懐かしのステンレスカー・アルミカー
銀色の美しい輝きが私達に未来への希望を抱かせてくれた
草創期から普及期にかけてのステンレスカー・アルミカーについて語りましょう 片開きの京王3000系
片開きのステンレスカーは通勤車では南海6000 東急5200位か?
しかしステンレスカーのモーター音、 なぜカルダン車は皆 甲高いのか?起動時?205が違和感ありすぎた >>80
岳南は乗車したことあり
大井川で再開
晩年はかなりガタが来てるように見えたが
外板ステンレスの輝きは失せてはいなかった あまり光沢が強すぎるのも対向車の運転士が眩しくなるため好ましくないとされていた
昨今はステンでもそんなにピカピカしてないもんね 東急5200系は渾名が湯たんぽ。
コルゲーションが湯たんぽの表面の凸凹に似てるからというが、
昔の鐵道ファンはネーミングが巧みだね 夕陽の反射が目立つことはあったな東急8000 8500とか
眩しい程ではなかったが >>97
5000系の青蛙に対して銀蛙というのもあったと思う
でも湯たんぽの方が語呂がいいし、一般的に定着したのもこっち 青蛙は実在するが銀蛙なんて名前の生物はいない
定着しないのは当然 >>86
何を指して造りの良さと言ってるのか解らないが
直線的な構成こそステンレス車の特徴であるから
東急7000系に軍配をあげるのが至当であろう 国鉄が205系に軽量ステンレス車体を採用すべく当時の東急車輛に軽量ステンレス車体の製造技術を強制公開させた頃にはバッド社の特許は切れてた?
それとも軽量ステンレス車体の製法はバッド社の特許とは無関係? 都営地下鉄三田線6000系。今年の1月鉄コレ6両セットが
出たから買ってしまったよ、俺。 >>78
京成3500形の最終増備車はオールステンレス車体。ただし、3500形の更新
計画が途中で中止となったため、更新されたセミステンレス車よりも先に
廃車となった。
都営10-000形も途中(船堀−篠崎間延長開業時の86年に増備された編成)から
オールステンレス車となった。 ステンレス車体に塗装する場合サンドブラストとかで表面を荒らさないと塗料が食いつかないってマジ?
鉄道模型でもエッチングキットはメタルプライマーを吹いてから塗装しないと剥がれる
ステンレスなど非鉄金属用のメタルプライマーは市販されている
http://www.asahipen.jp/product/detail.php?top_cat=04&cat=01&middle_cat=07&item_code=14893 営団5000はステンレスとアルミの両バージョンだけど、印象に残っているのはステンレス版。
俺の記憶は0系新幹線、ステン5000の東西線、黄色だかウグイスだかごっちゃの101/103(低)
山手線から始まる。
10年ほど前、何度か北綾瀬に仕事で行って、アルミ版ながら5000と会えてほっとした覚えが
ある。
が、それも今は昔。
綾瀬署の出勤隊列は、署の入り口に消えるまで○暴と区別出来ない強面軍団w 二子橋の道路併用単線を、ステンが走っていたのを何人知っている。 >>110 ハイ!挙手
ステンレス車で最初に早死にしたのは、阪神の初代5201−5202ジェットシルバーだな。
一緒に阪神を退団した 試作車の5001ー5002は、双方も細部に違いのある異端車なのに車体は琴電で蘇ったのに・・・
ここでも異端車(ずば抜けたキワモノ)だからか?瓦町駅ホーム隙間対応で扉埋め(二扉化)が溶接困難で諦めたのか? 東急は 初代5200、6000、7000、7200では光沢のあるステンレス鋼板を折り妻加工で反射を考慮して色調印象に変化を持たせる事を狙った
切妻の8000、8500になり反射が煩わしいだけのものになり
9000、1000では梨地に戻る
但し梨地は、目が粗いので 洗車で汚れを落としにくい でプラお面で反射の問題の解消した
新5000や新7000の途中で光沢外板に戻る。 ステンレス技術を国鉄の圧力で公開させられた訳だが、私鉄車両に特化して製造続けていれば、潰れなかったかな。 205や211が何両作られたと思ってるんだ
(全車東急車輛で作ったわけじゃないけどね) 昭和4年生まれのウチの婆さま(故人)は、「昔は省線電車にジュラルミンの電車があったんだよ、ガイコツが走ってるみたいで気色悪かった」などと言っていた 鉄に理解のあるお婆ちゃんだね
