たとえば10m単位で前もって別の場所でレールと枕木を固定。
現場に運んであとはMDTでガガガと仕上げればいい。
1067というチンケなゲージは鉄道更新国に他ならないと思う。 >>207 サハリンでは老朽化していた路線を根本的に改良するついでに改軌したもの。旧ソ連崩壊後の経済悪化で路線保守が行われず、1日数本しか走らない状態に落ち込んでいた。京成や近鉄名古屋線などのケースとは全然事情が異なる。 >>215
おいおい
マジで知らないのかよw
1,067mmから1,372mmに改軌しただろ >>216
いや、マジで知らない。京王は最初から1372じゃなかったの?(井の頭線を除く) >>218
とん。当時の写真ないんだろうなあ。
わいが見たかったのは、当然、1980年ちょい前の1372→1435。都電懐古派がそれをはばんだとも言われているね。
当然後は、当時の沿線人口増→ダイヤ密だけど 結局千葉県営鉄道が頓挫したから改軌に意味はないけどね 当時はまだ木の枕木が多かったから、やろうと思えばできただろう
また、複数の駅ごとに工区をぶったぎってそこで乗り換えにすればやれたはず
市川八幡の現構造がつくづくもったいない 都営新宿線を強引に標準軌で敷設し、
「やーい、京急京成浅草新宿と一大ネットワーク完成。超便利。それでも固持するの?それとも固辞するのお?」
と締め付けてやれば良かったのに まあ次のチャンスは、FGTを使いながらの改軌だと信じている >>222 そうしたら京王は都営乗入れ諦めるから都営新宿線は閑散化して大赤字だな。
新線新宿で新宿線に乗り換えることになる。京王と都営のホームが隣接する、2面4線が「必要となるが用地確保できるか?あるいは都営の駅をまた別の所に造ってもっと接続悪くさせるか?
京成押上と違い京王は新宿のターミナルが便利な所にあるから、無理やり地下鉄乗入れする必要が無いんだよ。