城東線と呼ばれていた頃のかすかな思い出なんでスマソが、寺田町→天王寺や
天満→大阪へ向かう時は、対向電車が向かいのホームへ入線してから、ノッチを
入れて発車していたと覚えているのだが、子ども心にもどちらも複線施設である
のになんで?と思った。まるでそれぞれ1区間1閉塞の単線のようであった。
大阪駅は城東線用ホームは1線しかなく、同じ1線の向こう半分は西成線停車用で
あったのがその理由だが、なお関西省電の故 野村董氏の書によれば、終戦から
しばらくは天王寺〜寺田町は単線であった(鉄材の戦時徴用で撤去してそのまま
放置状態であった)ともあるが・・・・