昔は珍しかったんでは? >>63以降、北鉄→大鐵しらさぎが語られないけど、あれ、地元石川県ではデビュー当時「シャンデリア電車」って呼ばれてたんだって。
シルバーの車体が、夜になると室内灯やら外の灯りやらに反射して、シャンデリアのようだって言われたからとか。
いかにも田舎ロマンスカーのエピソードだと思った。
でも乗ると吊り掛けモーターの音が…。
足回りは旧型車だから、アルミ車体は軽量化の為の苦肉の策だった。 >>116
婆ちゃんなんてのは大抵孫には理解あるだろ >>117
シャンデリアに例えられたり、湯タンポに例えられたり…。
コルゲートがなければ弁当箱だし…。 シャンデリアの話は初めて聞いた
そういう喩えもあるのか 地味なまま一生を終えた近鉄3000
当初は京都市烏丸線乗り入れ車としての地位を与えられ、
量産も噂されたが結局は1編成のみ、
烏丸線乗り入れにも使われずひたすら京都線ローカル運用に勤めた >>122
近鉄3000の場合問題なのは貫通路が真ん中にあること、電気指令式ブレーキを採用したこと、そして独自設計のオールステンレス車体だと思う
よくこれを電機子チョッパ制御のせいにしている者もいるが、京都市営地下鉄の規定では抵抗器を使う制御装置を持つ車両の乗り入れは禁止となっているため、界磁チョッパ制御にはできない
ただブレーキ指令については統一しなければならない訳ではないため電磁直通ブレーキでも問題なかった
一応電磁直通ブレーキでもマスコンもブレーキも前後に操作するタイプのハンドルもできなくはない
さくらライナーも電磁直通ブレーキ車だがブレーキもマスコンもそのタイプ
ブレーキハンドルの電気信号を変換装置で空気指令にするもので、簡単に言えばブレーキ弁の手の操作を変換装置に置き換えたものである
初期の東急7700系及び旧7000系こどもの国専用車もそうだった
マスコンハンドルだけではあるが、神鉄3000系、西鉄5000形、さらにJR201系も前後に操作するタイプを採用している
電気指令式ブレーキでもブレーキ読替装置があれば電磁直通ブレーキ車との併結も可能だが、当時はあまり実用化されなかった
オールステンレス車体については近畿車輛製であるが、当時はバッドが特許を取得しており日本で製造できるのは同社とライセンス契約を結んだ当時の東急車輛のみだった
そのため独自製法でオールステンレス車体を製造したものの、4両だけならともかく、大量に製造するならバッドにライセンス料を支払って製造した方が安上がりであることが判明
さらにバッドも東急以外とライセンスを結ぶのが難しいことから量産を断念した その後近鉄はステンレス車を投入せず、ずっと塗装アルミ車ばっかりだからな。
近車が軽量ステンレス造るようになってからも近鉄向けのシリーズ21は塗装アルミ車ばっかりだし。
近鉄にとってステンレス車は黒歴史なのかな。 関西の私鉄ではアルミでも塗装してしまうからな(関東の私鉄も塗装アルミ車体はあるが)
京都市営地下鉄、大阪地下鉄、山陽電鉄は別として
ちなみに近鉄8000系アルミ試作車も当初は無塗装にする予定だったが1両だけ銀色は変だとして鋼製車と同じく当時の標準色だったマルーンに塗装された 南海6000とか、既に引退したが山陽アルミ初期もそうだけどあの時代のアルミ車やステンレス車は特別感あるよね 山陽はその特別感をもって2000系ステンレス第一編成を特急用にした
やはり地元客にとっても、銀色に光る電車は特別なものと受け止められたらしい 電車は詳しくないが、
日本初のステンレス車両は貨車なのだろうな、
日産化学が作った三軸貨車、
希硝酸輸送用に製作、
ただ入手できたステンレス鋼の板厚が薄くて鋼製アングルで
補強してあった。
ヨンサントウで廃車。 >>127
価格が高すぎるからね。加工技術も難しい。 車体のでこぼこが無くなったのは何か理由がありますか >>129
アルミ車よりはステンレス車の方が特別感があるかなあ とうとうキハ31がこのスレのご厄介になりそうだ
豊肥線で初めて見た時、最新ディーゼルカーという感じがして格好良かったなぁ
キハ52も走っていて乗り心地を比べたりしていた
もう少し「懐かし」板入りしないで欲しいものだが >>122
ケイブンシャの大百科シリーズで次世代のエースなどという称号付きで紹介されてたのになあ〜 それは近鉄がプレスリリースするときにそういうフレーズを使ったから。
出版社に罪はない 関東住みで形式が多く本でしか見たことの無い近鉄通勤車郡のなかで強烈なインパクトだった
