昇圧・改軌の思い出
鉄道事業者における車両政策の転換点となる昇圧・改軌の思い出を語るスレです 大手で最後に昇圧した京阪がスーパーカー2000系をいとも簡単にオシャカにしたのは意外だったわ
一方で車両不足対策にと、1800系に延命措置を施したりしてたからなあ 1800系の改造が2000系の大量廃車に伴う対応というのは聞いたことが無いですね
昇圧を見越して6000系の投入を既に始めていたわけですから 車体は流用して未だに使ってる件
電機品は端子電圧150Vの主電動機を永久直列なんてやってたからどうにもしようがなかった 昇圧で車両の陣容がガラリと変わったと言えば阪神じゃないのかな
他の大手がまだツリカケ車を多く抱えてた時代、元々保有両数が少なく小回りが利くという利点があるとはいえ
既に1970年までにツリカケ車を完全追放できたわけだからね(軌道線を除く)。
お陰で全国大手の中で冷房化率100%もトップで達成できた 京成も阪神とは昇圧と改軌の違いはあるが大体同じような経過だな
これに乗じて旧型車を一気に整理! >>6
でも阪神みたいにオール新性能化、とか冷房率100%とは行かなかったんでしょ 阪神は、旧型車だけで所帯持たせられるような
支線区が少ないのも一因かと
京成はカルダンは進んだが、冷房化は
荒川架橋の改修まで待たねばならなかった 京成は浅草線乗り入れのために改軌させられたが、
京王は新宿線乗り入れのために今更改軌できないと突っぱねて受け入れられた
時代が幸いしたのかなあ
70年代になると日々の輸送に影響を与えずして改軌工事を進めるのは無理? >>8 南海が昇圧で車種整理、貨物大幅削減でつまらなくなったのは、
昭和40年代初頭に多発した事故対策の面もあるのでは?
とにかく車種、運転取り扱いは煩雑で、保安装置も追いついていない時代だった。 >>11 東京都交通局が京王の改軌拒否受け入れざるを得ない事情があったからでは?
第一 都営1号線開業の際の不始末に象徴されるように、都交通局の施工能力の低さ、それにお役所仕事ぶりは民鉄界の常識だった。
このため、どこの大手私鉄も都営より営団との乗り入れを好んだ。都営はあまり強い態度を取ることができない。
第二 東京都としては、多摩ニュータウンと都心部を直結する鉄道の早期開業を求めていたが、京王相模原線はその最有力ルート。
地下鉄乗入れを早期に行うには、京王の要求に妥協せざるを得ない。 レス13だが追加、京王としても、新宿・笹塚間の大改良、高尾線に相模原線の工事、それに車両大型化とプロジェクトが連続し、予算的に余裕がなかったということもある。
60〜80年代にかけての京王の変貌は、阪神を凌ぐのでは? 花巻電鉄が改軌していれば
もしかするとまだ存命していたかも 京急が昔、京浜と湘南をつなぐために
市電との線路を切って1372→1435に統一したが
そのとき1372にしてたら、今頃京成も京王も共通で乗り入れしてたかも 西鉄宮地岳線の一部改軌(と降圧)が無ければ揉めてる地下鉄乗り入れとかマトモな近代化とか実現していた・・・かもしれない
うまくすれば新宮以東の廃止もなかった可能性がわずかにあったかもしれん 改軌といえば、京成はずいぶんあっさり全線改軌したね。営業しながらだぞ。
山形新幹線や秋田新幹線の改軌(長期運休ほか)は何だったのだ? >>19
1950年代だからまだなんとかなったのかも