3000系。かなり昔に模型が発売されていた事も記憶に残る一因だったと思う。いつかは
乗ってみたい憧れの関西私鉄電車だったが、引退廃車を数年前に知った(生首が残されている
ようだが) 多くの鉄道趣味雑誌の巻頭を飾った
通勤形ではなかなか見られない 初めて近鉄に乗った時偶然これだった 顔が切り妻じゃないし無色じゃなくところどころ色が入っていて
シャレオツな車両だと思った >>122
地下鉄開業を宣伝する市報にも3000系がのってたのよ
3000系が乗り入れてくると思ってたのは鉄チャンだけでなく
京都市もそうじゃなかったの 「今日も走る」だったっけ
‘今日’と‘京’を掛けている ステンレスは総じて冷たい印象だが顔面をパステルカラーに彩った京王ステンプラカーは逆に温かみを演出することに成功した
京王線5000ともども不朽の名車を立て続けに輩出したのは奇跡か 個人の感覚だがステンレス車でも丸みのある南海6000などソフトな印象ないかな
逆に東急7000初代は冷たい >>154 泉北高速の100に南海の8000なんて冷たいと感じるのか? >>154
それは南海アゲ東急サゲの先入観にとらわれすぎ 東急7000系はガキの頃アメリカっぽさが好きだった
その頃多かった輸入したテレビ番組とともに なんかかっこいい
まだぼろ電車多かったし暮らしも貧しかったんで ステンレスカーと言えば
京王3000系
フロント窓間に引っかけ垂れたマイクが
左右にブラブラ 近鉄3000系・・・・・・。
登場時はエンドウからNゲージも発売されたが
僅か4両1編成で終わってしまうとは。 又又都営三田線6000形の鉄コレ買っちゃった〜。
分散式冷房付のタイプだ〜。やはり三田線6000形は
戸袋窓付が好きだ〜。 >>160
6000は全車戸袋窓付きだったはずでは? >>157
吉川文夫さんの写真集にデビュー当時の一枚が収められてるが
まっさらな銀色の車体と、沿線の古ぼけた木造平屋建ての民家が
鮮やかな対照を為していた >>161
都営三田線6000は高島平から西高島平まで開通した
1976年に増備された2本が戸袋窓無しだったよ。 ステンレス車体に塗装する場合前もってグラインダーで表面を荒らさないと塗料が食いつかず剥離するってマジ?
鉄道模型でもエッチングキットはメタルプライマーを事前に吹かないと直塗りすると剥がれる 近鉄コ3形は長寿で今も現役だがコ5形は引退してしまったな。
天窓やリベットがいっぱいあるね。
南海コ1形は11年で取り換えられたし実見したことがない。
アルミ車体の草創期は日立製作所がリードしていたようだ。
鋼索車両が軽量化などの新しい技術の先駆けだったんだよね。 川重兵庫工場の構体設計のおっちゃんの話だが
どうも出庫前の新造車両への10円パンチが横行してたらしい
塗装で誤魔化せるわけでも無くひたすらヤスってたんだと 十円玉でボディにガリガリと傷入れてたんだろ
クルマにやられて泣く泣く塗装に出したことないか? >>171
そうそう
10円玉かなんかでステンレスやアルミの無塗装車体に傷を入れる行為やな
コレやられると大変やねん 営団東西線5000系はステンレス車よりアルミ車の方がカッコ良かったね
なんか、スッキリしてるというか‥ 東急に2両だけあったアルミカー7200も異彩を放っていてカッコ良かった こどもの国線を行きつ戻りつしてたね
ヘッドマークみたいなのを付けていたね ステンレスとアルミの2タイプというと大阪市30系が思い浮かぶ
アルミの方が多数派だが最後まで生き残ったのはステンレス派 冷房改造されたのが遅くまで生き延びたが、ステンレスアルミ両方に改造車があり、廃車は同時では? 大阪市30系はアルミよりステンレスの方が細部の仕上げが粗い感じ いや、わかる
晩年に側面方向幕が付いたが幕板の刳り貫き部分の養生が不充分で見た目も良くなかったのはステンレス車のほう 東急7200系に1本だけアルミ車がいたね
こどもの国線用で ステンレス車は切妻の方が製造がしやすいが
3センチ位妻を窪ませると更に造り易いらしい、キハ35や京成3500など 大阪の30系は、旧型が1995年までに全廃(280両)
新30のほとんどが冷房化→谷町線に集中配置(78/83)
ステンレスもアルミも、2009〜2013年に同時引退
何でステンレスとアルミの両方を同時期に造ったのかは判らん
メーカーとの関連性はなさそうだし
組替補充用は編成を組む在来車に合わせたのだろうが、それ以外は不明